- Amazon.co.jp ・本 (340ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061593435
作品紹介・あらすじ
日本人は同じ言語・人種からなるという単一民族説にとらわれすぎていないか。本書は、日本列島の東と西に生きた人々の生活や文化に見られる差異が歴史にどんな作用を及ぼしてきたかを考察し、考古学をはじめ社会・民俗・文化人類等の諸学に拠りながら、通説化した日本史像を根本から見直した野心的な論考である。魅力的に中世像を提示して日本の歴史学界に新風を吹き込んだ網野史学の代表作の一つ。
感想・レビュー・書評
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親父の本棚から持ってきた本。「東と西」という地域特性や地域事情という観点から日本史を読み解き直す、という本。背景的な課題意識として、一般的に語られている教科書的な日本史理解はあまりに「日本」や「日本人」という意識からのみ語られ過ぎていて、そのことが現在の日本国内の問題や世界の中の日本を考える上での眼差しを曇らせてしまっているのではないか、という点がある。
さまざまな日本史研究を引きながら縄文時代から一貫して語られておりとても面白かった。これまで学んできた自身の日本史理解の厚みが増した気がする。
縄文時代には植生などの環境の違いにより、東日本の方が豊かであった。発見されている遺跡も大きく、大きな集落、社会が築かれていたと思われる。
だからこそ弥生時代、水稲文化が入ってきたときに九州から西日本への稲作の伝播スピードに比べて東日本ではそのスピードが遅くなった。そこには文化の対立があった。これ以降、西日本の稲作重視、東日本の畑作重視が続いていく。
大和朝廷内やその後の武士政権との政治的軍事的対立の背景には必ずといっていいほど、西日本と東日本の対立が見え、それは大化改新や大海人皇子と東国との結びつきにまで遡ることができるし、その後の防人制度にも東国の精兵という当時の事情が見える。
単純に東と西という対立だけではなく、東日本・九州の連合と西日本と東北の連合という構図もしばしば現れるという理解も面白く、平将門や藤原純友、鎌倉幕府の成立や承久の乱、建武新政や室町幕府、奥州藤原氏、応仁の乱や戦国時代など、各時代の節目的な出来事の背景理解が深まる。
さらに、西の海軍と東の騎兵の違いや、東のイエ的文化西のムラ的文化の違い、各時代における朝鮮や中国との関係など、さまざまな面を重層的に説明していて面白く読めた。
これらの違いは現在の日本でも多かれ少なかれ残っているものであり、特に地域課題解決に取り組む場合にはその地域の事情や歴史に目を向けながらやっていく必要があるので、そうした活動に身を置く場合にも想像力を失わずに臨むためにこうした歴史的な理解力を養っておくことには価値があると感じる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
中世の日本は領家職や田所職など職の体系と言われる。「「職人」との関係を考慮に入れるならば、「職」は官僚制の官職よりも、職能と結びつけるほうが適当と思われる」(網野善彦『東と西の語る日本の歴史』講談社学術文庫、1998年、184頁)。
「政治組織の機構についていうならば、まず最初に存在するのは仕事であり、その必要に応じて政務をおこなう人が配当される。それがある程度永続したのちに、はじめて一つの組織のかたちがそなわり、やがて職名が生じる。これが原則だったからであり、今日のわれわれを悩ましているあの複雑膨大な官僚機構(そこではしばしば人のために組織が設定され、仕事が発見されている)とはまったくその原理を異にしていたからである」(石井進『日本の歴史7 鎌倉幕府 改版』中公文庫、2004年、229頁以下)
ここには仕事(役割、ロール)があって、そこに人をアサインするというジョブ型の発想がある。ビジネスの世界では官僚的な日本型組織からグローバルな民間感覚への転換が言われている。歴史も日本型組織の感覚ではなく、グローバルな民間感覚で見ることが正しい。現代の日本型組織よりも中世日本の方がグローバルな民間感覚に通じていた。
東日本には宿という地名が多い。「東国の宿の多くは、豪族・領主の館・城と関りをもっている点に特徴があり、東国の都市を考える場合、そうした視点が必要なのではあるまいか」(網野善彦『東と西の語る日本の歴史』講談社学術文庫、1998年、294頁)。埼玉県さいたま市桜区宿という地名がある。これは畠山重忠の居館があった頃に家が軒を連ねて宿のようであったことに由来する。 -
日本の歴史・習俗を東と西に分けて研究した結果の本。
言葉と習俗が東と西とで違うという、日本人であれば誰しもが実感することから始まり、縄文・弥生の時代まで遡って話しは始まります。そのうち東が馬、西が船を中心に移動を行なってきたこと西は船を使って朝鮮半島とのつながりが強いことを記して行きます。
