経験と教育 (講談社学術文庫)

制作 : 市村 尚久 
  • 講談社
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レビュー : 22
  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061596801

作品紹介・あらすじ

子どもの才能と個性を切り拓く教育とは?子ども自身の経験が好奇心を喚起し、独創力を高め、強力な願望や目的を創出し、能動的成長を促す。経験の連続性と相互作用という二つの原理を軸に、経験の意味と教師の役割を深く分析した本書は、デューイの教育思想を凝縮した名論考であり、生きた学力をめざす総合学習の導きの書でもある。

感想・レビュー・書評

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  • 経験の再構築論、相互作用論にハートをつかまれました。
    ソーシャルワークの領域で大切にしてきたことが、がっつり重なります。

    個人の経験を、社会とつなぐこと。

    もっと読み込んで、自分の中に染み込ませたいです。

  • 要するに教師が積極的な指導が生徒の主体的な経験の獲得に繋がる、ということか。
    特に衝動から目的が形成される過程とその中で教育者が担うべき役割に関する記述は興味深かった。
    経験が個人の変化に与える影響に関する考え方も面白い。

    ただ筆者の元々の文体が回りくどいのか、訳がまずいのか(それともその両方か)で非常に読みにくい(苦笑)
    あと抽象的な議論に終始しているので、具体例に当てはめて言いたいことを明確にイメージしながら読み進めていったのもあり、ページ数自体は少ないのに結構読了に時間がかかってしまった。

    内容自体は面白いので特に学校教育に携わる人は読むと勉強になるかも。

  • 経験を基盤とした教育論。手段と目的、科学的論考、自由についての論考など、日本の教育界が欠いているポイントをついており、とても興味深い。ただ、デューイの文章がくどいのと、それ以上に訳文がまずいのでとても読みづらかった。文末にならないと意味が分からないのは、とても辛い。20〜30年前によく見られた直訳、悪訳でした。

  • デューイの『経験と教育』に星印で評価をつける、というのも奇妙な気がするのだが、とりあえずこんな感じか。

    たんに教育論を振りかざしたものではなく、そもそも自由や経験とはなにか、といった深みのある話が読めてよかった。

    デューイというと政治的には「左派」プラグマティズムというイメージがある。が(かなり簡略化すると)そうした従来の保守または進歩主義のイデオロギーに染まった教育を「プラグマティックに乗り越える」ということが重要とのこと。このあたりが一見すると「左」っぽいのだが、デューイの立ち位置はそこではないという(当たり前のこと)をあらためてよく理解できた。

    個人的には教育論よりも「行動と思考の一致・不一致」というあたりを論じている箇所が一番おもしろかった。

  • 読了

  • 798円購入2010-11-18

  • 2017/11/05

  • 原書名:Experience and education

    第1章 伝統的教育対進歩主義教育
    第2章 経験についての理論の必要
    第3章 経験の基準
    第4章 社会的統制
    第5章 自由の本性
    第6章 目的の意味
    第7章 教材の進歩主義的組織化
    第8章 経験―教育の手段と目的

  • 経験に基づく教育の実践理論の哲学的考察。
    デューイによる経験の再構成理論は、一方的な「主義」を超え、
    学習者自信の日常経験を同期として、
    より高次な社会目的にまで発展させられるという論理により構築されている。

    <blockquote>子どもの個人的経験の知的・道徳的発展をとおして、個人的価値と社会的価値との調停をはかることがでい、しかも子ども自身の経験の反省的思考による再構成をとおして、より高次な創造的知性が一元論的に生成されるという理論である (訳者あとがき)</blockquote>
    [more]
    【読書メモ】
    どうすれば年少者は、過去の知識が現在の生活を理解する上での仲介者になるような仕方で、過去を親しく知るようになるだろうか p28

    経験というものは、経験しつつある個人の内部で進行しているものに従属させられてこそはじめて真の経験であるといってよいのである p58

    環境とは、どのような状況のもとであっても、個人がもたらされる経験を創造するうえでの個人的な要求、願望、目的、そして能力との相互作用がなされるための条件なのである p64

    私は教育を生活経験であるとみなしているので、教育計画や教育企画は、知的理論、あるいはもしよろしければ経験の哲学を構成し、それを採用することまで約束するものである p77

    経験を構成する基本的な二つの原理
    相互作用の原理と連続性の原理 p77

    教育者は自分が扱っている個々の生徒たちに共通する独特な能力や要求について調査しなければならない。それと同時に、これら特殊な生徒の能力を発展させ、それらの要求を満足させるような経験から出てくる教材や教育内容を提供するにふさわしい条件を整えなければならない。しかも教育計画は、経験する個人の自由が、個別的に展開されるにふさわしく十分柔軟なものであるのと同時に、他面において、個人の能力が持続的に発展する方向をしっかりふさわしいものでなければならない。 p92

