レトリック感覚 (講談社学術文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (332ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061590298

作品紹介・あらすじ

アリストテレスによって弁論術・詩学として集大成され、近代ヨーロッパに受け継がれたレトリックは、言語に説得効果と美的効果を与えようという技術体系であった。著者は、さまざまの具体例によって、日本人の立場で在来の修辞学に検討を加え、「ことばのあや」とも呼ばれるレトリックに、新しい創造的認識のメカニズムを探り当てた。日本人の言語感覚を活性化して、発見的思考への視点をひらく好著。

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  • レトリックとは、ことばをたくみにもちい、効果的に表現すること、そしてその技術

    レトリックの目的は、2つ
    ・説得の技術であること
    ・芸術的は、あるいは、文学的な表現の技術であること

    ローマで集大成したレトリックの理論システムは5科目
     ①発想:アイデアを発見する
     ②配置:序論―陳述ー論証ー反論ー結論
     ③修辞:表現方法
     ④記憶:話ことばとしての記憶術
     ⑤発表:発表の仕方、顔、姿勢、手のあげかた、所作
    そのうち、現代のレトリックとは、③の修辞にあたる

    比喩の種類について紹介しました。まとめると以下のようになります。

    直喩:シミリー、シミリーチュード Simile 「~のような」「~みたいな」などの直接的な表現を使って、わかりやすく例えること
    隠喩:メタファ metaphor 「~のような」「~みたいな」などの表現を使わずに、あるものを別のもので例えること
    換喩:メトニミー metonymiy何かを表現するとき、その事柄と深く関係しているもので置き換えること
    提喩:シネクドキ synecdoche 上位概念を下位概念で、または下位概念を上位概念で表すこと
    誇張法:Hyperbole 主張を大げさにする修辞技法のこと。 誇張法は、強い印象を想起させる、あるいは強い印象を生むのに用いられる。文字通りの意味に取るものではない
    列叙法:Accumulatio あらかじめ作られたポイントを、簡潔かつ力強い方法で再び表す修辞技法のこと。スピーチの総括での漸層法使用に用いられることが多い
    緩叙法:Litotes 修辞技法の1つ。直接的な主張をせずに、その逆の意味のことを否定する方法をいう

    他 対句、擬人法、擬態法、倒置法

    和歌のレトリックは、 掛詞、枕詞、助詞、縁語、本歌取り、体言止め、見立て、折句、句切れ、対句、反語、呼びかけ

    目次
    序1 レトリックが受けもっていた二重の役わり
    序2 レトリック、修辞、ことばのあや
    1 直喩
    2 隠喩
    3 換喩
    4 提喩
    5 誇張法
    6 列叙法
    7 緩叙法
    本書のなかのおもなレトリック用語
    おもな引用文献
    あとがき
    佐藤信夫または ことばへの信頼(佐々木健一)

    ISBN:9784061590298
    出版社:講談社
    判型:文庫
    ページ数:332ページ
    定価:1230円(本体)
    発行年月日:1992年01月
    発売日:1992年06月10日第1刷発行
    発売日:2018年06月12日第44刷発行

  • これまでレトリックを胡散臭いもの、口のうまい人の武器のようなものと捉えていた。しかし本書によって、従来からある言葉では表しにくいような新しい発見や概念をできるだけ忠実に表現するために発達した技巧である、と捉えることができるようになった。
    よって(遅ればせながら)、今後の読書の楽しみとして文章表現の面白さを味わうという意識を持つことができた。

  •  レトリック-言葉の文彩(あや)について、実際の小説の一部をなど参考にしながら、表現のもたらす意味やその役割について考察していく本である。この実例が非常に分かりやすく、軽い気持ちで手に取った人にも納得させてしまうような説明を繰り広げてくれる。加えて、著者の気持ちが伝わってくる軽やかな説明口調が心地よい。

     直喩は、共通認識を確認、隠喩は相手にゲーム性を求めるものである。ゆえに、小説などでは読者はそのゲーム性を楽しんでいるのだ。換喩は、対象の一部をズームして表現すること、提喩は並列・直列(または、および~)の事である。
     誇張法は、文字通り大げさに表現することである。ここでは、相手に間違いを伝えていることになるか否かを議論している点がある。個人的には、大げさな表現を使うことで、相手も誇張を理解するので、嘘ではないと考える。
     列叙法は、言葉を重ねることで対象を表現すること列挙法と徐々に文章を長くしていく漸層法がある。個人的には、列徐放の使い方によって、イメージがダイナミックに変動していく特徴があって好きだが、一つ誤ればただ淡々とした文章にもなってしまう懸念が考えられる。
     緩叙法は、~ではない。と肯定できないが、一つの事柄に決定できない時に使われる表現である。政治家の答弁などで多様されている様に思う。

