遊びと人間 (講談社学術文庫)

  • 講談社 (1990年4月5日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (390ページ) / ISBN・EAN: 9784061589209

作品紹介・あらすじ

なぜ人間は遊ぶのか? 人は夢、詩、神話とともに、遊びによって超現実の世界を創る。現代フランスの代表的知識人といわれるカイヨワは、遊びの独自の価値を理性の光に照らすことで、より豊かになると考え、非合理も最も合理的に語ってみせる。彼は、遊びのすべてに通じる不変の性質として競争・運・模擬・眩暈を提示し、これを基点に文化の発達を考察した。遊びの純粋な像を描き出した遊戯論の名著。

[本書の内容]
日本版への序文

序 論

第一部
一 定 義
二 分 類
 (イ) 基本的範疇
 (ロ) 喧噪から規則へ
三 遊びの社会性
四 遊びの堕落
五 遊びを出発点とする社会学のために

第二部
六 遊びの拡大理論
 (イ) あり得ない組合わせ
 (ロ) 偶発的な組合わせ
 (ハ) 根源的な組合わせ
七 模擬と眩暈
 (イ) 遊びと文化との相互依存
 (ロ) 仮面と失神
八 競争と偶然
 (イ) 変 遷
 (ロ) 能力と運
 (ハ) 代 理
九 現代社会への再湧出
 仮面と制服
 縁 日
 サーカス
 空中サーカス
 人真似し茶化す神々

補 論
一 偶然の遊びの重要性
二 教育学から数学まで
 1 教育心理学的分析
 2 数学的分析
三 遊びと聖なるもの

参考資料
昆虫における擬態
メキシコの「ヴォラドレス」における眩暈
オマキザルにおける破壊の喜び
スロット・マシーンの発展、それの生んだ熱狂
偶然の遊び、星占いと迷信
蟻の「麻薬」嗜好
成人儀礼のメカニズム
仮面による政治権力の行使
スターへの同一化の強さ。
 たとえばジェイムス・ディーン崇拝
秩序ある文明の中への眩暈の再湧出。
 一九五六年十二月三十一日、ストックホルムの事件
仮面、恋の手管と政治的陰謀の道具。
 秘密と不安の象徴。すなわちそのいかがわしい性格

訳者解説――ホイジンガからカイヨワヘ
遊びを考えるための文献リスト
訳者後記

みんなの感想まとめ

「遊び」の本質とその文化的意義を深く考察した本書は、遊びを通じて人間の社会や文化の発展を探求しています。著者は、遊びの多様な形態やその分類を示し、特に文化との関わりについて鋭い分析を行っています。先人...

感想・レビュー・書評

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  • 思ってたのと違いました。
    エンターテインメントに関する論文。

  • 遊びについて、先人のホイジンガの説も取り上げながらその分類や文化との関わりについて述べられた本。文章は非常に難解であるが、特に文化に関する分析は興味深い。多くの地域の事例を基に示された、ミミクリ・イリンクスの原始的文明からアレア・アゴンの秩序文明への改革のくだりは、遊びに対する新たな一面を気づかせてくれた。

  • 軽い気持ちで読み始めたが、内容が難しかった。

  • 「遊び」という言葉の指し示す範囲は莫大である。生存本能には関係ないが、ヒトが本能的にやってしまうこと全てを「遊び」だと考えれば、例えばアートは見る側も作る側も遊びだと言える。

    遊びについて論じた本としてはホイジンガによる『ホモ・ルーデンス』が有名だ。それまで遊びとは文化の堕落形態としてみなされていたが、ホイジンガの「文化は遊びの中で始まった」という考えが革新を起こした。カイヨワも根本的には近い立場を取るが、本書はより、遊びそのものの叙述や分類に重きを置く。

