チベットのモーツァルト (講談社学術文庫)

著者 :
  • 講談社
3.36
  • (13)
  • (23)
  • (57)
  • (8)
  • (2)
本棚登録 : 337
レビュー : 26
  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061595910

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 見えるってなんだろう?

  • 以下の文章はぼくが大学でゼミの卒論として記した「 心身二元論の未来~その多様的現実の可能性」からの抜粋だ。そこでぼくは「チベットのモーツァルト」の中でも特にお気に入りの箇所を引用しているので紹介したい。ちなみにこれはただ引用したいがために記された論評だったと述懐する。

    以下、抜粋

    ところで、心身二元論においては精神と身体は区別されるのだが、では精神はどこにあるのだろうか。身体を構成する器官のなかに精神の器官は現出しない。では、非物質的に精神は身体とシンクロしていることになる。ここで、精神の具現化を図るときぼくたちは宗教にその方法を求めるかもしれない。デカルトもキリスト教的神の存在によって精神の存在を具現化したように、ぼくたちは東洋思想における神によって具現化を試みる。そのとき、ぼくたちはキリスト教的神が指摘できなかった事実に遭遇するのである。

    ところで、心身二元論においては精神と身体は区別されるのだが、では精神はどこにあるのだろうか。身体を構成する器官のなかに精神の器官は現出しない。では、非物質的に精神は身体とシンクロしていることになる。ここで、精神の具現化を図るときぼくたちは宗教にその方法を求めるかもしれない。デカルトもキリスト教的神の存在によって精神の存在を具現化したように、ぼくたちは東洋思想における神によって具現化を試みる。そのとき、ぼくたちはキリスト教的神が指摘できなかった事実に遭遇するのである。

    ここでいう東洋思想における神は仏教神である。ブッダの教えに耳を傾けるのだ。そのとき、精神は身体の中に拠りどころを持っていることがわかる。それはチャクラだ。胸の下のみずおちの付近にチャクラはあると言われる。その中に光の結晶のような精神(魂)が内包されている。チャクラがが開かれると奇跡的な覚醒がもたらされる、とチベット密教などでは教えられている。そして、チャクラのある付近から頭頂までは管が通っており、チベット密教にはそのチャクラに観想した「心滴」と呼ばれる赤い光の滴を管を通して頭頂から外へ押し出す「ポワ」の瞑想テクニックがある。これを続けていくと頭頂には肉の盛り上がりができ、そこに小さな穴が開くのだ、と宗教学者としてラマ僧についてニンマ派の瞑想修行を行なった中沢新一は飄々と述べる。

    --------------
    だが、七日目の晩、その日最後のセッションも終りに近づいた頃だ。いつものように「ヘック」という掛け声といっしょに「心滴」を頭頂から抜き去ったその瞬間、私は自分が奇妙な体験をしていることに気がついた。つまり私は自分が身体の外にいて、自分の身体を上の方から見おろしていることに気づいたのである。それは奇妙な感覚だった。上の方から見おろす身体は髪の毛や着物のひだにいたるまでくっきりと見えるのに、その周囲の空間は身体から遠くなるにしたがって、しだいに暗闇に溶け込んでいくようだった。しかし、不思議なことに、私は自分の後方の離れたところにある寝台にすわって心配そうにこちらを見ている同室の若い僧の姿だけは、はっきりと見ているのである。私はもっと上方の空間を見てみたいと思い、意識をそちらの方にむけた。すると、そこはまっ赤な光におおわれていた。

    この時、急いでもとの身体にもどらなくてはという気がおこったのを憶えている。身体が少し傾きはじめ不快感を感じたためでもあるし、後方の若い僧が何か大きな音をたてているのに気がついたからだ。私は懸命に、赤い光のかたまりになった自分をもとの身体に落下させる「ポワ」の究竟次第のテクニックをつかった。
    (せりか書房『チベットのモーツァルト』中沢新一著)

    ここで描かれている世界はかなり非現実的だ。いわゆる幽体離脱という現象であるが、チベット密教ではこのような現象が修行の最中にたびたび起こるのである。ここでは心身二元論は肯定されている。中沢は光のかたまりとなった自分が自分の身体を見おろしていることを確認している。つまり、精神が身体から分離されて別の空間に存在していたことを意味している。この現象の現実性を科学的に理解することは難しいが、稀に夢の中でも起こるこの現象は現実なのだ。夢の中の出来事さえ現実である。逆にふだん現実だと意識しているものこそ虚構で、現実はもっと別のところに存在するのだ。こうチベット密教のラマ僧はいう。これはかなりのレトリックではあるが、現実というものはひとつに限定できない多様性に拠っていることは確からしい。でなければ、心身二元論の精神とはどこにあるのか。つまり、精神という非物質的な存在の確認はこの現実の多様性の中にしかありえないのである。

  • 智天使が振り撒く知の歓び。

著者プロフィール

一九五〇年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。明治大学野生の科学研究所所長。思想家。著書に、『チベットのモーツァルト』『雪片曲線論』『森のバロック』『カイエ・ソバージュ』シリーズ『アースダイバー』シリーズ『野生の科学』ほか多数

「2019年 『レンマ学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

チベットのモーツァルト (講談社学術文庫)のその他の作品

中沢新一の作品

ツイートする