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Amazon.co.jp ・本 (200ページ) / ISBN・EAN: 9784061597792
作品紹介・あらすじ
「民藝」とは、民衆が日常に使う工藝品である。民家、民具、民画を総称して「民藝」と呼ぶ。「民藝品たること」と「美しく作りたること」には、固い結縁があり、質素こそが慕わしい徳である。このように清貧の美を説いた筆者の理念とは? 昭和の初頭に創始され、現在にまで受けつがれる「民藝運動」の精髄を知るための格好の入門書。(講談社学術文庫)
民家、民具、民画、民器……
日常生活の中にある「下手(げて)の美」の発見
「民藝」とは、民衆が日常に使う工藝品である。民家、民具、民画を総称して「民藝」と呼ぶ。「民藝品たること」と「美しく作りたること」には、固い結縁があり、質素こそが慕わしい徳である。このように清貧の美を説いた筆者の理念とは?昭和の初頭に創始され、現在にまで受けつがれる「民藝運動」の精髄を知るための格好の入門書。
みんなの感想まとめ
日常生活に根ざした工芸品の美しさを探求する本書は、民藝の理念を通じて「用の美」を強調しています。著者は、華美な装飾や高級品よりも、実用性を重視した質素な民芸品にこそ真の美が宿ると説いています。読者は、...
感想・レビュー・書評
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柳宗悦の考える『美』について書かれています。
彼曰く、
・華美な装飾や高級なだけの工芸美術品は美しくない
・無駄を省いた実用性のある民芸品が美しい
そんなことを言っています。
本書を読んだ時は、工芸品と民芸品の定義がうまく飲み込めず、混乱しました。
DIYで作ったものは?こけしや赤べこなどの置物は?振袖は?無印良品・ユニクロは?国宝が作ったもの・クリエイターが作ったものは?
どれなら良くて、どれなら悪いのか、よくわからなかったのでマトリクスを作って思いつく限りのクラフト品をあげてみました。
そうすることで、柳宗悦が高価なクラフトや装飾の見事な着物などを全て否定しているわけではないということがなんとなくわかってきました。
柳宗悦の他の本も読んでもう少し理解を深めたいのと、加えてアーツ・アンド・クラフツ運動なども勉強してみようかと意欲が湧いてきました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本の民藝についての第一人者である柳宗悦による美の論説。本書で語られる柳の主張は、一切の反論の余地も与えないようなものでは確かにない。例えば創意工夫が美を損ずるとか、僅少で高価であることはそれ自体が不完全であるとか、絶対にそうとは言えないのでは、とその論理づけにおいて指摘したくなる部分は少なからずあった。
しかし柳の功績は貴族趣味的なものばかりがやたら有り難がられて、日用品が工芸品として評価されていなかった風潮に待ったをかけて、用の美というキーフレーズでいわゆるクラフトの価値を土俵に上がるところまでに押し上げたところにあると思う。現に日本のクラフトデザインの歴史を柳抜きに語ることはできないであろう。有銘の作と無銘の作とに対する目線に、当時の社会としてあまりに極端なアンバランスがあったとすれば、本書の柳の論調もそのカウンターパンチ的な意味があったのではないかとも思う。
絶対的な肯定ができないように思われる部分もままあるなかで、個人的に全くその通りだなと思ったのが、美と道徳の関係について言及されていた箇所である。道徳の欠けたものに美が見出せないのは美学的にも裏付けられるところだと思うし、独りよがりの表現よりも、公の観点で多くのものを救い出そうとする視点を美しいとすることに何の異論があろうかと思う。そういう意味で、最近公衆に蔓延る表現に美しいものが少ないなと思うのは、まさに時代が下って美意識がどんどん欠落している現実だなと思った。 -
そもそも高価な貴族的な品物の、ほとんどすべてに見られる通有の欠点は、一つに意識の超過により、一つに自我の跳梁によるのです。一言で言えば工夫作為の弊なのです。
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改めて「民藝」の定義を本書にて。 日本民藝館に足を運びたい
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益子育ちの知人に教えてもらった本。その知人は大衆的には合理的で無駄のない美しさがあるというようなことを言っていて、スタッキングできるスツールや、イケアのマグカップを気に入っていた。
民藝的な考え方はそんな形で知ったわけだが、ソースとなるこの本を読んでやや理解が深まった。
特に100円ショップ的なものにある商品は民藝的に美しいと言えるのか?ということをずっと疑問に思っていたのだが、それの答え合わせができた。機械工業が発達する前と後とでは"大衆"的なものはまったく異なる。機械で作られたものと、手仕事で機械的に作られたものは違うということだ。職人が無心の境地になる後者には、飽きのこない曲線だったり柄だったりが出現するらしい。
となると、何度もリニューアルを繰り返した100円ショップの商品にもある意味、無駄のない・飽きのこない・時代を越える美しさがあるのかもしれない…。そういうことじゃない?
