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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784061595651
作品紹介・あらすじ
切々と愛弟子に訴える最後の訓戒。炎の教師、松蔭の遺書。読みやすい大文字版!
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留置まし大和魂」。
志高く維新を先駆した炎の思想家吉田松陰が安政の大獄に連座し、牢獄で執筆した『留魂録』。愛弟子へ切々と訴えかける最後の訓戒で、死に直面した人間が悟り得た死生観を書き記した格調高い遺書文学の傑作を味読・精読する。
[本書の内容]
学術文庫版のためのまえがき
はじめに
例 言
I 解 題
世に出るまで
二十一回の猛
法廷での激論
奸権のために死す
死して不朽の見込み
冴えわたる死生観
獄中のまじわり
尊攘堂の設立
死刑宣告
II 留魂録
第一章 余去年已来心蹟百変
第二章 七月九日、初めて評定所呼出しあり
第三章 吾が性激烈怒罵に短し
第四章 此の回の口書甚だ草々なり
第五章 七月九日、一通り大原公の事
第六章 要諫一条に付き
第七章 吾れ此の回初め素より生を謀らず
第八章 今日死を決するの安心は
第九章 東口揚屋に居る水戸の郷士堀江克之助
第十章 堀江常に神道を崇め
第十一章 小林民部云ふ
第十二章 讃の高松の藩士長谷川宗右衛門
第十三章 右数条、余徒らに書するに非ず
第十四章 越前の橋本左内
第十五章 清狂の護国論及び吟稿
第十六章 同志諸友の内
〈付〉 史伝・吉田松陰
丘の上の貧乏武士
兵学師範吉田家
萩城での親試
『外夷小記』
旅が始まる日
九州遊歴
江戸遊学
東北亡命
黒船来航
『将及私言』
下田踏海事件
獄中の二十一回猛士
『講孟余話』
一筆誅姦権
『松下村塾の記』
『狂夫の言』
松陰門下の生死
杉蔵往け!
間部詮勝暗殺計画
「自由をわれに」
武蔵の野辺に朽ちぬとも
あとがき
みんなの感想まとめ
死を目前にした思想家が愛弟子に向けて綴った遺書は、彼の深い死生観と大和魂を感じさせる感動的な作品です。吉田松陰は、処刑を覚悟しながらも、後進への思いを強く持ち続け、その志を託しました。本書では、彼が獄...
感想・レビュー・書評
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吉田松陰が処刑前日に書き上げた遺書『留魂録』の原文と現代語訳、解題と史伝です。
安政六年(1859年)10月26日に松陰先生が牢内で書き上げた遺書『留魂録』は2部あり、そのどちらも読まれるべき者の手に渡り現代に残ります。
評定所の姿勢から下される判決が遠島ではなく処刑だと察した松陰先生は生きて日ノ本を良くすることを諦め、死んで日ノ本を良くすることへ考えを改めました。
死を目前に書き留められた遺書には、死生観、自分が死ぬことに不満がないこと、死ぬまでに行った実績、死後に頼るべき人、この瞬間の思い、が綴られています。
解題は『留魂録』が記されることになった経緯、史伝は先生の生涯が詳細に記されています。
この一冊で吉田松陰先生の多くを学ぶことができる良書です。
身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置まし大和魂
二十一回猛士詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂
時の日本にとって、吉田松陰を得たことはなんと幸運であったと。日本が結果、独立を保てたのは、松陰が後進に託した大和魂であったと思います。 -
30歳で処刑された吉田松陰の遺書・遺言書。言わずと知れた幕末の志士である。
彼が逮捕されて処刑されるに至った経緯を知らなかったのだが、知られていると思っていた罪(暗殺の企て)を自白してしまう。その罪で収監され処刑までの期間に仲間に向けてたくさんの書簡を書いた。この本はそれを集めてかれの胸中や状況を分析したものである。
長州藩にあった松下塾の門下生には歴史に名を遺した人がたくさん通って学んでいて、顔ぶれがとても豪華だ。そこで松陰は後輩たちを育てるべく、さまざまな講義を行っていた。獄中から手紙を届けてくれる友人のおかげで彼の志は伝わったようだ。
処刑前は過激な考えと他人を煽るような行動から、周りから距離を置かれていたようだ。彼の正義感が幕末の日本の変革に一石を投じたことは確かだろう。
読みものとしては、面白くてグイグイ読めるという感じではなかった。 -
吉田松陰が死の2日前に書かれたという「留魂録」。解題が最初にあってそれから本文・現代語訳、そして最後に吉田松陰の史伝、という3部構成で、とても分かりやすくまとめられていました。
