能・文楽・歌舞伎 (講談社学術文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061594852

作品紹介・あらすじ

厳粛の中で神秘的幽玄の美が醸し出される能。人形に不思議な生命を吹き込み演じる文楽。華麗な色彩と響きと演技が繰り広げられる歌舞伎。少年期に演劇の擒になって以来、七十年。日本人以上に日本文化に通暁するキーン博士が世界に比類のない日本の伝統芸能について、その歴史と魅力と醍醐味とを存分に語り尽くす。

感想・レビュー・書評

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  • 私にとって、今年は(理由はともかく)機会を見つけては能を観に行った一年となった。非常に難解かつ深淵と言われる能に私が魅力を感じ続けたのは、この本の素晴らしさによるところがとても大きかったと思う。

    「アリストテレスの言葉を借りれば、劇とは始まりがあり、展開があって、やがて結末に至るべきものだが、能においてはすべてが結末のようでもあり、数々の場面を区切るのは異なる調子を持った音楽である。(略)そこへ行くと、能に出てくる者たちは美しい影以上のものではなく、束の間にほとばしる感情を体現したかのような存在である」

    能が持つ荘厳さと神秘さを、ドナルド・キーンさんはこの上ない愛情を持って語る。それはただ舞台を「観る」以上のよろこび……芸術をその身で感じ、美というものの本質に触れるよろこびに感じられた。
    キーンさんの日本の文学・芸能の知識は本当に素晴らしく、それだけで読んでいて感動するほどなのだが、それ以上に彼の芸術を愛し、またそれを表現する文章にこちらもはっとさせられる。

    「能の意図するところは表面的な楽しみを追うことではなく、個を越え深淵へと向かい、究極的には人の心の源に触れんとするものである」

    本書ではタイトルの通り、文楽と歌舞伎についても語られている(キーンさんの博士論文は近松の『国性爺合戦』である)ものの、その大部分を能(と狂言)が占めている。また、著者自身もはっきりと「しばらく外国で過ごしてから、日本に着いて真っ先に見たくなるのは、私の場合は能なのです」と書いている。
    何が私たちをそこまで能に引きつけるのだろう。様式化された抽象的な表現、起伏がなく極度に遅いストーリー展開、難解な音楽と台詞回し……それらはただ鑑賞するだけで、観客に多くのものを強いる。
    しかし、同時にそれらは崇高でより神秘的な次元をこの世のものとして舞台に表現してもいる。時に、それらはリアリティを超えた「何か」である。

    正直なところ、私は勉強不足もはなはだしいしいので、能の本質に触れるには一体どれだけの時間がかかるのかと思うと気が遠くなる。また、それを理解し受けとめられるだけの素質があるのかも疑問である。
    しかしそれでも、能の舞台を観ているとなにかしらの感動に震える瞬間があった。そのような感動がキーンさんの感じたものと似たようなものだったのかしら、と考え嬉しくなるだけでも、この本に出会えた私の喜びのほどが知れることだろう。

  • 各々の芸能の成立から現在までを追った入門書。買った動機は『文楽』の翻訳が吉田健一だったからで、どれかに興味があるとか、そういうことではない……。
    元々、外国人向けに書かれたものであるせいか、シンプルに纏められていて、入門書としてはかなり出来がいいと言えるのでは? 他の本を読んだことがないからはっきりとしたことは言えないが……。

    『文楽』パート以外の翻訳者は松宮史朗なのだが、この人の訳文がまるで教科書を読んでいるようなキッチリした端正な日本語。そして『文楽』が『能』と『歌舞伎』の間に挟まっているという構成。なので訳文のテイストの違いをじっくりと楽しめる……という次第。

  • ドナルド・キーン書。とにかくすごい。呼んでたもれ。日本人が解説する以上の中身です。

  •  テクストあるいは元の講演は1966年から1998年のもの。能・文楽(浄瑠璃)・歌舞伎などをテーマとしたアンソロジー。能や歌舞伎に興味はあるがあまり知識が無いという読者にぴったりの入門書で、今の私にも丁度良い、有益な本だった。
     私もかなり前から、スカパーでときおり能を見たりもしていたが、能の台詞や謡は何を言っているのか聞き取れないし、たとえ聞き取れても言葉がかなり古い(室町時代とか)ので、古文に明るくない私には内容がほとんど把握できなかった。能に流れる音楽をぼんやりと聴くだけであった。
     最近になって、歌舞伎や能のDVDでは台詞等を字幕表示させられると知り、能に関しては原テクストをあらかじめ、可能な限り現代語訳も含めて目を通しておくことで、なんとか中身がわかるようになってきた。
     ドナルド・キーンさんの言うように、確かに能は玄人向けの芸術であって、何度も何度も参観していくことでやっとその価値が分かる、という態のものらしい。
     現在演じられている能では、役者がえらくゆっくりと歩いてくるところから始まるが、その歩くのろさや、やたら間延びした台詞・謡は、スピード重視で強迫的にせわしなく生きている現代人にとっては、ひどくもどかしくじれったいように感じられるに違いない。もちろん私もせっかちだから、この歩き方は遅いなあ、と思う。DVDを早送りしたくなってしまう。
     このような極度の「遅さ」は、本書によると江戸時代、徳川家の絶対権力が能を庇護すると同時に中身にも介入してきて、極端に「儀式化」したためにこうなったらしいのだ。世阿弥の室町時代から秀吉の桃山時代までは、どうやら個々の能は上演時間が遥かに短く、つまりテンポが速かったらしい。
    「日本人は儀式が好きだ」などと形骸的な儀式を擁護する人に、私は良い感情を持たない。儀式という「形」を極度に尊重するということは、その「形」に自ら隷属し個人としての判断や責任を揚棄するということであり、このことから生じる深刻な日本社会の欠点はしばしば救いがたいように見える。「形」への依存が、無意味な会議や悪しき習慣を決して改革できないように維持してしまうのである。
     が、そこには良い半面もあるのだろう。キーンさんは現在の、極度に儀式化された能が最も素晴らしいのだと断言している。私は現代の能にも歌舞伎にも、現実の女性が役者として登場してもいいと思うのだが・・・。

