- Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061596221
作品紹介・あらすじ
道元には、二歳年長の弟子がいた。二祖・懐奘である。懐奘は二十年にわたり師・道元に近侍し続け、その間、道元が折にふれ弟子たちに説き聞かせた言葉を克明に筆録していた。それが『正法眼蔵随聞記』である。仏道修行者のあるべき姿を示した道元の言葉は、実生活に即して平易かつ懇切丁寧であり、道元の人と思想を知るための恰好の書ともなっている。
感想・レビュー・書評
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懐奘『正法眼蔵随聞記』(山崎正一校注・訳、講談社文庫、S47)を読む。
道元の高弟が師の教えを書き記したもの。道元さんまじパネェっす!という弟子の誇りが溢れる作。
校注の山崎先生は長きにわたり東大で比較哲学を講じられ、刊行当時すでに名誉教授になっておられます。
作りは論語のようなもので、「道元禅師が教え示して言われた、云々」という組み立て。禅師たちのエピソードが下地となっており、校注を読んでいくだけでも愉快です。
【引用】
◯いま出家者として仏門に入り、僧の道に入るならば、ぜひともその業を習わねばならぬ。そのやり方を守るというのは、我執をすて、師の教えに従うことをいう。その大切な点は、むさぼりの欲をなくすことである。むさぼりの欲をなくそうと思うなら、まず自分というものから離れなければならぬ。自分というものから離れるには、無常を観ずること、これが第一の心得である。
◯禅師は教えて云われた、
悟りの道を学ぶ者は、自分のために、仏法を学ぶのであってはならぬ。ただ、仏法のために、仏法を学ぶのでなければならぬ。
◯教え示して言われた。
みほとけたちも、祖師たちも、みな
もとは凡夫であったのだ。凡夫の時は、かならず悪い行いもあり、悪い心もあった。にぶくもあり、愚かでもあった。さりながら、皆それを改めて、立派な師匠に従い、仏法の教えにより修行したから、みな、ほとけとなり、祖師となったのだ。今の人も、そうならなくてはならぬ。自分が愚かであるからとか、自分はにぶいからとかいって、卑下してはならぬ。この世に生きてあるうちに志を立てなかったなら、いずれの時に志を立てるというのか。 -
普遍的な価値を含む人生論、学問論として巷間に読まれ続ける宗教書。知名度、内容の深さは唯円『歎異抄』と並び立つ。載せた画像は講談社学術文庫版であるが、実際に読んだのはちくま学芸文庫の水野弥穂子訳注版。斯界の権威が解きほぐす道元禅の真髄とともに、訳注者自身の道元、懐奘への敬慕があふれんばかりに伝わってくる。
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