信長の戦争 『信長公記』に見る戦国軍事学 (講談社学術文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061595781

作品紹介・あらすじ

織田信長は"軍事的天才"だったのか?桶狭間の奇襲戦、秀吉による墨俣一夜城築城、長篠合戦の鉄砲三千挺・三段撃ち。これまで常識とされてきたこれらの"史実"は、後世になって作られたものだった-。信長研究の基本にして最良の史料である『信長公記』の精読によって、信長神話と戦国合戦の虚像、それらを作りあげた意外な真実に迫る意欲作。

感想・レビュー・書評

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  • 史料的に価値の高い『信長公記』における戦争に関わる記述を主要な文献として参照することで、一般に天才的だと評価される信長の軍事面での功績について検証する。序章では『信長公記』と著者である太田牛一について確認し、六章までの各章でそれぞれ取り上げる代表的な合戦について個々に分析し、信長の軍事に関する華々しい通説・俗説の数々を検める。

    1.桶狭間の合戦
    天下取りのため都に向かう今川義元の大軍を織田軍が奇襲で破ったとされる。しかし実際は平凡な群雄間の境界争いであり、奇襲の事実もない。織田軍の正面攻撃によって勝敗が決した。信長の判断ミスもあったが、幸運が味方した部分も大きい。

    2.美濃攻め
    秀吉による墨俣一夜城築城の活躍が有名だが、一夜城は実在そのものが疑わしい。美濃攻めでは徹底的な攻城戦はほぼ行われず、長期間にわたる攻略であり、敵将を抱き込む調略が功を奏した。

    3.姉川合戦
    織田・徳川軍と浅井・朝倉軍による大規模な正面衝突。戦国大名たちは一般に自軍が損害を出すことを極力避けたがるため、このような全面戦争はむしろ珍しかった。朝倉氏の決断力の欠如、信長を裏切った浅井氏と朝倉氏が地理的に連携しづらかった事情を浅井・朝倉軍の敗因とする。

    4.長嶋一揆攻め
    信長による大虐殺として知られ、一揆軍に対する卑劣な裏切り行為も記録されている。長嶋一揆は1574年当時、信長の最も身近にいた強敵であり、長嶋は岐阜と伊勢湾を結ぶ交通の要衝にあった。東の武田勝頼、西の石山本願寺に対抗する以前に足元をすくわれる恐れがあったため、徹底的な殲滅が断行された。

    5.長篠合戦
    鉄砲の"三段撃ちがの発明された戦とされる。しかし、"三段撃ち"そのものは弓矢の時代からさほど珍しい方法ではないうえ、当時の火縄銃では現実的な運用は不可能であり、"三段撃ち"が行われた形跡もない。鉄砲が勝利に大きく貢献したことは間違いないが、武田も鉄砲の威力を過小評価していたわけではなく、堺の港を掌握していた信長は鉛を入手しやすかった。それ以前に、信長は兵力差で武田氏を圧倒していた。

    6.石山本願寺攻め
    毛利水軍に対抗するために編みだされた鉄甲船が画期的だとされる。しかし、鉄板の装甲は当時すでに珍しくなく、独創的な新発明などではなかった。また、それ自体が高コスト、運動性・安定性の低下といった大きな弱点を抱えており、大阪湾の奥という狭い水域で敵の補給部隊を待ち伏せるという限られた目的において用いられた。

    上記のように、「奇襲」「一夜城」「三段撃ち」「鉄甲船」といった、信長を象徴するとされる戦法やアイデアは、いずれも実在自体が疑わしいか、当時において既に新しくなかったとして、次々と否定されている。そしてその多くは、『信長公記』の太田牛一が歴史から姿を消した直後に刊行された江戸時代の小説、『甫庵信長記』を起源とし、一部は明治時代の旧帝国軍などによって歴史的な事実として"お墨付き"を与えられてしまう。著者はこのことが、迂回・奇襲を好む旧帝国軍の用兵にも悪影響を及ぼしたのではないかと推測する。

    天才性のベールを取り払われた信長の軍事面での実際は、敵将を寝返らせる調略を重視し、戦力差で圧倒するという手堅いものだった。信長の特徴で従来通りのイメージと思えたものとしては、その行動の早さが挙げられる。調略が成功するや否や敵地に攻め込み、桶狭間では主力との連携をスムーズにするために自身が陣頭指揮を執るといった大胆な行動も目を引く。勝敗を分けるものとして、情報のスピードを重視していたことがわかる。