その後、平安時代の平将門のらん、藤原純友の乱を経て、源平合戦ののち、東国に西国(畿内)とは異なる政治勢力が作られ、これが東西で権力を分散させてきたことを表していきます。一方で、蒙古襲来に伴い、東国の武士が九州をはじめとした西国に移ることにより、東の習俗が西に持ち込まれたことも記述されています。
このように、長い日本史の中で東西がどのように異なっているのかを丹念に記載しており、読み応えがありました。 -
東の馬、西の船、東の縦繋がりと西の横繋がり等、日本列島に住む人々の生活や考え方の大きな違い。
日本民族と一つに纏めることがいかに無理なことで、不自然なことか。
人間の生活領域の広がりを感じた。 -
いろんな意味で興味深い本でした。
東日本と西日本の味覚や言語の文化的な差だけでなく、横の繋がりの西日本、縦社会の東日本、と社会構造まで古代から違っていた、という「へぇ~」な事実が新鮮でした。
また「百姓≒農民」で「百姓=平民」というのも、結構ビックリな事実であると同時に今まで不思議に思っていた自分の父方の家業の謎が一気に氷塊したのでした。うちの父方は、「百姓で名主だった」と伝え聞いていたものの、少なくとも明治~昭和初期の期間中、銀行業がメインで農業にはノータッチ。明治初期の頃のご先祖は、みな香港風邪などで若死にしてるので、江戸時代の家がどんな状態だったのかが伝わってなかったので、「百姓=農民」と普通に考えていたため「ハテ、豪農だったから、余った金で明治に入ってから銀行を起業したんかい? でも明治の頃のご先祖様って早死にしてるし、若くしてそんな才覚あったんかいね?」と謎に思っていたのですが、家業が江戸時代にまで遡るのなら、両替商→銀行家という流れなら、あり得る、とすんなり納得してしまいました。
そんな意味でも、興味深い一冊でした。 -
カテゴリ:図書館企画展示
2017年度第7回図書館企画展示
「大学生に読んでほしい本」 第3弾!
本学教員から本学学生の皆さんに「ぜひ学生時代に読んでほしい!」という図書の推薦に係る展示です。
青島麻子講師(日本語日本文学科)からのおすすめ図書を展示しています。
展示中の図書は借りることができますので、どうぞお早めにご来館ください。
開催期間:2018年1月9日(火) ~ 2018年2月28日(水)
開催場所:図書館第1ゲート入口すぐ、雑誌閲覧室前の展示スペース
大学入学直後に読んだ本です。地元の友人とのみ過ごしていた高校までとは異なり、大学には様々な地方出身者が集まっており、言語・食事・風習など、種々の違いに直面しました。
皆さんも、かつての私と同じく日本人の多様性を意識しだしている時期でしょうか?
この本は、「東のイエと西のムラ」「東の弓と馬、西の海と船」「東の畠作、西の水田」…など、歴史を紐解きながら、日本列島の東と西に生きた人々の差異を説き明かしてくれます。 -
日本の東西文化の違いについて記した、壮大な網野史観の本。縄文時代から江戸時代まで、それぞれの時代における東西の政治文化の特徴や傾向を史料や考古学の観点から丁寧に示していくことで、やはり東西には明確な違いがあるとしてもよいと謙虚に主張している。私のようなド素人が読んでも、1つ1つのトピックの妥当性が判断できず、「ふーん、そうなのかも」という感想しか持てなくて情けない限りなのだが、それでも知的好奇心を十分にくすぐってくれる良書だと思う。
ちなみに、本書によると西日本と東北は親和性があり、東日本と九州も親和性があるらしい。そして、この傾向は少なくとも平安時代には見受けられる。この場合の西日本と東日本の境界は、ざっくりと福井県ー岐阜県ー愛知県を結ぶラインだと思って差し支えない。
私がこれまで名古屋・福岡・川崎で合計40年生きてきた感覚として、関西地方や中国地方はどこか「本質的に違う」と感じるところがある一方、福岡にはそれなりに馴染むことができたという経験からも、本書の主張にはかなりの部分で共感できた。 -
2014/08/24 読了
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再読:平成26年1月29日
気になった箇所が。
P269 ・・・若狭の小浜には、応永十五年(1408)、「亜烈進卿」という名のパレンバンの「帝王」の遣わした「南蛮船」が着岸、「生象一疋黒、山馬一隻、孔雀二対、鸚鵡二対、其他色々」を日本国王に進上している。・・・
という記述が・・パレンバンから若狭まで来てたなんてすごいですね^^
http://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1593439
東と西の語る日本の歴史
著者: 網野善彦
発行年月日:1998/09/10
サイズ:A6判
ページ数:340
シリーズ通巻番号:1343
ISBN:4-06-159343-9
定価(税込):1,155円
著者プロフィール
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