哲学の教科書 (講談社学術文庫)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 857
レビュー : 67
  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061594814

作品紹介・あらすじ

哲学は何の役にたつのか。哲学の問いとはどんなものか。哲学者とはどのような人々か。そもそも、哲学とは何か。物事を徹底的に疑うことが出発点だという著者は、「哲学とは何でないか」を厳密に規定することで哲学を覆うベールをはぎとり、その本質を明らかにする。平易なことばで哲学そのものを根源的に問いなおす、究極の「哲学・非‐入門書」。

感想・レビュー・書評

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  •  僕はこの本の著者、中島氏が好きである。氏は世間一般からみれば「社会人不適合者」なのだが、こういう人でないと哲学者にはなれないのかもしれない(氏の著作の一覧をAmazon等で参照されたい。とんでもないタイトルがずらりと並んでいます)。僕は小さいころから「死ぬ」ということがズッと気になって、25~28歳頃にこの「死」に対する恐怖心が異様に増して、それ以来不眠症気味で、睡眠薬なしでは眠れなくなってしまいました。

     その当時、「死」を分析している『存在と時間』という本の存在を知り、同書に関する解説本等やらをたくさん読んで、その当時は「本来的な生を自覚している俺って、人とは違うんだな」なんて、若気の至りで思いあがっていたのですが、それでも「死」に対する恐怖心は拭えない。ハイデガーの「死の現存在分析」も「確かになぁそうだよな」と感心するんだけど、でも「死」に対する恐怖を上手く説明してくれなかった。そういう時に、中島氏の書いた「死」に対する恐怖心に関する記述を読み、僕が持っていた「死」に抱いていた漠然たる恐怖心をとても的確に表現してくれていたことに、とても感動した。「僕だけが怖いんじゃないんだ。死をこんなにも恐れている人が他にもいるんだ」と思うとそれだけでも安心できた。

     「死」に対する恐怖に対する記述は、この本にも至るところに書いてあるし、氏の著作のほとんどにも書いてあるので参照してもらいたい。とにもかくにも「死」を契機にいわゆる哲学に興味を持ち、哲学関連本をいろいろと読んできたけど、哲学が究極の文系学問である以上、言葉遣いが難解であるのは必然的帰着だとは思う。それは解るんだけど、それでも一般の人が興味をもてる程度に解りやすく説明してもらいたい、という一定の読者層が向けの本の少なさたるや…。
     そういう「哲学とは何か」「哲学書の読み方」「哲学者の生活」が、哲学者でない我々一般読者にも解るように説明してくれるのは、この中島氏の他に、竹田青嗣氏、西研氏、(ちょっと敷居は高いが)木田元氏が挙げられる。僕はこうした、解りやすく説明してくれる哲学者が好きで、著作が出版されれば無条件で購入する数少ない著者である。

     哲学に興味がある、普通の生活に飽きた等の方々が、哲学入門書として読むには最適かもしれない。惜しむらくは、中島氏の著作を多く読んでいる(僕のような)人にとっては既知な部分が多いので、敢えて読むまでもないということです。もしこの本を読んで、「哲学って面白いな」と思えば、そこから先は多くの哲学者が書いた本を読む楽しみが増えるし、「よくわかんねぇな」と思えば、哲学に興味がなかったことがわかったという意味で有用だと思います。

  • 今まで多くの哲学書を読んでさっぱり理解できなかったが、この本を読んで理解できなかったのも仕方がないということが理解できた。所詮、哲学は言葉遊びであり、しかしながらその言葉遊びをしなくては人間は生きていけないということだろう。途中の哲学的考察はそれでもやっぱり難解。

  • 「高い倫理観」にこだわることが「低い倫理観」に対する倫理観の低さを生んでいる。
    学部のとき中島義道の本が好きだったけど、今はちょっと趣味が変わってきたような気がする。
    泥沼の倫理争いの一部に結局のところ絡みとられてしまうようなかんじがある。

    さらに日本においては哲学者ではなく哲学研究がメインであるという指摘があるが、大方のことは先人に言い尽くされてしまった感があるため何か新しいことを発見することが既存研究を解釈するよりも純粋に有用かとも言いがたい。さらに情報が簡単に入るようになったため、他の人が何を言っていないかを完全にチェックしようとすればそれだけで学者生活40年が終わってしまうのも当然のように思える。

    結局中島が批判しているはずの「人間性」の議論になってしまっている。科学の規範性の再来を求める声も多いが、その必要とされている規範性ともまたすこし違う気もするし。。。
    いずれにせよ、哲学卒業の兆しを感じさせてくれる本だった。「人への興味」の方向性がちょっと違った。

  • 第三章がおもしろく、ためになった。

    ・「今があるのみ」であり、自責の念は不要。
    ・「思うこと」と「意志」の違い。

    形や行動となって表れるものでしか、他人からみて、その人の「意志」は推察できない。

    腑に落ちる本でした。

  • ――哲学の教科書、なんてものはない、ということを透徹した著者によってつづられた哲学の教科書は自己矛盾と自己批判を経てつづられていく。そのあたりにツァラトゥストラの匂いを嗅ぎとった。哲学者は総じて胡散臭いが(学者であろうとも)、俺が認める哲学者は、「自ら苦悩しその実感を基に哲学している人間」である。「実感」のない哲学などは所詮、教養でしかない。そこに知の好奇心はあっても圧倒的な生々しさは見出せない。だが、そこにはある種病的なところがある。著者は、哲学をして、「病気に近しくて、凶暴性・危険性・反社会性的な思考に絡めとられた悪趣味」と評している。だが、個人的にはそこに一票を投じたい。哲学も、思想も、文学もなければなくていい。しかし、思考に絡めとられぬけ出せなくなった人間にとっては、絶対的に必要な分野なのである。そして、その人間は絶えず一定数存在しているのだ。それゆえに、ソクラテスやプラトンから始まり、ニーチェやハイデガーなどの著書は未だに読まれ続けるのである。