    おそらくテレビや雑学本などによって、このなかの説のいくつかは既知だった。もとをたどれば本書が情報の発信源だったのかもしれない。信長に関する歴史的な俗説による誤解を取り去るだけでなく、代表的な合戦を通して常識的な信長像を改めて提示している。また、フィクションによって信長像が歪んだ事実を通して、軽々しく「奇策」「新戦術」を歓迎することや、フィクションで扱われる歴史に関する情報を鵜吞みにすることについての危うさも教えられる。終章「本能寺の変 謀反への底流」において披露される、武田氏の滅亡と絡めた明智光秀の謀反の動機に関する著者の見解も見どころ。

  • 一般的に語られるような信長が行ってきた事を『信長公記』という一級史料を用いて、再検証している。
    この本に書いてある内容は教科書で事実と教えられた内容が必ずしも正しくないということと新たな史料が見つかることで歴史は容易に変わっていくということだな。
    [more]
    実際、桶狭間の戦いや長篠の戦いで従来定説とされた奇襲や三段撃ちではなかったことは現在では比較的、知られるようになってきた。これからも色々と変化するのだろうな。
    このような歴史は絶対ではないということは意識しておく必要があるよね。

  • これを読めば、本当のことは噂ではなく自分で確認しないとダメだと分かる

  • あり来たりなタイトルだが、単に信長の戦歴を羅列したというより、戦場の地形と信頼の置ける史料に基づいて論考した、戦国時代の戦争の実態といった内容。兵士の消耗を出来るだけ避けたかった戦国大名にとって、調略や外交は大きな意義を待ち、これを踏まえない事には戦国時代も読み解けず、戦争を極度に好んだとされる信長の戦略からもそれは濃厚に伺われる。また従来の軍記もののイメージが特に強い桶狭間や長篠の戦いに関する論考は読みどころ。史料は信長公記の引用がメインで、そこに依存(信頼)し過ぎな面はやや感じるものの、行軍行程や地図を用いた詳述には説得力があり、最後まで飽きなかった。

  • 本当のことだとしたら、今まで大きく誤解していた。大河ドラマはなぜ変わらないのだろう?

  •  本書の原本は1993年刊行だから20年以上も前だ。それにも拘わらず新鮮な気がするのは、今でも織田信長ものはムック本や雑誌特集などで頻繁に取り上げられ、常識を覆した天才ともてはやされているが、それら天才の事跡が史実ではないと明確に示したからだ。
     織田信長と同時代人の太田牛一の信長公記を丹念に読み解き、信長の戦いの特長は、奇襲や新戦法ではなく、常套手段を用い相手より大勢で臨む慎重な戦いぶりと調略と同時に動くスピードにあると考察する。
     本書は、まず信長公記の特色を丁寧に説明し、その後に桶狭間、美濃攻め、姉川、長嶋一揆、長篠、石山本願寺、と解説する。
     巷間に伝わる奇襲戦などは後世の物語であり、帝国陸軍もそれを学んで奇襲好きになったのが旧軍の悪弊につながったとも指摘する。
     本書を持ってそれらの古戦場をめぐると、きっと楽しいに違いない。

  • 信長公記を元に桶狭間や長篠に纏わる俗説を正していく内容
    全てを鵜呑みにも出来ませんが歴史に興味があれば読まざるをえないでしょう

  • いま読んでる

  • 信長の戦争で巷間伝えられる「常識」

    例えば、桶狭間の戦いで信長が今川義元を討ち取る事ができたのは、迂回・奇襲の結果である、という「常識」

    このような内容は信用できる資料には一切見出されず、後世の歴史家は江戸時代に成立した『甫庵信長記』の記事をそのまま鵜呑みにしているだけだと筆者は指摘する。

    そして『信長公記』から信長の軍事行動の真相を導き出す。論法としては、第一章で「なぜ『信長公記』は信用できるか」を述べ、第二章以下で、『信長公記』とその他の資料を組み合わせ、信長の生涯の主な戦争の真相を述べてゆく。


    論理明快で非常に面白く読めた。
    本能寺の変の原因については賛同できないが、その他の部分は概ね賛同できる内容だった。
    やっぱり歴史は奥深く、果てしない世界だと改めて想った。

  • 『信長公記』の成立から詳しく解説されて、当時の常識もよく分かる。鉄砲三段打ちとか無理じゃね?実際にやるの難しくね?と誰かが突っ込みそうなところも丁寧に解説してくれてなんだかすっきり。安宅船のくだりも面白かった。

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