     私は文楽(浄瑠璃)を映像としても今までちゃんと通して見たことは無かったのだが、本書を読んでにわかに興味が湧いた。
     本書によると、たとえば、日本のこの人形劇では、人形を操作する者(黒子?)が観客から丸見えになっているという状態が、世界でも類を見ない特徴だという。
     わざわざ舞台裏を覗かせるような仕掛けは、人形の演ずる<劇>のレベルと、それを生成している<作者/操作者>の現実界のレベルとの差異をくっきりと際立たせているということだろうか。<劇>は人間にとって現実界から想像界ないし象徴界にトランスする経験を打ち出す。このトランスに当たっての重要な異化作用を、むき出しの人形遣いがその境界線となって現出しているのではないか。
     能において特徴的な「能面」も、やはり、「異化作用」を通してシンボル的な<物語>の世界を現出させる小道具なのかもしれない。
     私たちの世代は、そして現代日本社会は、そのような異化作用をもたらす記号をよく知っている。アメリカのスーパーマンとは異なって顔面をすっかり隠した仮面ライダーや戦隊もののヒーローたちが、生身の人間からの「変身」によって「異化作用から物語世界へのトランス」を果たすことに、私たちはほんの小さな頃から馴染んできた。
     さらに、本書の文楽の章を読んでいて感じたのだが、この文楽の文化は、そのままこんにちの「アニメ」文化へと続いているのではないか、ということである。材質から言ってやはり人間らしさからは隔絶する「人形」という存在の奇妙さが、デフォルメされ現実の人間とは遊離してしまったアニメの登場人物たちの非-現実的実存へと結び付いているように、私には思えたのだ。そして、アニメファン(オタク)たちは「声優さん」を神のようにあがめるらしいのだが(私には全く興味がない)、これは実にわざとらしい言い回しで現実感からは隔絶した様式化を示す「声優」たちが、文楽の人形を操作する人形遣いの姿の現前と同様の、差異の境界線を司る呪術師のような役割を果たしているからではないか。
     トランスを実現するために、異質な世界と世界とを「渡す」こと。その操作それ自体の価値が、シンボル的な世界、シンボル的な思考の意味を決定していること。そんなとりとめの無い思いに、本書を読みながら私は誘われていった。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/740272

  • 以前から、能や文楽に関する良質の入門書を探していたのだけれど、おそらくこれは最良のものだと思う。えてして欧米人の日本理解というものは、オリエンタリズムによっていくらか焦点のずれたものになりがち。でも本書は本気で日本の古典芸能を解明しようとしている。吉田健一が訳出に携わっている点でも信用できた。
    日本人が書いた能、文楽、歌舞伎の解説書は、どうしても閉鎖的になりがち。日本人なら知っていて当然、みたいな用語が散見される。でもこちら素人としてはそんな教養、ない。
    そこへドナルド・キーン。ヨーロッパ文明から見た古典芸能が、客観的に記述されていて、しかも著者は、並の日本人読者よりも、古典芸能に精通していると来ている。
    これほど適した案内人はいない。どれほど日本の古典芸能が好きであれ、やはり様々な疑問が湧き出ることを拒むことはできない。やはり西洋の演劇と較べてしまう。結果、まるで、子どもが見るような目で、自国の芸能を公平に見ることができる。善きにつけ悪しきにつけ。

  • 意外と読みやすかった。
    でも、初心者向けでもない。

    歌舞伎に関する記述は少ない。

  • 序文
    第一部 能
    第二部 文楽
    第三部 歌舞伎と日本の演劇
    (目次より)

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著者プロフィール

1922年ニューヨーク生まれ。コロンビア大学名誉教授。日本文学研究者、文芸評論家。2011年3月の東日本大震災後に日本永住・日本国籍取得を決意し、翌年3月に日本国籍を取得。主な著書に『百代の過客』『日本文学の歴史』(全十八巻)『明治天皇』『正岡子規』『ドナルド・キーン著作集』(全十五巻)など。また、古典の『徒然草』や『奥の細道』、近松門左衛門から現代作家の三島由紀夫や安部公房などの著作まで英訳書も多数。

「2014年 『日本の俳句はなぜ世界文学なのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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