アリストテレス 心とは何か (講談社学術文庫)

  • 講談社
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レビュー : 14
  • Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061593633

作品紹介・あらすじ

師プラトンをはじめとする先哲の諸研究を総括・批判し、独自の思索を縦横に展開した本書は、心について論じた歴史上最初の書物である。難解なことでも知られるこの書の翻訳に、気鋭の哲学者が挑戦。分かりやすさ・読みやすさを主眼に訳出し、理解を深めるため懇切かつ詳細な訳注と解説を付した。アリストテレス哲学の精髄、新訳で文庫界に初登場。

感想・レビュー・書評

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  • アリストテレス(紀元前384ー322年)は古代ギリシアの哲学者。心を哲学的に論じた史上初めての書物。近代の心理学とは趣きが違う。実験を示した考察ではない。本書はこれ以前の学説を総合的に検証し、批判し、独自の考えを繰り広げる。

    心は、すべての生物が生きていると言われるとき、その原因とされるものである。そのような原因としては、栄養摂取能力、感覚能力、運動能力、思考能力がある。本書ではこれらが生物の身体との関係で把握される。原因を求めるアリストテレスの特徴が反映されている。人間だけでなく、彼は生物全般を視野に入れている。

    訳者は本書を『心とは何か』と訳しているが、これは独自の訳で、一般には『霊魂論』や『魂について』などと訳されている。ギリシア語の「プシューケー(psyche)」を訳者が「魂」ではなく、「心」と訳したのにはわけがある。魂には、肉体から独立したものという意味がある。しかし、アリストテレスのこの議論では、プシューケーが身体から独立して存在するということを前提にしておらず、これは身体から独立かどうかという問いを立ててもいない。アリストテレスは、プシューケーが身体から独立した存在であることを否定している。そのため、訳者はプシューケーを魂ではなく、心と訳した。他にも、「終局態(エンテレケイア)」、「実現態(エネルゲイア)」、「可能態(デュナミス)」とアリストテレスの重要な用語にも独自の訳を施している。

    分かりやすく訳していても難しかった。ただでさえ哲学自体が簡単に理解できるものではないのに、ましてここで扱うテーマは心。はるか昔から現代に至るまで謎の多いこの心。誰にでもあって一番身近な心でありながら、一番分からないものかもしれない。その心を正面から向き合ったアリストテレス。彼は生物学者の側面を持つので、フィールドワークを重視し、そこから得た考えが、心と身体は元々一つであること、そして「心は身体を動かす」(38頁)という主張に至った。それは生物学者としての豊富な観察などの体験から得た考え。

    そして、最終的な結論は、触覚が生きていく上で一番欠かせないものであり、その他の感覚はより良く生きるためにあるものと説く。

  •  このところ、いくつかの新刊書でアリストテレスの名前を目にすることがなぜか続く。昨年「アリストテレス・生物学の創造(アルマン・マリー・ルノワ著、みすず書房刊)」を読んだのがアリストテレスに接する最初の経験だったのだが、その後立て続けに偶然手に取った書籍で彼への言及を見るにつけ、これは一度は原典に当たりたいと思い手に取ったのが本書。訳者によれば本書を単独で理解するのは至難の技だというが、事前の「アリストテレス入門(山口義久著、ちくま書房刊)」での予習と、極めて簡明な訳者の解説のお陰で読了することができた。

     しかしそうは言っても、読み進めるのに相当に困難を感じたことは告白しないわけにはいかない。本書は、先人や同時代人の知見や学説を概観する第1巻、生命の原因としての「心」と諸感覚の機能について論じる第2巻、理性や思惟、心的表象などを扱う第3巻からなるが、まず第1巻がとんでもなく読みづらい。デモクリトスやエンペドクレス、タレスなど比較的有名どころはともかく、列挙される当時の学説や主張が今日の常識とかけ離れてすぎており、ほとんど戯言としか読めないのだ。訳者はアリストテレスが「研究の対象」と「研究の方法論」を同時に論じることが難解さの原因だとしているが、このことを頭に入れても困難を感じた。また第3巻のアリストテレスの語用も相当に独特であり、巻末の訳者解説を読まねば到底理解できない代物だった。

     しかし、おそらくは本論と言っても良い第2巻は比較的スムーズに読み進めることができた。生命の実体を、質料と形相という不可分ながら全く異なるアスペクトに分離し、生物の感覚(機能)が「心」=形相の第一現実態を原因として生ずること、すなわち心が生命活動(生殖や個体維持)の目的であり原因となる一種の「能力」であることを、自ら観察した経験的事実をもとに喝破したアリストテレスの慧眼。遺伝子やDNAなど想像すらできない時代に、「情報」という概念の萌芽すら感じられる「形相」を生命の実体から分離して扱うという着想にも驚かされる。触覚や視覚のメカニズムの記述も現代の知識に照らしても違和感が少なく、陸(ろく)な観察器具もない2,400年前という時代を考えるとほとんど奇蹟だ。