    経験の発達が相互作用から生じるという原理は、教育が本質的に社会過程であることを意味する。この性質は、個々の生徒達が共同体集団の形成にかかわる程度に応じて実現される。教師がこの種の集団とは無縁であるとして排除されるとなると、それはばかげた話であるというほかはない。教師というものは、共同体集団のなかで最も成熟した成員であるので、その共同体生活そのものである相互作用と相互伝達の行為について、教師ならではの特別の責任をもっている。 p93

    永遠に重要である唯一の自由は知性の自由であり、すなわち、本来的に価値が備わっている目的のために観察や判断がなされる自由である。自由について最もありきたりの誤りは、私が思うには、自由を運動する自由とあるいは外的な身体的な活動の自由とを同一視することである。 p97

    新しい事物や出来事がそれ以前の初期に経験した事物や出来事に知的に関連させられることは、本質的なことである。そして、このことは事実と観念との意識的な連接において、ある種の進歩がみられたことを意味する。こうして、現在経験している範囲内で、観察と判断についての新しい方法を刺激し支援することによって、さらに継起する経験領域を拡大するという新しい問題が提起されることになる。また、そのようになることが約束されるという可能性がもたれるのである。これら約束と可能性を有する事物を選択することこそ、教育者の職務になるのである。 p121

    教育が理論においても実践においても、経験に基礎づけられるとき、成人および専門家により組織化された教材は、教育の出発点を準備し供給することができないことは、言うまでもないことである。それにもかかわらず、そのように組織化された教材は、教育が絶えず継続的に進行していくさいの目標を表すのである。知識の科学的組織化の基本原理の一つが、原因−結果の原理である p136

    知的活動には、現存している多様な活動の条件からの手段の選択―分析−と、意図的な目的や目標に到達するための手段の調整−総合−が含まれるという事実によって、知的活動は、無目的な活動とは区別される。 p138

    学習者個人と社会との両方の目的を達成するための教育は、経験−それはいつでもある個人の実際の生活経験−に基礎づけられなければならない p146

    近年、教育関係論では、「教師−生徒」という二項対置の構造で捉えられてきた系正論的な理論を超えて、第三者としての中間者(項)の領域から捉え直す傾向が顕著になってきた。すでに取り上げたデューイの教材の組織化論、経験の再構成論、相互作用(相互浸透)論にみられる非二元論的な経験概念は、まぎれもなく中間者という構造概念を先取りしていた、ということができる。それも百余年間も前にである。/このような中間者としての構造をもつデューイの経験の再構成論や相互作用論は、それ自体が生成論的なものである。 p154

    「構造とはかかわりにおいて生成するという考え方である 市川浩『<中間者>の哲学』岩波書店 1990 p155

    学校で育成されるべき学力とは何か
    「問題を見つけ出し、問題を解決する創造的な能力」
    その能力は現行の総合的学習が求める「知の総合化」に対応する p158



    【目次】
    1.伝統的教育対進歩主義教育
    2.経験についての理論の必要
    3.経験の基準
    4.社会的統制
    5.自由の本性
    6.目的の意味
    7.教材の進歩主義的組織化
    8.経験―教育の手段と目的

  • 2007/6/20

    この本,原著は1938年に書かれた古典なんすね.
    で,何が書かれているかというと~
    「学生を静かに席に座らせて,話を聞かせるだけの
    伝統的教育」
    「学生の自由を過度に尊重し,押しつけに否定的になりすぎ,教師が何も出来なくなる進歩主義教育」

    の二項対立に対して警鐘をならしている.

    本人自身は進歩主義的な教育(目指すところは現代でいうところの総合教育とほぼ同じ)を求めているのだが,当時の進歩主義教育が,
    ただ,伝統的教育を否定するだけで,伝統的教育にまけずおとらずひどいことになっている事を指摘している.

    本人も認めるように進歩主義教育は伝統的教育以上に圧倒的にデザインが難しいのだ.
    だから,A xor Bのような,両端の二者択一な議論は意味をなさない.
    どう,進歩主義教育を経験の哲学に基づいて作り上げていくかが問題なのだ.

    って,今の「ゆとり教育」の議論とかと,何も変ってねーじゃん!!
    70年間,ここの改革,なんもなしかよー!! orz
    (それだけ難しい問題なんだと思いますが.)

    ジョン・デューイは記号論のC.S.パースとならんで,アメリカのプラグマティズムの指導者の一人.
    デューイは教育の分野で仕事をした人らしいが,読んでいると,プラグマティストなだけあって,
    パースと共通した世界観のようなものを感じました.
    コミュニケーション,論理的な議論は言語にしかされ得ないが,その解釈の自由度は常に残る.その乖離を無視すれば伝統的教育に,
    直視すれば進歩主義や総合教育の道が開かれるのだと思うのだ.
    要するに情報を記号論から捉えなおせっていう話になるんですね.

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