それにしても、明治維新の志士を育て上げた吉田松陰。最後の死が壮絶だったからこそ、皆を奮起させたのかと思わされました。まさに、旅と読書と人から学ばれた様子が伝わってきました。 -
吉田松陰が死の前日に書いた遺書であり、自らの魂を受け継がせる塾生に宛てた手紙である。
留魂録を読み、死ぬこととはどういうことか、その日まで自分の命をどう使うか、その死生観を考えさせられ、30歳の若者が死の前日にここまで落ち着いた文章で、自分の人生を総括できるものなのかと驚嘆する。
松陰の死生観と至誠をもっと学んでみたい。 -
激烈なまでの大和魂で、処刑されるまで疾駆した吉田松陰。本書は死に臨んで同胞達に訓戒した書である。あまりに死を超越したような覚悟をもって大言壮語する様子は痛快だが、現代においてこうまでして激烈な思想信条をもって行動を取る姿勢は、時代の歓迎を受けないだろう。一つに、科学を取り込んで冷静に考察する態度は重要である。とはいえ、科学の思考をもってただ言論を交わしているということでは、科学など取るに足らないと考えてしまうだろうが、科学によって実際に果実を手にすることができると分かれば、気合い一点張りで進めることはやめ、科学の冷静さを認めることになるのではないか。確かに、吉田松陰の熱情は、今触れてみても、痛快である。しかし、現代において現実を動かすには、熱意は必要だが、それに加え、科学によって冷徹に外堀を埋めるということは、かなり重要であると思う次第である。
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吉田松陰
処刑前日に書き終えた遺書「留魂録」
身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも
留め置かまし 大和魂
無念のうちに散ったの思える松陰も
留魂録の中ではこう言っている。
人それぞれの人生には四季がある。
10代で死ぬ者も、その人生の中には四季があると。自分の29年という人生も、実は身を結んでいるのだと。
年数ではなく、その与えられた人生を如何に生きたかにこそ価値があると。
吉田松陰が教育者として当時の中で一線を画していたのは、
身分制度を越えた横の関係で、塾生と繋がっていたことだろう。
身分に関係なく師と生徒が互いに学び合う。
身分制度の束縛が強すぎると藩に松陰が提言したほどの封建制の社会。
西欧の民主主義の概念を吉田松陰が知る前に、既に藩主に提言していたのだから、元からして近代的な思想を持っていたと言える。
横目でアヘン戦争によってズタズタにされているあの大国である清の惨状を見れば、ペリー来航による危機意識をもつのも当然のことと思える。
松陰神社に静かに佇む、松陰の墓を目の前に、
松陰の影響は小さくはなかったと、想いにふけった。
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たかだか五千字程度に著された人生の深淵。
死ぬ事とは何か、至誠とは何か。
暗中模索で駆け抜けるその姿はまさに自ずから咲き誇る花なり。 -
斉藤さんに薦められて読んだ本。
吉田松陰の「死生観」に触れられる。
>死して不朽の見込みあらば、いつ死んでもよいし、生きて大業をなしとげる見込みあらば、いつまでも生きたらよいのである。
つまり、私の見るところでは、人間というものは、生死を度外視して、要するになすべきをなす心構えが大切なのだ。
”不朽”は小山さんの「人は2度死ぬ」にあたり、
”なずべきをなす心構え”は斉藤さんの「立志」にあたる、と思う。
紹介して頂き、感謝☆
***
留魂録は、吉田松陰の”遺書”と位置づけられている。
処刑される2日前に筆をとり、前日夕方に完成した5000字程度の文書。
自分の死期を知り、それに恐れる心の変化を冷静に書き、死んだ後の門下生のために書いた。
死ぬと分かっている人が、自分が死んだ後の事を考え、どうすればよいのかまで言えるのだろうか。言えない。
だからこそ、吉田松陰が死して不朽の存在なのであろう。
本は3部構成。
1.留魂録の時代背景
2.留魂録
3.吉田松陰の人生
吉田松陰にあまり詳しくない人にも読める内容になっている。
***
今年の夏、萩の松下村塾にいった。
バイクで全国巡りの途中である。
朝5時に宇野を出発した時に、道路看板に「萩」の文字が見えた。
予定になかったけれど、向かった。
これは必然だったのか。
吉田松陰の人生30年。
俺はあと4年で追いつく。追いつけるのか。何ができるのか。
考えさせれる。
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祝☆月間レビュー50冊突破☆ -