    ちなみに、ヴィトゲンシュタインは論理的哲学考において、哲学的な命題に解を出し切ったと考えたらしい。そこで一度哲学そのものに終止を打ち、だが、その後、別の尺度から哲学を再考した。ここに哲学の抱える一つの矛盾があるのかもしれない。哲学の目的とは答えを導き出すことなのか?しかし、違う。なぜならば、答えを出したところで思考はやまないからである。思考は巡り続ける。ヴィトゲンシュタインがもし、本当にそこで哲学を終わらせたかったならば、論理的哲学考を仕上げた時点で自殺しなければならなかった。しかし、彼は自殺しなかった。結果として、思考は巡り続ける。思考はとある一つの地点にとどまってはいられない。少なくとも、哲学という迷路に迷いこんだ時点でそいつは思考から不可分の存在となりうる。これは才能であると同時に、荷物なのであろう。では、哲学とはなんなのかと言うと、それはつまり考え続けるということに他ならない。考え続けるために考え続けているのではないか?無論、答えが出ることもある。しかし、だからといってほかの分野がある。その答えへの反証もある。思考はやまない。思考することこそが哲学の意義であるとするならば、哲学に終焉はない。いや、終焉を迎えさせてはいけないのである。だが、仮に答えが出尽くしたところで思考はやみはしないだろうから、そういう意味において哲学には終わりはない。それを知らしめてくれる一冊であったと言えるかもしれない。


    また、本著の特徴としては、哲学史概説となっていないところがあげられる。著者独特の哲学観みたいなのが所々提示され、しかし、深く追及する前にぱっと手を離され、後は自由にやってみてくれとだけ冷たく(温かく?)述べて次へと進んでいく。著者自身としては自らこう思うと断じているものの、批判はどんとこい、という鷹揚な姿勢をとっているあたりに哲学者としての評価が高まるように思う。権威に背を向けているのである。また、所々上げられている例などを見ている限り、地味に文学性を持っている方だと思われる。

  • 死刑囚から母への手紙は一見の価値あり。感動しました。

  • 3年半ぶりの再読。授業で使えそうなところを拾っていく読み方をした。個人的には永井均の入門書のほうがしっくりくるが文学をたくさん引用していて倫理の授業で使う資料の収集にはうってつけだった。もっとも哲学者からすれば倫理の授業で子どもに哲学関連の知識教えるなんて「愚の骨頂」だろうが。

  •  哲学の大きな特徴は、時間や自我、物体、因果律などについて徹底的な懐疑を遂行することであり、この点で、これらに拘泥せずに前提とした上で論じられる思想や文学、芸術、人生論、宗教とは異なっているのである(なお、哲学でないことがこれらの価値を下げることはない)。また、物理学、社会学、心理学などの諸科学では、私固有の意味付けや印象は排除され、客観性が求められるが、哲学は、自分固有の人生に対する実感を忠実に、しかもあたかもそこに普遍性が成り立ちうるかのように言語化する営みである点で異なっている。ゆえに、科学には客観的な答えはあるが、哲学は、人類の歴史が終わるまで終わりはなく、問い続ける運命にあるのである(哲学の一番の敵は、「分かったつもり」になることである)。
    ところで、「死」を全くの「無」と仮定することは、我々の実感に合わない。すなわち、我々は死を不幸でかわいそうな状態というマイナスの了解事項として捉えているである。そしてこのことが、我々が日常的「死」を直視しないようにして生きている原因の一つなのかもしれない。しかし、われわれが死ぬことよりも確実なことはない以上、「死」について恐れず考えるべきであり、自分が一滴もいない世界について思いを寄せることほど欺瞞的なことはないのである。
     この他にも、哲学が取り組んでいる固有の問いには、時間、因果関係、意志、存在、他者、善などがあるが、これらの問いに答えようとする哲学は、医学や法学のように技術や道具として役立つものではない。ただ、哲学は徹底的に疑うところから出発するため、前提とされている了解事項や、我々に押し寄せる不幸(様々あるが、究極的には「死」)をごまかさずに直視する目を養うことにつながる。つまり、哲学とは、「死」を宇宙論的な背景によって見つめることであり、それによって、小さな地球上のそのまた小さな人間社会のみみっちい価値観の外に出る道を教えてくれるものなのである。

     おそらく本書は、様々な例を挙げることで、哲学の感触を読者に届けようとして書かれたものであると思われる。そのため、哲学に関する本にしては、特に中島義道にしては、分かりやすい本になっていると考えられる。
    哲学的な問いとはどういうものか理解でき、勉強になった(例えば、「近代とは何であったのか」は哲学的な問いではなく、「過去はいかに存在するのか」は哲学的な問いである)。また、日頃から哲学的視点を持ち合わせていることは、言葉の意味に敏感になったり、因果について深く検討したりすることにつながり、自分の視野や思考が広がると感じた。

  • 読了

  • 考えながら読む事が出来るので、中島先生の著書は
    そういう意味でも好きです。

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プロフィール

1946年生まれ。
東京大学法学部卒業。同大学院哲学専攻修士課程修了。ウィーン大学で哲学博士号取得。電気通信大学教授を経て、現在は「哲学塾カント」を主宰。専攻は時間論、自我論。
著書に『哲学の教科書』『「時間」を哲学する』『ウィーン愛憎』『「私」の秘密』『「純粋理性批判」を噛み砕く』『哲学塾授業』『差別感情の哲学』『不在の哲学』ほか多数。

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