ラケス (講談社学術文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784061592766

作品紹介・あらすじ

ソクラテスを中心に、二人のアテネ市民とその息子たち、ラケスとニキアスという高名な二人の将軍たちのあいだで「勇気とは何か」を主題に展開される対話。息子たちの教育法にはじまる議論が、ソクラテス一流の誘導により、ソクラテス自身を含めた一同の「勇気」に対する無知の確認に導かれる。

感想・レビュー・書評

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  • ある日、リュシコマスはラケス、ニキアスの2将軍を招き、息子に重武装武闘術を学ばせるべきかどうかを問うた。ん!?そうか、今回のお題は重武装武闘術を学ぶべきかどうかかあ。(笑)
    それに対してニキアス、ラケスはそれぞれ「役に立つし勇敢にもなる」「いや無駄だし有害」の相反する答えを行う。そこにひょっこり付いてきていたソクラテスは意見を求められると、2将軍はその質問に正しい答えを出せるだけの専門家か?という失礼な話をし出す。(笑)そしてその専門家とは結局のところ、AにBを加えれば優れたものになるのを知っているもの、すなわちそうした「徳」が何であるかを知っていて話すことができる者であるというソクラテスお得意の問題のすり替えを行う。やはりそうなるのね!(笑)そして、さらに「徳」をお題にするのは難しいので、重武装武闘術ならそれに関連して「勇気」が「徳」の一部だろ!とさらに問題をすり替える。(笑)
    「勇気とは何か」。ラケスいわく「敵から逃げない者だ」。「いやいやわざと逃げて勝利する場合もある」(ソクラテス)。「では思慮ある忍耐強さだ」(ラケス)そこで、ソクラテスはお得意の誘導尋問で、「勇気ある者は思慮に欠ける」という矛盾した答えをラケスに導かせてしまう。ラケス失格(笑)。
    ニキアスいわく「恐ろしいことと平気なことについての知識」が「勇気」だ。ラケスはニキアスの足を引っ張るべくソクラテスの尻馬にのって次の反駁を加える。(笑)「ライオンには勇気がないというのか」(ラケス)。「あれは単なる恐いもの知らずなだけで、勇気とは違う」(ニキアス)。そこで御大ソクラテスは次の論証を行うことになる。「勇気」は徳の一部であるが、恐ろしいことと平気なことについての知識を持つものはあらゆる善悪の知識を持つ者であり、「勇気」だけではなく「節度」「正義」「敬虔」の徳も併せ持つということだ。つまり、ニキアスのいう「勇気」の定義は「徳」全体のことであり、「勇気」だけの定義ではないので、依然として「勇気」とは何かはわからない。ゆえにニキアス失格。へっ!?(笑)
    ソクラテスいわく「私も「勇気」が何であるかわかりません。みなさんを教える資格はありません」。リュシコマスいわく「ソクラテスさん、明日わが家でまた一緒に考えてみましょう」。リュシコマス、納得するなー!(笑)息子に重武装武闘術を学ばせる件はどうなった!(笑)
    本編はかなり短い上に巻末の解題が本書のロジックを懇切丁寧に解説していて、内容が一段とわかりやすくなっています。また、同様のテーマを扱う『プロタゴラス』などの導入篇としても面白いのではないかと思われます。但し、『メノン』『テアイテトス』などと同じく本書内ではそのものの結論は出ず、「議論してもよくわからなかった」というのがオチなので(笑)、本書ではその哲学ロジックを楽しみましょう!

  • 短い。授業で使うチャンスあるかな?

  • 初期プラトンで文庫本で読めるのは3冊かと思っていたら、もう1冊、発見。

    ついでに、読んでみる。

    と、これは面白い。個人的には、ここに描かれているソクラテスこそ、自分のイメージするソクラテスであった。

    つまり、ソクラテスというと、対話を通じた探求というか、「知らないことを知る」ことを追求した哲学者ということになっているし、「ソクラテスの弁明」でも、本人がそういったことを述べている。

    が、実際にプラトンの対話篇を読むと、ソクラテスは結構、詭弁的な理屈を振り回すし、対話の相手への尊重があまり感じられない。何よりも確信をもって演説したりするわけで、どこが「無知の知」なのか、分からないのだ。

    それに対して、この「ラケス」でのソクラテスは、なかなか、うまいファシリテーションをやっている。演説はしないし、対話の相手の論を深堀していくのだが、相手に対する尊敬の念が感じられる。また、真理をともに探求していくことに対して、相手を勇気づけ、励ましている。

    「ラケス」の主題は、まさにその「勇気」についてで、対話の結果としてでてくるのは、「我々は勇気がなんであるのか知らない」であるのだが、ソクラテスが知識を勇気をもって探求する人であることが、さりげなく暗示されているわけだ。