     訳者は、可能態と現実態(注:本書では別の用語が割り当てられている)の術語化こそがアリストテレスの科学に対する功績だとしている。この概念の導入により「心」だけでなく「理性(思惟すべき対象を思惟する能力)」の説明が容易となるのだが、「可能態」という、原因や能力のポテンシャルを秘めた仮想的なアイディアに、観念的な概念分析ではなく実地のフィールドワークにより辿り着いたという明晰さが、今日的にも色あせることないアリストテレスの凄さだと思う。

     現代の科学哲学や脳科学は「心」の現れを脳に求めることを半ば定式化している。物理的に測定可能な脳は、心の座として定立させやすい対象なのだ。一方、アリストテレスの時代には無論身体のシグナルを測定する信頼に足る手段はなく、そもそも脳は思考の場とはとらえられていなかった。だからこそ、心は先験的に措定すべき対象ではなく、多種にわたる生物の多様な機能の説明変数として経験的に探求すべき対象だったのだろう。アリストテレスのこの現在からみた逆方向性は、これからも歩を緩めることはないだろう科学的方法論に対する牽制として、これからも見直されていくのではないだろうか。

  • 心が無ければ生命もまた無い。心が退出した後の人間の身体が生命を失い、ただの土と埃と化すように。ただし、心はもっているだけでは駄目で、はたらいていなければ心であることができない。なぜなら、「もっていること(状態:ヘクシス)」は、「はたらいていること」「使っていること」が現実態にあるのとは対比的に、可能態にあるものである。即ち、心はもっているだけでは心であることができず、使い、はたらき、運動の相に置かれなくては内的持続を保つことができないからだ。

    したがって、心をはたらかせていなければ、人間として生きていることにはなれない。いかに心に人間的な能力があっても、人間の名に相応しい制作に資するはたらきを果たしていなければ心はいつかは心であることも忘れ、心でなくなってしまう。堅固な効果を生みだしている制作こそが重要で、能力は選択肢としていつまでも保持していることはできないのだ。あたかも、使わなくなったからといってずっと睡眠中のような状態に放置され、いつしか効果を発揮できなくなるまでに退化してしまったモグラの目のように。そのこと肝に銘じたい。

  • 心は、
    道具としての器官をもつ、自然的物体
    (可能的に生命をもつ)、(質料的なもの)

    第一の終局態
    (知的能力としての形相)

    なんだと。

    わけわからない?

    目にとっての視力が、肉体にとっての心なんだと。

    なんだって?
    こんな刺激的な話あるかいな。

    「感覚」と「感覚対象」は可能態と実現態とのふたとおりに語られる、と。
    え?これ、廣松渉の四肢的構造につながるんやない?

    アリストテレス恐るべし。
    プラトン的な西洋と全く違う世界をもっている、、、。

  • 924円購入2010-11-18

  • 先達の説を紹介、細かく検討し、言葉の定義、使い方を慎重に定めながら論ずるスタイルの完成度に強い印象を受けた。

  • アリストテレスの時代、そしてそのすこし前の時代に心はどう捉えられていたのか。現代でも色彩豊かな思考が冴え渡っていた。

  • 身体と結びついた、「心」。
    プラトンのプシュケーとはまた使われ方が違う。

  • 師プラトンをはじめとする先哲の諸研究を総括・ 批判し、独自の思索を縦横に展開した本書は、心 について論じた歴史上最初の書物である。難解な ことでも知られるこの書の翻訳に、気鋭の哲学者 が挑戦。分かりやすさ・読みやすさを主眼に訳出 し、理解を深めるため懇切かつ詳細な訳注と解説 を付した。アリストテレス哲学の精髄、新訳で文 庫界に初登場。

  • 『心とは何か』:アリストテレスの講義ノート、『霊魂論』とも訳されている。内容は第一巻が問題提起とプラトン、デモクリトスなどの批判、第二巻は心の定義と感覚の分析、第三巻は共通感覚や理性についてである。基本的に、アリストテレスはプラトンとちがい、質料(物質、例:蜜蝋)と形相(物質の型のようなもの、例:印形)を一つと考えるから、身体と「こころ」が一つのものだとしていて、「こころ」は「物体ではなく物体の何か」で、簡単にいえば身体の状態なのである。だから、心とは「可能的に生命をもつ自然的物体(生体)の形相」ということになる。感覚については視覚・聴覚などが中間媒体によって感覚できることを述べ、触覚だけは身体が媒体であるとする。アリストテレスは脳を思惟の器官だと考えなかったため(冷却器と考えた)、思惟には器官がないということになった。だから、理性(ヌース)は、「思惟されるようになるときに働きかけるもの」で、身体と分離可能で、(作用をうけず)「作用するもの」であり、宇宙を動かすものと同じく、永遠のものであるとされた。全編を通じて「可能態」(デュミナス、能力・可能性)、「実現態」(エネルゲイア、働きのうちにあること)、「終極態」(エンテレケイア、目的を達成していること)などの熟語が駆使され、また、「〜は二通りに理解できる」などの言語の分析もこまやかである。「心的表象」という訳語も使われている。解説では、張載の「性」「情」を可能態と実現態として説明している部分があり、大変興味深い内容であった。ちなみにプラトンは数学好き、アリストテレスは生物が好きなのである。

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