    都市生活の中で非日常的な気持ちの昂りが得られないのは、コミュニティの祭りに参加することがなくなってきているからでは、と本書を読んで思う。祭りでお面をつける、他者になり変わる、真似が憑依になり錯乱と熱狂を引き起こし、それが終わって暫く経つと意識を取り戻す、というような経験がいまの都市にない。渋谷のハロウィンは馬鹿にされるけど、意外とそういう良い機会になっているのだろうか。

  • 遊びを4種類に分類して論じており、興味深かった。ルネ・ジラールは共同体の団結から破滅までの4過程と、本社における4分類の一致を見ており、遊びこそが人間を人間たらしめているというロジェ・カイヨワの主張にある種の説得力をもたらしている。

  • 2024年12月16日、グラビティの読書の星で紹介してる人がいた。4冊のうち1冊。①

    「カイヨワ、アガンベン、ホイジンガ、チクセントミハイ等の著書を読んで"遊び"ガチ勢になりたい

    究極的には仕事も遊びにしたい 子どもは遊びながら学ぶのだから、人生を遊ぶように生きることは可能なはずなのだ

    しかし、なかなか見つからないんだよな彼らの本……」

  • ○ホイジンガ―を批判的に検証しつつ、
      遊びに「眩暈」という観点を追加。
    ・遊びは不毛。何も生み出さない。無償性。
    ・「遊び」の定義
     1)自由 2)隔離 3)未確定 4)非生産的
     5)規則的 6)虚構 ~の活動
    ・遊びの分類:
     1)競争 2)偶然 3)模擬 4)眩暈
    ○「眩暈」が遊びって面白いなー。酒を飲むこともそうなのかも。
    ・遊びには、観衆の存在が必要。
    ・遊びの安定性は著しい。遊びが重要でないからこそ恒常性をもつ。
    ・成人儀礼とは、無神論的、不可知論的、否定的な教育である。
     ごまかしの種を明し、片棒を担がせる。
    ・人が計算通りに動かないところに、遊びの究極の要素が存在する。
    ・どういう人を立派な遊技者というのか。それは、次のことを
     わかっている人だ。
     不測の事態を、好んで求めたとは言わずとも、進んで受け入れて
     きたのだから、不運に文句を言ったり、不幸を嘆いたりする権利
     は自分にはない、ということの分かっている人である。
     たとえ負けても、自分にとって遊びは遊びだ、という態度の
     とれる人のことだ。
    ○これかっこいいな~。そうあれたらいいな。

  • 遊びを紐解く良著な気がした。
    本書書かれた時代から随分時は流れ遊びも多様化したが、本質的には変わっていないだろう。

  • ううっ
     遊びを、ルドゥスとパイディアがあるとして、遊びの中のアレア(あてっこ系)、ミミックリ(真似っこ系)、イリンクス(ぐるぐる系)、アゴーン(喧嘩系)それぞれにさう言ふのがあると分析。
     本著に出てくるナニがー、北欧とかから輸入されててー嫌。

  • テーマはひきつけられるんだけど、議論の仕方には物足りなさを感じました。図式的に定義をして、その図式にあわせて事象を解釈している気がして、どうにも不自然な印象をぬぐい切れませんでした。社会学といいながら、遊びについての間主観的な観点についての考察が薄いような…。これはあくまで印象論だけなので、具体的な展開を想定しているわけではありませんが。(2017年11月9日読了)

  • 遊びの原理的な部分が解説されている。
    4つの遊びのタイプの組み合わせが書かれている第2部は考えさせられることも多い。
    筆者には”遊び”の地域性についても考察して欲しかった。

  • まじめに遊びを考える一冊。

    遊びを1.アゴン(競争)、2.アレア(運だめし)、3.ミミクリ(模擬)、4.イリンクス(目眩)に分類し、世界中のサンプルを当てはめ検証す る。まさに女の子がする「ままごと」なん てミミクリまんまっすよね。