    ソクラテスについて学びたい人が、「ソクラテスの弁明」の次に読むべき本は、この「ラケス」かもしれない。

  • 2015.10.29
    ソクラテス、ラケス、ニキアスが子供の教育について尋ねられることをきっかけに、「勇気とは何か」について語り合い、最後にはアポリアつまり答えは出ずに終わるという作品。ソクラテス=プラトンの著作を見ると、対話することで答えに向かうそのことの意義、簡単には結論を出さない厳密な探求の重要性が感じられる。何を答えとして得るかより、その答えを導く、知に対する姿勢を学ばせてもらえる。勇気とは徳の一部か、ひとつの徳を持つものは他の徳も併せ持つのか、すべての徳は定義においても同一なのか、という視点は私には新鮮だった。勇気とは、考えてみる。まず獣や子どもが、恐れを持たない=恐れに対する知識がないという勇気と、そうでない勇気とは違うように、勇気には恐怖とそうでないものを見分ける認識能力が関わる。恐れを知らない者は蛮勇というわけである。しかしでは恐れを感じるものなら何であれ抵抗すればいいのかと言えばそうではないのではないか。つまり恐る"べき"ものと、そうでないものを見分けることが必要のように思われる。恐れるべきでないことを恐れ、それに抵抗したとしてもそれは勇気とは呼べない気がする。例えば迷信を恐れてそれに抗った場合などである。また、恐れるべきことを知った上で、なぜそれに抗わなければならないのか。なぜ恐れたままではいけないのか。ここには正義が関わるのではないか。自分の恐怖に負けず正しいことを成せればそれは勇気があるように思われる。つまり勇気の徳の前提に、何が本当に恐るべきものかの知識と、何が本当に正義かの知識とが必要のように思われる。ソクラテスのアポリアにおいて、勇気は徳のひとつであることと勇気が徳全体であることの矛盾が指摘されていたが、私はそもそも勇気を知的徳だとは思えない。本当に恐るべきものへの知識と本当の正義との知識は、勇気の前提である。これを知っているだけでは勇気とは言えない。これらを知った上で、本当に恐るべきもの(例えば死)を前に、本当の正義を貫く意志の力、これを勇気と呼ぶのではないだろうか。つまり勇気とは正しい生き方をする上でそれを阻害する"恐怖"と戦う徳であり、またこのように考えた時に、自分の"快楽"と戦うことを節制といい、自分の"傲慢"と戦うことを謙虚というのではないか。つまりあらゆる徳に関してその根本においては正義に対する知識を必要とする点で根は同じであり、その正しい生き方を邪魔する阻害要因に応じて現れる意志の力が、徳ではないか。よって勇気とは徳のひとつであり、全体ではない。よって矛盾もしない。徳のある人間になるために知るべきは、正しく生きるとは何か、正義とは何かということと、それを邪魔する要因(恐怖、快楽、傲慢、もろもろ)への深い理解、そして戦い方ではないだろうか。ただこのように考えると、ソクラテスの弁明における、ソクラテスの死をどう考えればいいか、という疑問も残るがそれはまぁ今後考えよう。勇気をめぐるソクラテス的問答の魅力、知への姿勢を学ばされる一冊である。

  •  ――してみると、勇気とは、単に恐ろしいものと恐ろしくないものだけの知識ではないのです。なぜなら、それはただ、未来の善悪だけを知るのでなく、他の知識と同様に、現在のも過去のも、あらゆる場合のものを知るのですから。

    当時の最も有名な政治家であるニアキス、同じく当時有名な武将であるラケスたちとの勇気とは何かという議論はアポリアへといきつくことになる。ディアレクティックの効用はかくも私たちを刺激するものなのかと、感服せずにはいられない。

  • 08/06

  • 賢明な判断が下されなければならないことについては、人数の多さによってではなく、知識によってはんだれなければならない。
    徳が一対何であるのかを知っていることが備わっていなければならないのではないでしょうか、というのも徳が一体何であるのかを全然知りもしないとすれば、たとえ相手が誰であれ、どうすれば、徳をもっとも立派に身をつけることができるか、関して一体どうやって私たちは助言者となりえるのでしょうか?
    恐れを知らないということ、と勇気があるということとは、同じではない。勇気と先慮には極めて少数の者があずかるに過ぎないのに対して、向こう水とか大胆さとか先慮を欠いた怖いもの知らずについては、男子であれ女子であれ、子供であれ、獣であれ、その極めて多くのものがそれにあずかるのだ。君や大衆が勇気があるというそれらのものを僕は向こうみずと呼び、対するに僕が言ったことに関して思慮に満ちたものを勇気があるものと呼ぶのだ。

  • このあたりの対話篇を呼んで、対話篇としての面白さを論じたら酷評された…。
    それでも、対話篇としても面白く文学的にも優れていてソクラテスの精神をしっかり感じることのできるプラトン初期作品はやはりおすすめです。

  • 図書館で借りてきて読みました。子供への教育に関する悩みから始まり、勇気とは何かという話になっていく。そしてアポリア。
    もう一回くらい読まないと分からない気がしました。

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著者プロフィール

山口大学教授
1961年 大阪府生まれ
1991年 京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学
2010年 山口大学講師、助教授を経て現職

主な著訳書
『イリソスのほとり──藤澤令夫先生献呈論文集』(共著、世界思想社)
マーク・L・マックフェラン『ソクラテスの宗教』(共訳、法政大学出版局)
アルビノス他『プラトン哲学入門』(共訳、京都大学学術出版会)

「2018年 『パイドロス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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