- Amazon.co.jp ・本 (456ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061589414
感想・レビュー・書評
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日本近代美術史を、単なる西洋化・近代化のプロセスとしてではなく、日本の伝統的な絵画理念が西洋絵画という異なる理念と出会うことによって生じたせめぎ合いとして読み解いている。取り上げられているのは、まずは洋画家から高橋由一、黒田清輝、青木繁、次に日本画の復興に尽力した狩野芳崖、A・フェノロサ、岡倉天心、横山大観、菱田春草、そして富岡鉄斎、藤島武二、山本芳翠の、11人である。
高橋由一論で著者は、いくつかの証拠から高橋がはじめて西洋画図に触れたのが、従来考えられていた嘉永年間ではなく、文久年間だったと主張する。つまり、狩野派アカデミズムの絵画技法をある程度身につけた30代の高橋が、西洋画の技法を学び取り入れようと努力を重ね、その中で「花魁」や「鮭」といった作品に見られる、緊張感を湛えた迫真的な写実的表現が生まれたと著者は理解するのである。
狩野芳崖論とフェノロサ論では、両者が狩野派アカデミズムの絵画に西洋の古典主義美術に近い絵画理念を見ていたことが指摘される。従来、芳崖の代表作である「悲母観音像」については、洋画的な空間解釈や表現への過度な配慮が、その迫力を弱めることになったと評されていたが、著者の議論は、芳崖における洋画の「影響」とされてきたものは、むしろ異なる伝統を持つ絵画理念の出会いがもたらした「共鳴」と捉えるものだということができるだろう。
富岡鉄斎論では、その富士山図とセザンヌのサント・ヴィクトワール山連作とをなぞらえる見方を踏まえながらも、鉄斎の富士を見る「眼」を、陽明学の「格物致知」の伝統や、志賀重昂の『日本風景論』に見られる伝統的美観、実証的精神、理論家への情熱の三者が共存していた同時代の精神史的風土とのつながりの中で捉えなおすという、興味深い試みがなされている。詳細をみるコメント0件をすべて表示