というわけで、分かるような分からないような、「じゃあこの場合は?」という疑問が浮かぶ本だった。ほかの本も読めばより理解が深まるか? -
かなり哲学的というか思想色が強い内容だった。疑問は、現代には民藝の思想は残っていても「民藝」は残りえないのではないか、ということ。希少性はなく量産するものである、という特徴は、民藝品をつくることがとても少なくなった今、民藝品の物理的数にそもそも希少性がでてきてしまっているのではないかと思ってそれは民藝と言えるのかなあと。現代における民藝品の位置付けを知りたい!!
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国立近代美術館で柳宗悦没後60年の「民藝の100年」という展示や、近所の日本民藝館に行ったことなどもあり、民藝に興味を持って手に取った。
柳宗悦は、ロダンを中心とする汎神論的な芸術の受容からキャリアをスタートしているが、彼の民藝評には汎神論的な感覚を感じる。なぜ民藝が美しいかと言えば、それは「用」の美。なにかに用いられるということを想定された美しさなのである。近代の美術において評価されてきた貴族的な品物と民藝と比較すると、前者が有想(想像を巡らせ、意匠を凝らすこと)であるのに対して、後者は無想であり、より清い境地にある。また、前者が意識なら、後者は無心、前者が主我ならば後者は忘我の境地であるとも言われる。こうした無想・無心・忘我になぜ美しさがあるかと言えば、この世の中の叡智とは、1人の人間が作り出さんとするものではなく、集合的無意識のような個人の枠組みを超えたところに現れるからである。このような柳の考え方は、個人がオーサーシップを持ち、自由であることを基盤する近代的な考え方への超克を目指すものであるとも受け取れる。民藝は、製造過程で多くの人がかかわっており、さらにその後も誰かに使用されて洗練されていく。民藝が目の前に存在しているというタイミングまでに無数の人の手を介しており、個人のオーサーシップを重視する近代美術とは一線を画する。こうした観点では先日、SOMPO美術館で見た川瀬巴水の版画の製造過程も、多くの人間がかかわっている。川瀬巴水は日本中を周遊し、絵画の着想を得るが、作品が完成する過程にはかならず優れた版の彫師が存在している。そうした作者の複数性と言う観点では、そこから日本的美術の美しさを見出すことができるのではないかと考えた。 -
しばらく前に日本民藝館の展示を見に行った際、館内の売店で見つけた本。
本書は、民藝運動の創始者である、柳宗悦(やなぎむねよし)による、民藝論の入門書です。
著者自身が民藝学概論、と位置づける表題の小編と、やはり民藝の概念や良さについて、簡潔に語った随筆がいくつかおさめられています。
原本は1941年に刊行されていますが、現代仮名づかいに改められ、文字の大きさや組み方も新しく、読みやすい仕上がりが有り難い。
本書における著者の主張は終始一貫していて、民藝品は、大衆が用いる工藝品として、大量に、廉価に、簡単な手法で、実用的であるために不要な装飾を省き作られたことで、無心の健康的な美がやどっている、それはいにしえの茶人達が愛した美であるーーとしています。
そして、「ここに用というのは、単に物への用のみではないのです。それは同時に心への用ともならねばなりません。」という言葉に、東京帝国大学哲学科を卒業した宗教哲学者でもある著者の人となりが、象徴されているように感じました。
展示を見た後、たまたま売店で1つ700円くらいの湯呑みが気に入ったので買って帰ったのですが、帰宅後いつものマグカップでなくそれでお茶を飲んでみると、これまたいつものティーバッグの番茶が、自分比で3倍くらい美味しい。
「私!いま!お茶を飲んでるーー!」という気分が腹の底から湧いてくるというか。
「心への用」って、ひょっとするとこういう気分なのかな。
本書が執筆されてから、80年近くが経過した現代には、無印良品も100円ショップもあり、民藝品が、廉価の、無名の品々であるとは、一概には言えません。
でも、湯呑みで番茶を飲むことが、単に水分を補給するためだけでなく、ひと息つく時間になったり。
団扇であおぐことが、ただ汗をひかせるためだけでなく、炎天下を歩いてきた自分への労いになったり。
民藝の品々を見ていると、日々は単なる通過点ではなく、今を感じながら生きる喜びこそが大切なのだと、語りかけられている気がします。
どれだけ経済、社会、生活が変化しても変わらないことは何か、本書の言葉が伝えてくれているように思いました。 -
背ラベル:750.4-ヤ