     これらの表現を日常に意識的に組み込むのは、難しいように感じる。ただ、知識として持っておくだけで、日常の景色の見方に変化をつけることができるのではないだろうか。

  • 夏目漱石やドンキホーテに感じた軽快な文章の面白さ、情景が浮かびやすさ は直喩のうまさ であることを実感

    太宰治やシェークスピアは 隠喩が多いから 読み手として、これは何を意図しているのか 迷うことが多い気がする

    もしかして、今まで 読み切れなかった本のうち、レトリックを知っていれば 楽しかった本があったかもしれない。本の読み方が変わりそう

    日本屈指のレトリシャン 石川淳の本を読んでみたい

  • 【抜き書き】
    ・引用者(Mandarine)による中略は〔……〕で示した。

    □「序章1」から
    ―――――――――
     二十世紀という時代を人々がレトリックなしでスタートしようとした、その理由の半分はたしかに「古典レトリック」のがわにあった。その技術体系は、精密化すると同時にすでに自己矛盾におちいりはじめていたのだった。
    〔……〕
     規則性あるいは形式性に注目し、目を見はったレトリック研究者たちは、みごとに独創的な表現(多くの卓越した文学作品や論述)を集め、けんめいに分析し、そこから技術体系を組み立てていった。古典的名作の研究である。
     そして、気がついたとき、模範的作品から抽出された理論は模範としての拘束力をもつはずだ……と錯覚するようになっていた。そして、ほれぼれするほどに精製された古典レトリックは、かつて文法にさからったり文法をからかったりしていたことをけろりと忘れ、模範文法と並びきそって、作文を法的に支配しようとしていた。弾力性を身上としていた当のレトリックが、いつのまにか、石あたまの教師としてふるまいはじめた。やがて見捨てられることになるのも、当然といえば当然のなりゆきであった。
     とはいえ、老いた教師の学識を惜しげもなく捨て去り、そこから何ひとつ学ぶ必要はないとまで思い上がった、その愚行の責任の半分は(きっと半分以上は)二十世紀の生徒たち、私たちにある。
    〔……〕
     森羅万象のうち、じつは本名をもたないもののほうがはるかに多く、辞書にのっている単語を辞書の意味どおりに使っただけでは、たかのしれた自分ひとりの気もちを正直に記述することすらできはしない、というわかりきった事実を、私たちはいったい、どうして忘れられたのだろう。本当は、人を言い負かすためだけではなく、ことばを飾るためでもなく、私たちの認識をできるだけありのままに表現するためにこそレトリックの技術が必要だったのに。
    ―――――――――
    (『レトリック感覚』pp. 25-26)


