- Amazon.co.jp ・本 (496ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061595958
作品紹介・あらすじ
秦漢と隋唐の巨大帝国にはさまれた四百年におよぶ大分裂時代。専制君主なき群雄割拠の混迷の中から王羲之、顧〓@4ED0@之、陶淵明、『文選』など、壮大な文化は出現した。後世の中国にあらゆる面で多大な影響を残す"華やかな暗黒時代"。その爛熟してゆく「貴族制社会」の形成、変容、崩壊の変遷を詳細に読み解き、中国文明の構造と特質を浮き彫りにする。
感想・レビュー・書評
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[評価]
★★★★☆ 星4つ
[感想]
漢と隋唐に挟まれたこの時代は乱世という表現がもっとも適している時代だと考えていたが、この本を読み考え方を改めた。これよりも後の時代の中国への準備期間とでも言えばいいのか、様々なことが試行錯誤されていることが印象に残っている。
しかし、ヨーロッパと異なり混沌とした時代でも文化が継続したことが、中華的な要素が残り続けた要因だということが面白かったね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
(後で書きます。読み応えあり。参考文献リストあり)
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三国志の世界から一歩踏み出せました。華北は北方民族には魅力的だったのか、それとも元の場所にいられない理由が、あったのかは読みとれなかったなぁ。
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・漢代の江南地方は未開発の地。フロンティアの地として華北から多くの人が流れていった。
・呉の地域には「宗部」と呼ばれる抵抗組織(山越と同一?)があった。
・山越の民=安家の民。高床式の家に住み、猿の脳スープを飲む。当時の台湾の民の装飾に似た格好をしている。280年頃に書かれた臨海水土志に記載あり。
・太学は前漢にスタート。当時は50名限定だった。だんだん人が増えて後漢の頃には3万人を越える学生が洛陽に遊学へ来るようになる。首都だけでなく郡学と呼ばれる地方大学があり、さらに後漢には私学も盛況となる。(私学=故郷で生徒を教育する)
・諸葛亮を呉陣営に引き入れろと言った孫権に、諸葛瑾が伝えた「弟が忠誠契約を交わして~」は、原文だと「質をゆだねて分を定む」。質は雉に通じる。春秋時代は雉を差し出して契りを結んでいた。
・孫呉政権には世兵制という珍しいシステムがあった。これは親兄弟の兵を世襲できるシステム。兵は将軍の私兵の色合いが強くなり、結果的に呉の兵は私兵集団の連合体と言う雰囲気に。
・呉の末期、諸葛恪は孫和派、諸葛恪を暗殺した孫峻は孫覇派。
・中国東晋の政治家、謝安。 -
レポートの課題でだされたものの半ばにして挫折
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この本は1974年に講談社から出版された『中国の歴史3、魏晋南北朝』を加筆・修正をし文庫化されたものです。「魏晋南北朝」と言ってもこの時代は非常にややこしいです。「魏晋南北朝」とは三国志のおなじみの魏が曹丕が後漢から禅譲を受け皇帝になってから隋による南北統一までの時代(220-589)を指します。その中に、『三国志』でお馴染みの三国時代(220-280)、その3国を統一した西晋(265-316)。やがてその西晋の滅亡により中国は分裂し、華北では5つの異民族による抗争の五胡十六国時代(304-439)となり、江南では漢民族の王朝の東晋(317-420)となりました。やがて時を経て、華北を統一した北魏(386-534)以降の東魏(534-550)→北斉(550-577)、西魏(535-556)→北周(556-581)による5王朝の北朝、江南では東晋が滅亡し、宋(420-479)・斉(479-502)・梁(502-557)・陳(557-589)の4王朝の南朝を合わせて南北朝時代(439-589)と呼びます。また余談ですが、中国の歴史書の二十四史のうち『後漢書』『三国志』『晋書』『宋書』『南斉書』『梁書』『陳書』『魏書』『北斉書』『周書』『南史』『北史』とこの時代だけで約半分を消費します。そんなゴチャゴチャした時代をこの本はわかりやすくまとめているかと思います。
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難しいんですけど、おもろかったです。でもさっぱりわかってなくてすいません。