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まだ最初の方しか読んでないですが、まず名文のオンパレードで圧倒されまくっている。内容も素晴らしく、(名匠が作る特別品ではなく一般の人が日常使いする)民藝の真の価値を認識せよと主張しているのが本筋だけど、美とは何かとか、人間は何に価値を見出すべきなのかとか、もっとラディカルな本質を問うもので、物凄く引き込まれる。「柳宗悦」って名前カッケェとメチャ浅はかな動機で読み始めたけど、思いがけずデッカい魚を引き当てたっぽくて大興奮。読み進めるのにワクワクが止まらん。
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人が用いるために作られたものの美しさを説く。わたしもただ華美なだけのものや、人を操ろうとするデザインに違和感があり、そういったものの綺麗さは理解したとしても美しいとは思えなかったので、柳宗悦の説に共感するところは多かった。
しかしデジタルのプロダクトについて、柳宗悦はなんと言うんだろうか。。 -
NDC9版
750.4 : 工芸 -
民藝の美の特質。
①実用性。美と用が結合していること。用と結びつくことで健康的な美を体現している。
②大量につくられること。進んで安くたくさんつくることで、ますます美を生み出す道を見出す。
③平常性。極端なものに美を見出すのではなく、日常、飾らない美。
④健康性。上等な美術品はどこか病的である。
⑤単純性。
⑥協力性。 -
民藝とは何か、なぜ民衆的工藝を顧みるべきなのかが、とてもよくわかる。
宗教学者の見地から、キリスト教や仏教と関連付けながら、民衆的工藝がなぜ美しいものであるのか、と説明する箇所は論理的で理解しやすいのだが、感情的な筆致も相まって肝心なところで筆者の主観の域を出ない書き振りのところがあったところは否めない。またそうした感覚的な論旨を補強するためか、力技的に同じような話をさまざまな角度から何度もくどくど書き連ねている印象も多々受けた。
それを考慮に入れても、意義深い書籍であることには変わらないとも感じられた。 -
近所にあるが行ったことがなかったので、日本民藝館に行こうと思った
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2024年5月22日読了。
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まさに「民藝」の入門書として、提唱者の柳宗悦より平易な表現で、分かり易く解説されている。
「民藝」は、明治近代化の中でしばしば登場する概念であり、その影響力から、言葉としては認識していたが、体系的に理解できたことは収穫。
このように原則論を読んでいると、時代を超えた普遍性があり、現代においても意識すべき概念ではないかと思う。
以下抜粋~
・用が生命であるため、用を果たす時、器は一層美しくなってきます。作り立ての器より、使い古したものはさらに美しいのではありませんか。
・廉価であるということが、実に美を増す大きな基礎なのです。安いものであるから、強いて美を盛ろうとは工夫していません。
・無銘の作に心が惹かれるのは、そこに一個性よりさらに大きな衆生の美があるからです。
・民藝品が特に注意されねばならない大事な理由の一つは民族性や国民性が一番素直にこの領域に現れてくるからです。
民藝こそは国民生活の一番偽りなき反映なのです。
・ご承知の通り産業革命以来、工藝は二分野に分かれ、機械製品と手工藝とが対立するに至りました。
前者はある意味では進歩した道ではありますが、不幸にも貪欲な商業主義と深く結合したため、品物を粗悪にしました。
・民藝の美の特質
1実用性
2常に多量に作られることと、廉価であること
3平常性
4健康性
5単純性
6協力性
・かくして私は民藝品の最後のまた最も重要な特色について語る場合に来ました。
それは国民性ということです。
民藝は直ちにその国民の生活を反映するものですから、ここに国民性が最も鮮やかに示されてくるのです。
地方的工藝の存在は重大な意義を有ってくるのです。
地方こそは特殊な材料の所有者であり、また独特な伝統の保持者なのです。国民的伝統の上にこそ、強固な国民的美が発露されるのです。 -
大学のために読み始めたが、面白かった。
私は生活用品に美しい物を選ぶことや日用品を美しく彩る事に興味があるが、自分の自然にしてきた考えに近い考えをしっかりと体系立てた話を見られてよかった。 -
駒場にある日本民藝館を訪問し、何冊か購入した中の一冊。
民藝が好きで、民藝運動を興した柳宗悦さんやバーナード・リーチ先生らが好きで色々な作品を見たり読んだりしてるけど、そもそも民藝とは、という事を柳宗悦先生より直接教えていただいている様な感じがして楽しかった。
民藝の価値をここまで高めた功績は偉大だ、と感激します。
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