オーストリア皇太子の日本日記 (講談社学術文庫)

制作 : 安藤 勉 
  • 講談社
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本棚登録 : 37
レビュー : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061597259

作品紹介・あらすじ

一八九二年末、オーストリア帝国帝位継承者、皇太子フェルディナントは世界周遊の旅に出た。翌年長崎に到着した彼は東京を目ざすが、その途次、各地で日本文化との出会いを堪能しつつ、のちにウィーン民族学博物館日本部門の礎をなす一万八千点もの美術品等の蒐集も行う。二十一年後、サラエボで暗殺される悲運の皇太子若き日の日本紀行。本邦初訳。

感想・レビュー・書評

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  • 副題・明治26年夏の記録

    オーストリア皇太子とはフランツ・フェルディナンド。少し前は同名のロックグループがあったが、こちらは非常に有名な、サラエボで妻と共に暗殺され第一次世界大戦の引き金となった人である。暗殺されたのは大正3年(1914)。日本に来たのは明治26年(1893)29歳の時だった。いろいろな国をめぐり自分の目でその政治文化風俗を確かめたかったためだと書いている。

    エリザベート皇后由来のエリザベート皇后号という名の船で10ヶ月に及ぶ旅行の途中、日本記述の部分は7月29日から8月24日。母国オーストリアでは自由に出歩けたが、なんと日本の警戒のきびしいことよ、という記述も見られる。彼の来る2年前にロシアの皇太子(のちのニコライ2世)の大津暗殺未遂があったせいもあるだろう。

    長崎ー熊本ー下関ー宮島ー京都ー大阪ー大津ー岐阜ー名古屋ー宮ノ下ー東京ー日光ー横浜 に寄っている。

    日光へは上野から東北本線で来た様だ。夜の11時に着いたが人々が提灯をもって出迎えたとある。日光ホテルに泊まったとあるが金谷ホテルのことか。

    皇太子はかなりな勉強家なのか、各地の記述で正確な歴史的事項が書かれている。本郷で入った芝居小屋の客席に火鉢がありキセルをとんとんするのでうるさいとか、記述は詳しく、当時の日本の風俗誌としても価値がある気がする。日本に対しては好意的な記述だ。

  • 第一次世界大戦勃発のきっかけとなった
    オーストリア・ハンガリーの皇太子暗殺。
    その人物が1892年の世界周遊旅行の際に
    日本へ立ち寄った時の紀行文。

    オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者であった、
    フランツ・フェルディナント大公。
    長崎に到着した後、熊本、宮島、京都、大坂、奈良、岐阜、箱根、日光、東京など、
    世界周遊の旅の一環として、日本を訪れた。
    熱烈なる歓迎、異質の文化、堅苦しい式典など、
    自分が見た日本の姿を描いている。
    そして、2万点にもせまる美術品の蒐集も行う。

    この人は、周囲の反対をよそにチェコ人の女官と結婚したんだけど、
    1914年、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボの軍事演習視察へ
    行った際に、セルビア人民族主義者に暗殺された。
    これを機に、
    オーストリア・ハンガリーはセルビアに対し宣戦布告し、
    第一次世界大戦が始まった。

    歴史に疎いわたしは、
    この本を読んでいる最中は、WWⅠ開戦のきっかけとなった
    この人だって、気づかなかった・・・。

    でも、ともかく、すごい。この視察の豪華さは。
    わざわざ道を造って、豪華な宿舎を建てて、豪勢な食事を用意して。
    どれだけ、当時の日本がこの人を、この国を重用視していたか、ってことがわかるわ。
    それを、いらない部分については冷めた目で見たり、
    良いと思った部分は、心から感激したりする皇太子の姿が目に浮かぶ。

    ヨーロッパを真似た建物を、ちょっと馬鹿にしたり、
    日本の伝統舞踊は退屈だって言ったり。
    でもね、日本独自の文化を大切にして欲しい、っていう愛情が伝わってきたな。
    日本人の丁寧さ、礼儀深さ、日本食のおいしさに感激したみたいだし。
    訳者もうまいし。なかなか興味深い一冊でした。

  • サラエボ事件で暗殺された、オーストリア皇太子フランツ・フェルディナントによって書かれた日本旅行記。

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