魔術から数学へ (講談社学術文庫)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 18
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  • Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061589964

作品紹介・あらすじ

〈小数〉はどのように生まれたか。〈対数〉は、そして〈微積分〉は? 宗教戦争が猖獗(しょうけつ)を極める17世紀ヨーロッパ、魔女が空行き占星術と錬金術がまだ人の心を揺ぶっていた混沌たる文化パラダイムの中から異形の数学者たちが頭角を現わす。ガリレイ=デカルト=ニュートン=ライプニッツ。著者ならではの余裕と気品の名文が、近代数学成立の数奇な劇を紡ぎ出す。全編に、博学と哲学がしみわたった傑作。

感想・レビュー・書評

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  • めちゃめちゃ面白い。
    残念ながら私の数学知識、歴史知識がないから、おもしろさは半減の半減、それでも面白い。
    学が無いことでおもしろさを感じられないのが、とってもくやしい。

    17世紀となれば、数学の専門家もいなければ、物理の専門家もいない、気になることはなんでもやった。
    今では細分化して、専門的に、より専門的になっているけどね。

    はっきりいって、高校数学、大学受験数学はとてもできた。
    ただ、その意味は知らないものばかりで、
    意味がわからないからこの本のおもしろさがよくわからない。

    わからないままテクニックとして、数学をやっていたのです。
    パズルを解くように。

    この本を読んで、微分積分が実は面白いのじゃないかと。
    テクニックでやっていたけど、なんで微分積分なんてものがあるのか?

    そういうとこが実は面白い。

    テクニックとしての数学を楽しむ人もいるだろうけど、
    そもそも数学は生きてきたなかでの疑問を解決するためにうまれたものです。

    その解答だけ学ぶよりも、その疑問も学んだ方が面白いよね!

  • 西洋思想の成り立ちを数学の観点から読み解いた良著。
    これを読むと今まで読んできたものの視点が少し変わるかも!?

  • ルネサンス期前後〜近代にかけてのヨーロッパを中心とした数学史をゆるく扱った本だが、第3章の対数計算が秀逸。対数は、掛け算・割り算の関係を足し算・引き算の関係に変換する装置という説明は頭では分かっていたつもりだったけれど、桁数を基準に設定(=常用対数)とした時の概算方法はかなり感動した。

  • 数学の発展には、それを取り巻く文化と時代背景があり、錬金術師や魔術と呼ばれていたものから濾過され進化したものだ、という話。
    「数学は言語である」という言葉があるが、まさしくその通りで、その時代その地域の思想と観念に結びついて形作られたのだなと理解することができる。
    無限の概念、異種どうしの積と商など、今では当たり前のように存在している感覚が、当時のパラダイムシフトによって発生したのだという知見は目から鱗だった。

    ただ、正直なところ世界史が(かなり)(ものすごく)苦手な私には、当時の政治と数学者の関係に関して何を言っているかさっぱり分からなかった。
    数学と世界史、両方ともそれなりに興味のある人でないと理解が難しい書籍かもしれない。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/740013

  • 石と砂が、点とそれが連なっていくことで線が出来るイメージの起点となった。直線の誕生が、終わらない果てを作り、その中にいくらでもどのようにでも存在しうる点を内包することで「無限」という発想を登場させた。枠で縁取る、舞台を認識することで空間が生まれる。位置としての入れ物の空間と、位置が瞬間によって変移していくという運動の働きは時間という器の中で存在を新たにしていく。空っぽの空間、空っぽの時間。舞台が出来上がることでその内の無限性が同時に表れ、次にはその内部の一つ一つの点を捉えるというところから、記号としての位置の表示という方法が生まれる。変数ができ、数直線が表され、式という形が取られはじめる。位置と時間が示され、それに運動が相まって、速さや運動自体の量が定義される。物質の量、運動の量、それぞれをかけ合わせることで運動の特徴を表示することが出来るようになり、数学というものが体系となっていく。


    あたかもこの身の回りのあらゆるものと連関していると感じられる実在するものたちを超えて、独立して関係なく成り立っているという概念(世界観)をはじめて捉えられるようになる。それは簡単に言ってしまえば抽象化という方法なのだろう。でも、そうやって観念的なだけではない認識としての世界が立ち上がり、その俎上において世界が更新されていく。いま僕たちが当たり前に受け止めている基本となる認識は、歴史という連なりの中で、哲学する人たちによって、さまざまな地点から飛躍し更新し、構造が定められた。それは世界を広げていくという人間らしい行動の希求の働きだったのだろう。


    概念の誕生、それぞれの更新と拡張によって、数学的世界の認識はいまぼくたちが獲得しているものとなった。それは、これまでのどの時点よりも先端に表れたものと云うことはできるのだろうが、それをもって、確かなただひとつの答えに向かっている途上でのより確かな世界像を捉えているいまだと思い込んでしまうのはきっと違うのだろうと思う。ただただ一端でしかないのだ。デカルトもパスカルもニュートンもライプニッツも、あらゆることを想像し発想し世界を膨らませて世界を捉えようとしていた。沢山の誤謬や勘違いや形にならないものを手にしながら、その内の幾つかだけが哲学的に数学的に形を為して、人間が抱える世界像を更新することに働いただけなのだ。きっと、いま確立しているものだけが必要なのではなく、それからこぼれ落ちるように表れては消えていった様々な認識の煌めきがあって、そうやって存在しうる発想の無限性や自由性こそが、何よりも思考すること、思考し続けることの楽しさを僕たちに与えるものではないだろうか。



    'そこでは、重さと体積を混同する子どもを嘲笑することはできない。おとなだって、魂の底に子どもの心を持ち、中世人の意識を持っているはずだ。すべてのものが、数量化され、秩序付けられた世界、それは人間の意識にとっては、案外に不安定なのかもしれない。

    それに、現代の秩序から、たとえばデカルトの世界を嘲笑することは、さらに愚かなことである。<世界>が、高校の教科書にあるようにだけ把握されることが、正しいとはだれも保証できない。事実、現代の物理学者だって、デカルトの<渦>の世界から、なにかの発想を見いだそうとするという'

  • 光文社の「カッパブックス」の一冊として刊行された本の文庫版です。

    もとのタイトルが「計算のいらない数学入門」だったとのことですが、多少は数式が登場します。まったく数式を使わずに書かれた著者の『数学の歴史』(講談社学術文庫)の試みのほうに軍配をあげたいと思いますが、『数学の歴史』よりはもうすこし親しみやすい文章で、ルネサンスからデカルト、パスカル、ニュートン、ライプニッツの時代までの数学とその思想的・文化的意義について解説がなされており、おもしろく読むことができました。

    数学が苦手な読者にも、数学の文化史のおもしろさが伝わる本だと思います。

  • 数学という枠組みができるのにも当然プロセスがある、今みたいなんじゃない数学の雰囲気があったってことがわかる。

  • 面白い本なのだと思います。しかし、僕には十分読みこなせませんでした。

  • 数学史のような内容。
    面白いけれど、…対数って何だっけ…?

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著者プロフィール

1928年東京生まれ。数学者。東京大学数学科を卒業。京都大学教養部で教鞭を執り、民間の数学教育運動にも参画した。京都大学名誉教授。数学科関係の主な著書として『数学の歴史』(講談社学術文庫)、『微積分の意味』(日本評論社)、エッセイ・自伝に『まちがったっていいじゃないか』(ちくま文庫)『自由を生きる』(東京新聞出版局)ほか多数。2010年7月逝去。

「2021年 『悩んでなんぼの青春よ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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