    □5章「誇張法」から
    ―――――――――
     言語は本来、うそをつくためのものではない。その言語にことさらにうそをつかせるのは、第一の、言語への反逆である。うそはばれぬようにつくベきものだ。そのうそを、ことさらにうそとわかるようにつくのは、第二の、うそへの反逆である。誇張法は、二重の謀反によって、表現による表現自身への批判となった。
     「支配人は総金歯をにゅっとむいて笑ったので、あたりが黄金色に目映く輝いた」という表現は、言語自身が言語のいたらなさのパロディーをおおげさに演じることによる、自己自身への批評なのだ。二重の謀反によるすぐれた自己批評を内蔵した誇張法が、しばしば上質のユーモアを生むゆえんである。いっこうに自己批判をふくまぬ俗悪な誇張法が、誇張法でもなく、巧妙なうそでさえなく、ただのできそこないのうそになってしまうのも、また事実であった。誇張法ではなく、粗雑なうそが、胸をむかつかせる。
     人をだますためのうそはやはり罪悪である。それは、うそが私たちの文化を根底からおびやかすからだ。
     ただの事実あるいは自然には、うそがない。事実や自然は表現以前の存在だから、どんなに乱雑な事実も、どれほど暴力的な自然も、ただありのままにそうなのである。
     人間は自然を人間的な記号=言語によって表現し、分類し、整理し、つまり秩序づけることによって文化を成立させたと言われる。まことにそのとおりであろう。
     私たちは記号=言語によって自然のなかに秩序を読み取り、たとえば過去のできごとを統計し、将来のできごとを予測する。人間という生物にもその操作を加え、過去においていつも乱暴だった床屋には「乱暴者」という記号=言語をわりつけ、その人がらの統一性を要請し、その親方はこの次に行ってみてもやはり乱暴であろうと予想する。何のことはない、それは約束のようなもので、こと乱暴な床屋にかんしてはその約束は破られたほうがうれしいにはちがいないけれど、しかし、約束が守られなかったときには少々意外な気がするはずである。
     文化とは記号の体系であり、記号をささえるものは約束と信用である。その点にかんするかぎり、言語のように心細いけれど大切な記号も、貨幣のようにたのもしいけれど味気ない記号も、ちがいはしない。行くたびに態度の豹変する床屋や、使うたびにすっかり意味の変わってしまうことばや、預けた金をおろさせてくれない銀行は、私たちの文化をおびやかすであろう。
     うそとは信用への裏切りである。うそは言語にとっての脅威である。
     だから、私たちは言語=文化を維持するために、うそを憎む。誰ひとり、決してうそをつかぬ社会があれば、それが言語=文化にとってひとつの理想状態である、と思う。しかし、それは一種の理想にすぎないから実現の見込みはない。人間の本性がひねくれているからでもあろう。が、もっと本質的な理由は、言語の本性が虚偽をふくんでいることであり、それに加えて、言語とは《元来うそをつくことのできるもの》だ、ということである。それは言語あるいは記号の重要な定義のひとつでもある。自然の事実はうそをつかない、のではなく、うそがつけないのだ。記号体系あるいは文化とは、自然的事実に《うその可能性》を付与することによって成立した。うそへの恐怖、信用維持への努力こそ、記号、言語=文化の一条件であった。
     言語や文化がときに人を疲れさせるのは、信用の体系を維持するために不断の努力が必要だからである。その努力がみのって、(ありえないことだが)万一理想的な、うそのない世界が出現してしまったら、言語はうその可能性を失ったかのように見えるだろう。そしてたちまち、言語は言語ではなくなり自然の事実となってしまうだろう。
     そんな理想郷は存在しない。しかし、すでに理想状態は達成されているのだと思い込む、困った錯覚は存在する。自分はうそつきではないから、いまだかつてうそをついたことはないし、今後も決してつかないだろう……と平気で断言できる人々、言語をもちいながら個人の意志と信念で虚偽を語らずにすますことができると信じ込んでいる楽天家が、地上にあふれている。そういう人々にとっては、言語も文化も、じつは言語でも文化でもなく、うそをつかぬ《自然》に近い。本当にそうなら結構なことこの上ないが、悲しいことにそれは錯覚にすぎない。不断の努力と多少の疲れと意外な喜びをともなわぬ言語――すなわちレトリックを忘れて平然としている言語――は、文化を擬似自然に仕立てあげる。極端な場合にはスローガンをも自然現象として受け取りかねない言語意識は、自覚症状のない恐るべきやまいではないか。
     健全な状態にある言語には、その本来の性癖である《うそへのおびえ》がつきまとっているはずだ。〔……〕
     誇張法は私たちに、言語の本質的なうその可能性を思い出させてくれる。それは、信用維持のための私たちの不断の努力をあざわらうという、意地の悪いパロディーによって、その疲れをいやしてくれることがある。誇張法によって、なぜかほっとしたり、胸のつかえの消えるのを感じる場合がある。
    ―――――――――
    (『レトリック感覚』pp. 235-238)


    【目次】
    目次 [003-005]

    序章1 レトリックが受けもっていた二重の役わり 009
    序章2 レトリック、修辞、ことばのあや 027

    第1章 直喩 062
      直喩の構造 062
      直喩の多様な姿 084
      どこから直喩ははじまるか 095

    第2章 隠喩 100
      隠喩の構造 100
      隠喩と直喩と 108
      類似関係に依存する 117
      言語体制に組み込まれる隠喩 125
      隠喩の弾力性 132

    第3章 換喩 140
      換喩の構造 140
      古典レトリックにおける換喩 147
      隣接性による表現の流動 155
      換喩の多様な姿 165

    第4章  提喩 172
      提喩の曖昧な伝統的概念 172
      全体と部分……の分析 181
      認められなければならない提喩 189
      類による提喩とその構造 194
      認識の中の提喩性 205
      種による提喩 210 
      比喩あるいは転義について 213

