- Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061596450
作品紹介・あらすじ
磨き上げられた迫力ある名文で、禅の奥義を追究した、日本仏教思想史上、屈指の名著『正法眼蔵』。浄土宗の人でありながら、弱年より道元に傾倒、繰り返し繰り返し読み込み、爾来、五十年。味ある名現代語訳、懇切丁寧でわかりやすい注解。人間の真のあり方を求め続けた著者渾身の訳業。道元の主著の真髄とは何か、その本質に肉迫する。
感想・レビュー・書評
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まずは1巻目から。
難解です。
解説書や他の現代語訳と比較しながら、丁寧に読み進んでいます。
書いてあることは分かるのですが、理解が及ばない。
深いです。
巻末の解説に書かれている以下の文章は、全くその通りです!
『正法眼蔵』はまだわたしにはすべて解ったわけではない。解ったところはまだわずかである。だが、解ったところはすべて素晴らしいものであった。解らないところはまだ沢山にある。だが、その解らないところもまた素晴らしいであろうと思う。その素晴らしいであろうと思うところを、さらにもう一つ、もう一つと理解してゆくためには、わたし自身がさらに深きところに潜(くぐ)り、深き思想の内部に沈潜することのできる者とならねばならぬ。そのように思うのである。 ー 429ページ詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
江戸疲れなのか須佐之男疲れなのか、バーバラ・スタフォードが難しくてなかなか進まないし、古事記は楽しく読んでるけど、日向三代に入ってきて、そろそろ政治色が濃くなってきて、ってまさかのふとよったブックファーストで道元
いつ読むべきかととっておきにしてる本がいくつかあるけど、正法眼蔵はまさにそのひとつ -
p41 (私訳)世界は仏法(縁起)によって生起している。このため迷悟と修行があり、生と死があり、諸仏と諸生がある。こうした仕組みから離れた時、惑いは消え、悟りは消え、(以下略)。仏道は元々、豊倹といった有無を語る世界から生まれ出て来たものであるから、生滅があり、迷悟があり、生仏(凡聖)がある。こうしたことが分かったところで、花が散れば惜しみ、草が生い茂れば、忌み嫌うのである。