終焉をめぐって (講談社学術文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (292ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061591790

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  • 大学4年の就職活動の最中、多分、日本橋丸善で偶然手に取った記憶。昭和、社会主義、バブル(実際には未だ終わっていなかったが当時は誰も認識出来なかった事が重要)がほぼ同時に終わりを迎える一方、自分がどのように生きていくべきか、何を生活の糧にしていくのかわからぬまま只々漂っていた時期に、その思考の深さに引き込まれ、柄谷だけではなく文芸評論全般と哲学の面白さを知る機会を与えてくれた書籍。今では、この分析の的確性を評価できないが、自分にとっては恐らく、とても重要な問題提起をしてくれたと思う。当時の時代感を感じて頂くには良いのではないか。 

  • 柄谷行人の「終焉をめぐって」の「村上春樹の風景-『1973年のピンボール』」の章では、村上の作品はポストモダンではなく、まっとうな近代文学であり、それは国木田独歩から始まる『風景』を描いている小説であるという批評がなされていた。柄谷が言うように超越論的で独我的な魂は安全な場所に置かれたまま大きな意味のある歴史は終わった、つまり『喪失』として村上の小説は描かれる。そして、そこには内面の闘争はない。彼はそれを反復させていく。ある意味での近代文学にあったものとして。内面との闘争とはつまり、世界との闘争と言い換えることができる。村上の小説的な風景は今日では当たり前のように日本に存在している。そのような時代に生まれ育った若い作家の作品がライトノベルと呼ばれ、さらに若い世代に需要されているのは潮流として当然の帰結であろう。しかし、それがすべてではない。虚構の空間に閉じこもり反復を貪るか、世界に負けても尚戦い挑んでいくか、私は後者でありたいと思う。

  • [ 内容 ]
    移動する思想家・柄谷行人が見た終焉とは?
    1989年にはさまざまな《終り》があった。
    昭和が終り戦後体制の終りがあった。大江健三郎や村上春樹らの読解を通して終焉の意味と無意味を明視した文芸評論集。

    [ 目次 ]
    第1部 固有名をめぐって(1970年=昭和45年―近代日本の言説空間;大江健三郎のアレゴリー―『万延元年のフットボール』;村上春樹の「風景」―『1973年のピンボール』)
    第2部 終焉をめぐって(同一性の円環―大江健三郎と三島由紀夫;歴史の終焉について;死語をめぐって;歴史と他者―武田泰淳;小説という闘争―中上健次;死者の眼―森敦;漠たる哀愁―阿部昭;近代の超克について―広松渉)

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 色々な意味で衝撃だった。
    書いてある日本語がこれほど分からなかったのは初めてだった。
    脳のトレーニングをはじめることにした。

    2002年6月1日読了

  • ¥105

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著者プロフィール

1941年兵庫県生まれ。東京大学経済学部卒業。同大学大学院英文学修士課程修了。法政大学教授、近畿大学教授、コロンビア大学客員教授を歴任。1991年から2002年まで季刊誌『批評空間』を編集。著書に『ニュー・アソシエーショニスト宣言』(作品社 2021)、『世界史の構造』(岩波現代文庫 2015)、『トランスクリティーク』(岩波現代文庫 2010)他多数。

「2022年 『談 no.123』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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