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吉田松陰先生の想いと生き様を感じられました。
当時の激動の日本の中で、外国に目を向けつつ日本のことを真剣に考えていたんだと感じました。
また読み返したくなる本だと思います。 -
明治維新の礎を築いた偉人の未来を見つめて記された獄中記。
小伝馬町駅から徒歩1分の現在、公園として親しまれている場所で書かれたもの。
内容は塾生に向けたものであり取っ付き辛い。
しかし、書物として世に広まり、先生の志が後世まで継承されているという事実が、先生の志の熱さを物語っている。 -
想いがビリビリと伝わってきた。
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吉田松陰の教育に対する考え方は、人を育てる普遍解である。
教育の本質は、志を育てること。
そして、学ぶだけでなく、実践することに主眼をおき、自ら行動することでこそ真の成長が得られるとしている。
また、教え子たちの一人ひとりの個性を大切にし、その特性を活かせるように指導していて、その指導方法も画一的な教育を押し付けるのではなく、生徒それぞれの可能性を引き出すことを心がけている。
教え子たちの出身や地位にかかわらず平等に接して、個々の才能を認め、それを磨くための助言を行うという現代社会にも通用するビジネスパーソン教育でもある。
吉田松陰自身は、社会を変革するためには新しい考え方を持つ人材が必要だと考え、これを実現するために命を懸けている。
時代を変える人材の育成を目指し、実際に高杉晋作や伊藤博文、久坂玄瑞など、幕末や明治維新で活躍する猛者をそだてた。 -
留魂録自体はかなり短く、状況の説明のような部分も多いので見所としては辞世の句と8章の四季の部分。紙面のほとんどを占めるのが吉田松陰の史伝。吉田松陰に対する尊敬の念は計り知れないが、この本自体の評価は3つ星くらい。
ただ吉田松陰の史伝で人となりは分かった。 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/740287 -
全訳されているため、意味は現代語で理解できる
自身の誠を持って話せばわかってくれると
最後まで信じていた吉田松陰が死を前に
門下生を焚きつけた文章。
→間部詮勝暗殺計画を自ら口走ってしまった
人には何歳で人生が終わるとしても四季がある
→その中でどんな実を結び、次の種をつくるのか
飛耳長目、外に目を向けることに重きを置いていた -
吉田松陰 留魂録
松陰が牢獄で弟子に遺した遺書。死に対する覚悟、死後のきめ細やかな配慮に 感動する。
「死して不朽の見込みあらば いつ死んでもよし」とする死生観(大和魂)は 生の否定でも、運命論でもなく、生死を超えた生き方、心構えの到達点と感じた。
儒学だけでなく 詩歌にも長けていることに驚いた。「二十一回猛士」が、吉田松陰のペンネームとは 知らなかった。死ぬまでに全力をあげて21回の行動を起こす誓いをこめているらしい。
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」
「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」誠を尽くせば 人は必ず動かされる(孟子)
「此の心 吾れ此の身を惜しむ為めに発するに非ず」
*死して不朽の見込みあるなら いつ死んでもいいし、生きて大業の見込みあるなら いつまでも生きればよい
*人間は 生死を度外視して〜なすべきをなす心構えこそ大切
「今日 死を決するの安心は 四季の循環に於いて得る所あり」
知性と意志力で死を克服しようとした〜到達点は 穀物の四季の循環に例えた死生観
「彼の長技を以って 彼の長技をふせぐ〜以夷攻夷の上策なり」
松陰の攘夷論は 排外思想でなく 先進文明を吸収するためのもの
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吉田松陰の生き様、思想が知ることが出来る。強い信念を持ち後に明治維新を起こす塾生達が奮い起つ様が分かる。
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吉田松陰が死刑執行の直前に書いたもの。遺書のようであり、松下村塾の塾生に向けた手紙のようなものだった。松陰の史伝についても載せられている。その史伝と、留魂録を照らし合わせて読むと、松陰の為人や考えがより伝わってきた。
常軌を逸するほどの熱量を持ち、自身を顧みない性格や、塾生をはじめとして周りの人々をやさしく、それでいて強く感化していくところから、彼の偉大さを実感し、感銘を受けた。
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