- Amazon.co.jp ・本 (182ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061593541
作品紹介・あらすじ
日本人の西欧文化受容に重要な役割を演じたフランシスコ・ザビエル。一五四九年に来日すると、旺盛な行動力で布教に邁進した。その間、スペインのイエズス会や友人宛に手紙を書き送る。いわく、日本人は知識に飢えている。神の存在に興味を示し説教に真剣に聞き入っている。いわく、日本はキリスト教伝道にふさわしい国だ…。書簡から、ザビエルの心情とその目に映った日本人像を読みとる好著。
感想・レビュー・書評
-
ザビエルの書簡から読み取れるものの素晴らしさに比べて、この本の後半を占める著者による解説の歴史認識の低さや勘違いやらには腹が立つ
それを読んで感想に書いてるであろう、Amazonのレビューもそのせいかほぼズレてる
ラフカディオハーンや、フェノロサや、ブルーノタウトでもない
レヴィストロースでもない
宣教師である
祖先崇拝の国にあって、福音を知らずに死んだ祖先の霊を、一度、落ちた地獄からは救い出せない聖書の世界とその神は、情けがなさすぎる、不完全だ、という、聖書の根本をつく日本人の感性
もしくは、天地創造、というものが極めて曖昧な(古事記なんて、江戸の本居宣長まで誰も読める人がいなかった時代。日本書紀も一般人が読むものではなかったんでしょう。仏教に天地創造はない)当時の世界観に、旧約の天地創造は驚愕のストーリーだっただろうこともわかる
また、ルネサンス人である宣教師の場合、実は、科学の知識が添えてあり、それは聖書の外の知識にも関わらず、日本人には、同じ偉大な教えと世界観のひとつとして、説得力をもたせるのに一役買ってるようだ
ザビエルのミスは、日本にくるのに、中国を経由しなかったこと
それに気づいたこともあって、中国へ向かったけど、その目前で死す
レヴィストロースが見たがった400年前の景色の一つが封入されてる詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「ザビエル」自身およびキリスト教に興味のあるひとにはいいのかもしれないが、ザビエルの見た「日本」の方に興味があった私にはつまらなかった。また、著者の日本に対する理解、そして日本語訳の質に、疑問を感じた。
おもしろかったのは、2点。
ザビエルが渡日前にあつめた日本の情報。
ザビエルは日本の風俗文化にはまったく興味を示さなかったらしいこと。 -
宣教師とは分かり合えないと思った。
-
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/740093 -
最近、好んで読んでいるのが、外国人から見た日本についての本。そして、日本に訪れた初期の日本人の一人が、フランシスコ・ザビエルである。
著者のピーター・ミルワード氏も、イエスズ会の神父として日本に赴任。出版当時に日本滞在45年になっていた。本書は、ミルワード神父の、ある意味使命というべき本ではないだろうか。
ザビエルの見た日本人、そして現在にも通じる日本人の気質として、戦後薄れてきたとはいえ、羞恥心、我慢強さ、質素さを挙げている。
日本の気質は、戦後になって変わったとか、明治維新の時に変わったとか、江戸時代は別の気質を持っていたと言われるが、その中で変わらなかったものもある、ということがあらためて浮き彫りになった。
ほかの外国人から見た日本関係の本
『菊と刀』
https://booklog.jp/users/nsugiura/archives/1/4061597086
『シュリーマン旅行記 清国・日本』
https://booklog.jp/users/nsugiura/archives/1/4061593250
『逝きし世の面影』
https://booklog.jp/users/nsugiura/archives/1/4582765521 -
イエズス会の情報機関としての性格を強調する文書をどこかで読み、ザビエルについて興味がわいたので、本書を図書館で借りた。
実はザビエルは日本に2年しかいなかった。しかし彼の業績は日本の歴史の転換点として広く知られている。
本書に収められたザビエルの書簡からは日本の仏教の僧と様々な問答を行っており、時に鋭く対立していたことが伺われる。信仰心というのは純粋なだけに理性を持ってコントロールせねばならないエネルギーの代表ではないか。 -
フランシスコ・ザビエルは、457年前の1552年12月3日に日本で46歳で死んだスペインのカトリックの司祭、イエズス会の創設メンバーのひとりの宣教師。
日本にキリスト教を伝えたとか、当時の最先端の西洋文化・文明を伝えたとか、おおむね通常の歴史的評価は好意的というか本質を隠蔽する方向で定着していますが、とんでもない、あの大航海時代、スペインとポルトガルによって企てられた世界征服の野望を持って、日本に侵略するためにやってきた先兵だったにすぎません。
アステカを征服したのがエルナン・コルテスで、インカを侵略したのがフランシスコ・ピサロ、ほら後者は名前も似ているじゃあありませんか。
キリスト教がこんなにも世界中に広まったのも、侵略して植民地化した人びとに強制的に又は良心的に押しつけた結果にすぎませんし、いかにも清らかで崇高な、魂に訴えかけるようにして人をあざむき、アーメンと祈りを捧げたその口と手で、原住民を罵倒し虐殺してきたのが彼らの歴史です。
有名な1969年のパウロ・フレイルの『被抑圧者の教育学』を待つまでもありませんが、宗教としての反省と批判から解放の神学として登場するのが、ようやく20世紀になってから、しかも1930年代だというのは、いくらなんでも悔い改めるのが遅すぎます。
この感想へのコメント
1.ヨナキウサギ (2009/12/04)
全く横暴ですが「原住民を罵倒し虐殺」したということで、現在の中南米の(長崎を中心とした「かくれ」だってそう)彼らを「イエズス会の犠牲者でおつむが足りない先住民の末裔」と斬って捨てることができますか?
各地のカトリックが(マリア信仰が中心であるとはいえ)連綿と続いていることに関してはどう思われますか?
今、仮に悔い改めよと言うなら、対象は宣教師、修道会、といったわかりやすい側に限られないのでは…?
2.薔薇★魑魅魍魎 (2009/12/05)
問題なのは、個別の顔や受容のされ方や変遷ではなくて、歴史認識の正否です。ザビエルも根は善良な良心的な人でした。
特に私たち日本人は、喉元過ぎれば熱さを忘れるでしかも事大主義に陥りがちなので、気をつけなければいけないと思います。
私の身辺には慈悲深い良心的な牧師や信者もおられますし、私自身洗礼の一歩手前までいったほど関心と興味を持っています、現在は宗教心とは違った面でですが。
3.ヨナキウサギ (2009/12/05)
ごめんなさい、私には「歴史認識」という言葉の意味がわからなくて、その言葉を遣って考えることができないのです。だからその正否についても云々できません。
コルテス、ピサロとザビエルを同列に論じることはできない、とは思われます。
カトリックに限らず、何であれ受容のされ方や変遷の中にもその「本質」が潜んでいるとしたら、それは何なのだろう…、私の関心はその一点にあります。
4.anokeno (2010/01/09)
読みました。キリスト者ではないのでちょっと引いて読んでました。ところでご挨拶が遅れましたが今年もよろしくお願いします
5.薔薇★魑魅魍魎 (2010/01/11)
どうも、こちらこそよろしくお願いします。
この本の傾向のような興味は、ひとえに外国人の目から見た日本ということはりっぱな比較文化論になっていること、そして日本側の歴史的資料の欠如を埋めるものとして価値があると思いますので、暇にまかせてニコライやビゴーやロバートフォーチュンやイザベラバードやシュリーマンやモースなどを読んでいます。探せばまだまだあると思います。