    遊びによって文化が始まるのではなく、遊びの中に文化があるとは至言ではないで しょうか。

    見返りや目的といった制約を越えて遊ぶという究極に、「思いで作り」の儚さや脆さと儚く脆いからこそ、一瞬に永遠を求める人の姿を見た気がしました。

  • ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』をうけて、「遊び」の定義をより広く、より細かくとるべきと指摘した一冊。
    アゴン(競争)、アレア(賭け)、ミミクリ(模擬)、イリンクス(眩暈)の四分類と遊び手の姿勢を表すルドゥスとパイディアの二分類。
    本書では主に前者の四分類に焦点を当て、遊びの分類を示した後は、文明の発展とそれら四分類の結びつきを論じている。
    ミミクリとイリンクス、すなわち宗教的な儀式やそれに伴うある種のトランス状態が社会を動かす前近代、そこに理性が加わることで自らの手による能力や地位によって社会的な地位を得るアゴンと生まれつきの身分差や能力の差を左右するアレア(運)的な要因が近代的な社会において重要視されている、と論を展開。
    遊び論というよりは遊びを用いた社会学といった印象。
    訳が読みづらい。
    訳者解説は未読。

  • 哲学対話には全然間に合わなかったけど、
    「遊び」に関する古典として、
    ホイジンガと共に名が上がるカイヨワの「遊びと人間」。
    こちらも図書館の延長いっぱい使って、なんとか読了。
    いやー、
    難しかったー読みにくかったー。

    とは言え、内容はとても面白かった。

    まず、
    前記のホイジンガ、「ホモ・ルーデンス」を受けてのこちら。
    「ホモ・ルーデンス」を読んで、いまいちよく掴めなかったところが、スッキリできたのが良かった。

    具体的には、聖なるものと遊びとの関連性について。

    ホイジンガは聖なるものと遊びを同一視して論を展開していたが、どうもそこ、読んでいてしっくりこなかったんだ。

    カイヨワの、
    生活(俗)を挟んで、特徴が同じである聖と遊は対極にある。
    という考え方、さらに、
    この極というのに「自由」という補助線が引かれることにより、私でもこの関係性がストンと腹落ちした。

    また、カイヨワ独自の遊びについてのカテゴリーである、
    競争、運、模擬、眩暈の考え方。
    さらにこれらを2軸(意志の高低とルールの高低)で考えると、どのような文化圏に属する遊びなのかが見えてくるのも面白かった。

    ホイジンガが触れていなかった「運」の部分には、読んでいていわゆる親ガチャについても思いをはせてみたり、最中はとにかくあっちへこっちへ思考が飛び回って捕まえきれず、頭が忙しかった。

    だからと言うべきか、読み終えて尚、私にとっては「遊び」というものは定義がしにくい。
    今現在、読了後すぐの結論は、
    それ(遊び)に対して主体的である事が、結構大事らしいぞ…というところに落ち着いている。
    そしてこれを受けると、超相対性理論の遊びの回で話されていた内容、

    我々は人生というパーティに招かれている

    がさらに深く刺さってくる。

    それ以外にも、これらの本からなんとなく抽出できることもあったり、遊びの対義語について新たな気づきが得られたりもしたけど、読み終えたところで
    「わかっちゃった!」とは
    全然ならない。笑

    全然関係なさそうな、昨日観てきた映画の中にも遊び=模擬…そして熱中からの眩暈を感じ取ってみたり、
    ホント、沼が深いテーマだよ。

    とは言え、いったん「遊び」についてはここいらで終了。
    おつかれさま、わたし。笑


  • 【電子ブックへのリンク先】
    https://kinoden.kinokuniya.co.jp/hokudai/bookdetail/p/KP00096185

    ※学外から利用する場合は、以下のアドレスからご覧ください。
    SSO-ID(教職員)又はELMS-ID(学生)でログインできます。
    https://login.ezoris.lib.hokudai.ac.jp/login?url=https://kinoden.kinokuniya.co.jp/hokudai/bookdetail/p/KP00096185/