    第5章 誇張法 218
      誇張法の評判 218
      嘘と誇張法 225
      表現自身への批判であるような表現 233
      心情的な誇張法 238
      論理的な誇張法 245
      誇張法と緩叙法など 249

    第6章 列叙法 252
      つみかさねる表現 252
      ことばを羅列する列挙法 259
      段階的にのぼってゆく漸層法 268
      連鎖漸層法その他 278

    第7章 緩叙法 285
      反義表現を否定する 285
      二重の否定 294
      否定について 303
      対義語の発見 308

    本書のなかのおもなレトリック用語――日本語・ヨーロッパ語 対照表 [317-319]
    おもな引用文献 [320-323]
    あとがき(昭和五十三年八月 佐藤信夫) [324-325]
    佐藤信夫 または言葉への信頼――佐々木健一 [326-332]

  • 第45回アワヒニビブリオバトル「ことば」で発表された本です。
    チャンプ本
    2018.11.06

  • 佐藤信夫著『レトリック感覚(講談社学術文庫)』(講談社)
    1992.6発行

    2017.10.18読了
     ずっと読みたいと思いつつも手が出せなかった本。本書のほかにも『レトリック認識』『レトリックの記号論』『レトリックの意味論』『わざとらしさのレトリック』という姉妹本があり、一冊に手を出してしまうと、他のも全部読みたくなってしまうので、いつも本屋に寄る度に飲み残した酒を眺める気分でいたが、今回は思い切って購入。
     やはりと言うべきか抜群に面白い。普段分かった気で使っている言語のいかに奥深いことか。にも関わらず、暗黙のうちにコミュニケーションがとれてしまう不思議さ。次は『レトリック認識』に挑戦。

    URL:https://id.ndl.go.jp/bib/000002188218

  • もう20年以上前、国文学部の大学生だった頃、大学院生に薦められて読んだ本を再読。

    当たり前に使っている言葉や何気なく読んでいる文章に潜むレトリックを紐解く。

    言われてみれば納得だけど、普段なかなかそうは思い至らない視点。
    専門書寄りの内容ながら、難しすぎない。

    読むこと以上に書くことに役立つ内容だと思う。

  • お友達が読んでいて面白そうだったので手に取りました。アリストテレスによって弁論術、詩学として集成され、近代ヨーロッパに受け継がれたレトリックは言語に説得効果と美的効果を与えようという技術体系であったが、その後、消滅してしまう。著者はレトリックが「新しい創造的認識のメカニズムの探求であった」と再認識し、ことばのあやとして、直喩、隠喩、換喩、提喩、誇張法、列叙法、緩叙法に分類し、様々な文学作品から引用をしながら解説。普段、無意識に使ったり、読んだりしている中に多くのレトリックが使われているのを知って興味深く思いました。そしてレトリックが言葉に、文章に活き活きとした豊かな表情を与えてることも改めて知り、言語の多彩な有り様を感じました。

  • (2)猫は猫でない、の修辞について
    *走ることの最も遅いものですら最も速いものによって決して追い着かれないであろう。なぜなら、追うものは、追い着く以前に、逃げるものが走りはじめた点に着かなければならず、したがって、より遅いものは常にいくらかずつ先んじていなければならないからである
    (アリストテレス全集 自然学から引用)

    問.アキレスは亀の何を追いかけているのか。

    ○運動するが変化しない
    どんなにアキレスと亀の間に距離があってもアキレスが最も速いものであり亀が最も遅いものであるのだから、アキレスは亀にいずれ追いつくと仮定する。しかし追いつかれた亀がアキレスの意欲した瞬間のあの亀と同じだとは限らない。例えばアキレスが亀に一年間かけて追いついたとする。このときアキレスが亀に追いつこうと意欲した瞬間の亀は生涯独身を貫いていて、一年後の亀は結婚して離婚したとする。だとすればアキレスが追いつくことになるのは「結婚して離婚した亀」であって「生涯独身を貫く亀」ではない。両者は同じ独身であっても別様の亀なのだから有限の速さで追いかけるのであれば生涯独身を貫く亀に追いつけない。同様にアキレスが10歳の少年を70年かけて追いついたとしても、そこで追いつかれるのは80歳の老人であって10歳の少年ではない。これと全く同じことが亀や少年から見たアキレスにも言えるわけだから、「アキレスが亀に追いつく」という表現は実態に即したものではなく、文字通りには「既にこのアキレスでないものが既にあの亀でないものに追いつく」となる。反対にアキレスが亀を追いかけているのなら、それは変化しないものが変化しないものを追いかけている。変化しないものとはアキレスと亀に最初に与えられた名前と速さのことで、最も速いものと最も遅いものという規定が運動するよりも前に変化の可能性から外されている。

