アメリカの大学 (講談社学術文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (306ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061591011

作品紹介・あらすじ

伝統あるドイツの大学を範としながらも、自由を重んじたアメリカの大学は、極めて多種多様な価値観と指向性をもつ新しい高等教育の場として登場、発展してきた。ハーバードやイエール、シカゴなど、アメリカを代表する大学の成立と変革の歴史をたどり、理想に燃えたアメリカの大学人の情熱と努力の軌跡をみる。複雑、かつ巨大化している今日の大学の原点を見つめ、真のあるべき姿を追求した好著。

感想・レビュー・書評

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  • 久しぶりに再読。恩師、潮木守一先生の文章を読みたくなった。「高等教育の一大実験場の観を呈した」19世紀アメリカの大学を概観し、多様な価値観・指向性をもった教員と学生が結託したり、反撥したりする“修羅場である大学”の原点を振り返る。今なお世界の高等教育をリードし、超大国であり続けるアメリカの過去に、今後ますます複雑・高機能化する大学が見習うべき点は多い。

  • 298円購入2018-06-04

  • 本書では、1820年から1910年までのアメリカのカレッジ・ユニバーシティの様子が描かれている。
    19世紀のアメリカでは、裕福な家庭の少年が15-16歳になると全寮制のカレッジに通った。寮では独身の教師が親代わりとなって(in loco parentis)、学生を監視する「子供の学校」だった。そこで行われる授業は、ギリシャ語・ラテン語のテキストの復唱(recitation)と翻訳の連続で、教師は各学生の出来をチェックするだけであった。ただ、最上級生が受ける「道徳哲学」は、心理学・経済・法制・倫理・宗教など様々なことが盛り込まれた一種の「帝王学」で、学長が担当するものと決まっていた(p.32)。カレッジは「人格の陶冶」が表向きの目的であったのだ。
    一方、ドイツの大学をモデルに、伝統的なカリキュラム見直し論もあったが、1828年の「イエール・レポート」にみられるように、擁護論が主流であった。農業・工業の発展と共に、1850年頃には自然科学・技術の教科が置かれるものの、正当なカレッジ教育の柱としては認められなかった(3年課程、学位はBS)(p.111)。

    1880年代には、ハーバード・カレッジのエリオット学長が、「自由選択制」を導入し、カリキュラムは大きく変化する(p.136-137)。「一般教養の重視、特殊化された専門否定」が謳われた(p.139)のだ。これが日本の戦後の新制大学において「リベラルアーツ=一般教育(General Education)=(幅広い)教養」の誤解に繋がったのではないかと思われる。

    大学院に関しては、イエール・カレッジが1847年に大学院コースを、1860年に博士課程を設ける。ハーバード・カレッジが、1872年には Graduate Departmentを開設し、修士、博士の学位を授与することとなった。しかし、大きな転機は1876年のジョンズホプキンス大学(大学院を中心とする)の出現であった。
    こうして、1880年代以降、ハーバード大学において、「Publish or Perish Policy」や「Up-or-Out Policy」が登場。旧来の伝統的カレッジ体制から、研究志向大学へと変容する。そして、大学規模の拡大もあわさり、大学教師の間で「教育型教師」「研究型教師」「運営型教師」「課外活動型教師」といった諸類型が登場し、アイデンティティーの葛藤が生まれるようになる。大学とは要するに、こうした多様な価値観・指向性を持った教師・学生の群れであり、彼らが互いに結託したり、反撥したりする修羅場なのである。アメリカの大学の過去の問題が、機能分化が進まない現代日本の大学の深刻な問題を浮き彫りにしているようである。

  • 1993年(底本1982年)刊。世界中から優秀な学生を集める米国大学。しかし、昔はそうではなかった。本書は1820~1920年代の米国の大学の歴史的変遷を明らかに。教育至上主義と研究至上主義との間を教育理念が振り子のように振れる模様と人文科学から理工科学への遷移が活写。現代にも相通じる理念的対立や変遷がかつても存在した。つまり今も昔も大学教育の根本問題は同じということになろうか。大学対抗スポーツ(この場合はアメフト)が大学の大衆化と宣伝に寄与した点も興味を引く。著者は名古屋大学大学院国際開発研究科教授。

  • 本書で述べられている、アメリカの大学改革は、一言で言うと、学生と教師が自ら学習/教育/研究していくための、カリキュラムのたゆまぬ変革といえるのではないか。
    その時々で、教員や学長ないし設置者が、先進的な行動を取り続け、今日の世界の大学に様々な影響を与えているのは周知のとおりだ。
    今の我が国の高等教育改革も、明治の先人達がそうしたように、諸外国の例を十分検討し、実行に移す必要があると思う。
    以下の見出しは何れも我が国でも当てはまる事柄だろう。

    (数々の学則の改正)
    学生の学習意欲を高めるため、学科を制度化し、選択科目を一定の範囲で認めた。
    古典的な科目の他に地域社会の様々な階級の需要に応じる教科の設定
    自由選択制は学問を育てる。
    実益性、研究、教養は互いに排斥し合う。→しかしこのバランスを取らなければならない。

    (商業・工業・農業等産業と大学の関係)
    19世紀ボストンでは商人階級が大学に多額の寄付を通じて名誉を獲得した。ケンブリッジ・インテリ階級の距離が近づいた。
    ハーバードはマサチュセッツの新興工業を、イエールはコネティカットの農業を背景として登場した。

    (研究大学)
    ジョンズ・ホプキンス大学:ボルティモア・オハイオ鉄道会社の大株主のジョンズ・ホプキンスの遺産により設置された。カレッジは他に多数あったので、アメリカ最初の大学院大学となった。
    ギルマン:ジョンズ・ホプキンス大に着任する前に、イエールでモリル土地法を最初に活用した大学改革・運営を担当していた。
    研究:1つのテーマを設定し事象を調査し、そこから独創性を競い合う行動様式であり、アイディアや規則性の発見を目指した。

    (高等教育のコンツェルン)
    シカゴ大:カレッジ教育、大学院教育、専門職業教育、地域社会サービス、出版を実施。ロックフェラーが寄贈し、ハーパーが学長となった。

    (教員の類型)
    舎監ポリス型、専門研究型、教養型、雄弁型、ショーマン型、学内行政型、管理屋・事務屋型、学外活動型

    なお、アメリカの大学がドイツの影響を受けたということは知っていたが、その理由は本書を読んではじめて明らかになった。イギリスの大学ではイギリス国教徒しか学位プログラムを受けれない、フランスは堕落と誘惑と花の都、残るはドイツで生活費が安く、博士の学位が取りやすかったこということだ。

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著者プロフィール

1934年、神奈川県生まれ。現在、桜美林大学大学院国際学研究科招聘教授。教育社会学専攻。
[主要著書]
『世界の大学危機』(中公新書、2004年)、『大学再生への具体像』(東信堂、2007年)、『フンボルト理念の終焉?』(東信堂、2008年)など。

「2008年 『ベトナムにおける初等教育の普遍化政策』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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