  • カイヨワの『遊びと人間』は、遊びという現象を通して人間の文化や社会を読み解こうとした野心的な試みです。
    本書の真骨頂は、遊びを単なる子どもの営みや余暇活動としてではなく、社会の根本的な営みとして捉え直したことにあります。特に印象的なのは、遊びと文明の関係についての考察です。
    カイヨワは遊びを4つのカテゴリー(アゴン、アレア、ミミクリ、イリンクス)に分類しましたが、これは単なる分類に留まりません。彼の分析によれば、文明の発展とともに、アゴン(競争)とアレア(運)が支配的になり、ミミクリ(模倣)とイリンクス(眩暈)は周縁化されていく傾向があります。例えば、前近代社会では重要な役割を果たしていた仮面や憑依の儀式(ミミクリとイリンクスの結合)は、近代社会では演劇やスポーツといった制度化された形式に置き換わっていきます。
    特に興味深いのは、遊びの「堕落」についての議論です。遊びの各カテゴリーには、社会化された形式とその逸脱形態があるとカイヨワは指摘します。例えば:

    ・アゴン(競争)は、スポーツから暴力への堕落
    ・アレア(運)は、くじから迷信への堕落
    ・ミミクリ(模倿)は、演劇から人格分裂への堕落
    ・イリンクス(眩暈)は、スキーからアルコール中毒への堕落

    この分析は、現代社会の病理を理解する上で示唆に富んでいます。例えば、ギャンブル依存症は、アレアが社会的に容認された形式を逸脱した例として理解できます。
    また、パイディア(自由な遊び)からルドゥス(規則のある遊び)への連続性についての考察も刺激的です。文化は、自由な遊戯衝動が次第に制度化されていく過程として捉えられます。例えば、子どもの即興的な「ごっこ遊び」から、演劇という芸術形式が生まれるように。ここには文化の生成過程についての深い洞察が含まれています。
    さらに、カイヨワは各種の遊びが持つ教育的機能にも注目します。子どもたちは遊びを通じて、競争の規則(アゴン)、運命への対処(アレア)、役割演技(ミミクリ)、身体的制御(イリンクス)を学んでいく。これは現代の教育論にも重要な示唆を与えます。
    本書の価値は、現代社会を分析する際の視座としても際立っています。例えば、SNSにおける自己演出はミミクリの現代的展開として、スマートフォンゲームの課金システムはアレアとアゴンの融合として分析できるかもしれません。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/739971

  • だいぶ前に読んだけど『ホモ・ルーデンス』を見たので

    遊園地にはあるね。全部
    目眩:ジェットコースター、お化け屋敷
    模倣:なんとかショー
    競争:対戦ゲーム
    偶然:くじ

  • 遊びを概念的に考える上で、ロジェ・カイヨワの本書は必読です。
    社会学の中で「遊び」とか楽しさを確立した第一人者だと思っています。
    ちょっと難しい内容もありますが、ギリギリ読み込める。

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著者プロフィール

(Roger Caillois)
1913年、フランスのマルヌ県ランスに生まれる。エコール・ノルマルを卒業後アンドレ・ブルトンと出会い、シュルレアリスム運動に参加するが数年にして訣別。38年バタイユ、レリスらと「社会学研究会」を結成。39–44年文化使節としてアルゼンチンへ渡り『レットル・フランセーズ』を創刊。48年ユネスコにはいり、52年から《対角線の諸科学》つまり哲学的人文科学的学際にささげた国際雑誌『ディオゲネス』を刊行し編集長をつとめた。71年よりアカデミー・フランセーズ会員。78年に死去。思索の大胆さが古典的な形式に支えられたその多くの著作は、詩から鉱物学、美学から動物学、神学から民俗学と多岐にわたる。邦訳に、『戦争論』、『幻想のさなかに』(以上、法政大学出版局刊)『遊びと人間』、『蛸』、『文学の思い上り』、『石が書く』など多数。

「2018年 『アルペイオスの流れ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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