    ●変化するが運動しない
    したがって、ここで考えられる変化とはアキレスや亀の個々の状態について言われる変化ではなく両者の関係の変化である。つまり追いかけるアキレスが後ろで追いかけられる亀が前というその前後関係が変化の対象になるわけで、アキレスが亀に追いついた状況は、亀がアキレスに追い越されて前後関係が反対に変化する直前の転換点として理解される。そのため大事なことはアキレスが亀に追いつくかどうかではなく、前後関係が反対に変化することなのだから、これによってアキレスと亀の運動は余分なものになる。つまり「五分後にアキレスは亀に変身[変化]し、亀はアキレスに変身する」と最初から決まっているのであれば、わざわざアキレスは亀に向かって動く必要がなくなる。その必然的な変身によって見ため上はアキレスと亀の前後関係が反対になる。また偶然的な変身によりアキレスがたまたま亀になり、亀がたまたまアキレスになれば同じことなのだから結局のところアキレスと亀は自分たちがそれぞれ反対のものへ変身する瞬間をずっと待っていればよいので、アキレスは亀に追いつかなくても構わない。以上のように、アキレスと亀の問題は運動と変化の齟齬として理解できる。すなわち運動するときはアキレスがどんなに速く迫っても、追いつかれた亀は少しだけ未来の亀であって、追いついたと言えるためには現在から未来のあらゆる亀を同じ一なる亀として見做さなければならず、運動するより前に変化を否定することになる。また変化する対象が前後関係である場合には、アキレスと亀が文字通り反対に変身することでアキレスが亀に追いつく転換点を通過しなくなるわけで、運動すれば変化が否定されねばならず変化すれば運動が不要なものとなる。

    ○推移性と非推移性
    それではアキレスと亀の運動とは具体的に何であるのかと言うと、それは「徒競走」である。そして徒競走という運動を構成している性質として速さが与えられて、それぞれ「最も速いもの」と「最も遅いもの」に規定される。ここでアキレスほど速くもなく亀ほど遅くもない存在としての「私」がアキレスと亀の間に位置している、と考えてみる。すると進行方向に沿って直近の走者同士の速さを比較するとき推移的な関係が成り立つ。
    (a1)アキレスは私より速い
    (b1)私は亀より速い
    (c1)アキレスは亀より速い
    もとよりアキレスは最も速いものであり亀は最も遅いものなのだから(c1)は当然のことなのだか、大事なのはアキレスは亀よりも速い、と言うときアキレスでもなく亀でもない私の存在は既に飛び越されて言明しているということである。別の言い方をすればアキレスと私と亀がそれぞれの一定の速さで徒競走をしているとき、私がアキレスと亀の間に位置している必要はなく、例え私がアキレスの後ろに位置していても、または亀の前に位置していても(a1~c1)の推移は成立する。つまり私の位置と無関係にアキレスは亀よりも速く進むのだから、それによってアキレスは亀に近づいて行く。しかし徒競走という運動を構成している性質は速さだけではなく、「順位」もまた徒競走を構成する性質の1つである。速さの場合と同様にアキレス、私、亀の三者がいるとき自分より上の順位を追い越す可能性についての関係は次のように表わされる。
    (a2)3位は2位を追い越せる
    (b2)2位は1位を追い越せる
    (c2)3位は1位を追い越せない
    どんなに3位が速く運動して1位が遅く運動しても3位が1位を追い越すことはできない。なぜなら、ある順位の者を追い越す可能性をもつのはその順位の直後の順位の者と自分と同じ順位の者だけだからである。例えば学年最下位が猛勉強をしてテストで学年トップになったとする。しかしこれを「学年最下位が学年トップを追い越した」と表現するのは誇張を含んでいる。というのも実際には学年最下位はまず1つ上の順位の者を追い越し、さらにもう1つ上の順位の者を追い越し、そうやって1つずつ順位を繰り上げていって学年2位となり学年トップを追い越すからである。これに対して「頭のよさ」の場合はアキレスが私より頭がよく、私は亀より頭がよいのなら、そのまま推移してアキレスは亀より頭がよい。徒競走で追い越すためには速さが必要なので(a2~c2)は(a1~c1)を前提としているが、速さの推移性と順位の非推移性は中間の走者の位置取りに関して別の特徴をもっている。つまり頭のよさの推移性と違って学年順位の非推移性が成り立つためには3位のアキレスと1位の亀の間に2位の私が必ず位置していなければならない。これはアキレスと亀の運動における変化の対象が前後関係ではなく順位関係であることを意味している。ところで、ある瞬間に突然3位のアキレスが亀に変身[変化]して同時に1位の亀がアキレスに変身したとする。これを順位変動の有限性の観点からみると何らかの不正な手段によってアキレスと亀がいつの間にか入れ替わったと判断する他ないだろう。あるいはもし、3位のアキレスと2位の私が変身し合って、同時に2位の私と1位の亀も変身し合ったとするとアキレスは2位の位置で亀に追いつくことができるが、その一方で2位であった私は3位と1位に分裂して存在するという奇妙な光景がうまれ、アキレスが変身した私のほうは3位ではなく繰り下げ4位となってしまう。つまり順位変動が妥当であるためには3位のアキレスが2位の私を追い越すか、あるいは1位の亀が2位の私に追い越されるかした上で最も速いアキレスが最も遅い亀を追い越さなくてはならない。アキレスと亀の間にいる走者を1つずつ媒介にして順位の上げ下げを複数回おこなうことがアキレスと亀の運動を徒競走として理解する要点である。そのため亀の婚姻歴や老人と少年の年齢差は変化の対象として数えられず、順位の非推移性が運動の契機となっている。

    ●亀は2匹いる
    そこで2位の者と1位の者を一纏めにして「先頭集団」と呼んでみる。すると3位の者が2位の者より速ければ1位を含む先頭集団へ問題なく追いつくことができそうに思えるが、必ずしもそうなるとは限らない。というのも3位よりも下の順位の者を一纏めにした「後方集団」が3位の者を追い越す可能性があるからである。そうなれば先頭集団を追い越せるのは後方集団であってかつて3位だった者ではなくなる。そこで次に3位の者を後方集団に含めて「3位を順位の上限とする後方集団」と「3位より上の順位による先頭集団」に二分してみる。すると後方集団と先頭集団の間にそれらとは別の走者がいなくなるわけだから、後方集団は先頭集団に追いつくことができる。しかるに上記の考え方は徒競走における推移性と非推移性の区別を失効させるものである。走者の全体を「アキレスの順位を上限とする後方集団」と「アキレスより上の順位による先頭集団」に二分するとき、前者は形式的に2位となり後者は形式的に1位となる。そのように順位関係が規定されることによって、徒競走という運動の性質である(a1~c1)と(a2~c2)の並存は(c1)と(b2)の等しさへ還元して片付く話になってしまう。しかしアキレスと亀の運動では順位関係は既定されておらず不定なのだから、上記の考え方では「後方集団のアキレスは亀のいる先頭集団に追いつく」と言うことはできても「このアキレスはあの亀に追いつく」と言うことはできない。別の言い方をすると上記の考え方はそれぞれの集団内での順位変動を捨象することで成り立っているのである。もしアキレスが1人であるとするならば、(a1~c1)と(a2~c2)の並存する性質を満たす徒競走の運動を充分に表現するためには亀が2匹以上いないといけない。アキレスが亀に追いつこうと最初に意欲したとき、前方には2匹の亀がぴったりと重なり合っていた。繰り下げ3位のアキレスは自分が3位であることに気づかずに亀を追いかけるが、その間に同位置首位の2匹のうち競争心の強い1匹の亀が単独首位を狙ってわずかに速さを増す。必然的に2匹の亀は1位と2位に分かれ、やがて三者の中で最も速い3位のアキレスは最も遅い2位の亀に追いつくが、そのときアキレスは前方に亀が先んじていることを認め自分が2位であることに気づく。そしてアキレスは再び意欲して亀を追いかけるのだが、この新たな徒競走において前方の亀がいったい何匹重なり合っているのか、それとも1匹だけなのか当のアキレスには知るよしもない。冒頭のパラドックス語りというのは例えるなら予告編だけを見て本編を語っているようなものであって、それぞれの走者に順位が伴ってこそ徒競走の運動は順位の変化と共に語られるのだから、
    (追いつかれる)亀は(先んじている)亀でない
    ⇒(2位の)亀は(1位の)亀でない
    以上のように、アキレスと亀々の運動はそれが徒競走である限りで推移性と非推移性の区別を亀の自己否定を媒介にして表現されるため、3位のアキレスは2位の亀に追いつけるが1位の亀に追いつけない。
    [21.1222]

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