- Amazon.co.jp ・本 (520ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061597815
作品紹介・あらすじ
日本最初の本格的な哲学書『善の研究』。深い思索とたゆまぬ探究心、西洋思想との厳しい対決。西田幾多郎は、人間の意識を深く掘り下げ、心の最深部にある真実の心は何かを探究し続けた。本書では、難解な本文を平易に噛み砕きやさしく読み解き、詳細で懇切な注釈と的確な解説を施し、論旨を纏め示す。二編の補論も収載、西田の代表作理解のための最善の書。
感想・レビュー・書評
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わが国最初の独創的な哲学書である西田幾多郎の『善の研究』のテクストに、西田研究者の小坂国継氏による注釈を付したもの。テクストは一段落ずつ切られて注釈が挟まれ、各章の終わりには小坂氏の「解説」が置かれている。
小坂氏はほかにもいくつか西田の論文のコメンタリーの仕事を手がけているが、本書の注釈もそれらに劣らず、手堅くポイントが押さえられている。西田哲学に関する研究書には、解釈者独自の理解が前面に出されたものが少なくない中で、本書の解説は西田自身に語らせるようなものになっている。
また、『善の研究』では、当時流行していた哲学者の思想が参照されて議論が進められることも多く、今日の読者がその内容を理解することを難しくしているが、本書の注釈はそうした書肆的情報についての解説も充実していて、読者の理解を助けてくれる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
約2ヶ月掛けて本編を読み終えた。
途中で挫折しかけつつも、読むとハッとしたり力が湧いてきたりと、なんだか旅をしているような読書だなと思いながら来た。体験の連続のようだった。
"純粋経験"の第1編は、難解ではあったけど予習の甲斐もあってスラスラっと。
(講談社現代新書100や100分de名著テキスト等)
第2編の"実在"で大いに躓き、混乱。
第3編の"善"で、ここまでの理解が繋がっていった。
第4編の"宗教"では何度もハッとさせて貰った。
読書に限らず、経験は不可逆的な変化をもたらすと誰かが言っていた気がするけど
この本の通読は、正しく不可逆的な変化をもたらした感じがする。
何かを経験するということについて、主客未分の状態に視点をもってしまった。そしてそれに対する論理的な理解の限界も。
読み切れて良かった。何かが沁み込んだ良い旅路だった。
補論はこれから。 -
主観と客観は同じであるという主客合一の考え方、なかなか難解である
ただ、個人性の実現、個と全体がつながる利他や社会性の倫理観や二元論を嫌う考え方は、この対立が増す現代にこそ学ぶべき示唆があるように思えた -
知情意のうち意を中心に据え、主客合一の純粋経験をもって全ての精神作用の根幹と捉える、日本で初めて自前の哲学として生まれた「善の研究」。
"善とは何ぞや"ということを説いたものではなく、より根源的な観点から、統一的或者によって総合される意識界のはたらきを西洋哲学諸家の思想をベースに西田流に構成し直した内容。
難解な専門的事項について丁寧に付された注釈がありがたい。 -
真の自己を知るのが善。こう言い切っているが、真の自己とはなんだろう。それはマニュアル的に知ることではないのかもしれない。何度も読み返して理解すべき本なのだろう。
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"いわゆる心というのは単に内なるものではなく、いわば内の内なるものであり、同様に物というのは単に外なるものではなく、いわば内の外なるものである。すなわち、物は心の外に超越したものではなく、心の内に超越したものである。"
内の内なるもの、内の外なるもの(内に超越したもの)とある。
心で普通に捉えるものは、これまでの経験で蓄えられたものであると思う。経験(無意識的な経験も含め)を超えたものの直覚はないとすると、よくよく考えるということか?
しかし、考えること(反省すること)とは違うと。ものになりきるのだと。決して経験したことのないようにものを直覚するべく、無心で感じるということだろうか。 -
”善とは何か?
→自分をつきつめていくこと。
→小さな自分(偽我)をそぎ落とし、より大きな自己へ。
→★好きなこと、いいと思うことについて、発信すること、広めていくこと!
<キーフレーズ>
<きっかけ>
人間塾 2016年8月の課題図書” -
西田幾太郎。
最も具体的な経験の事実に近づいたものが真理である。 -
飛ばし読み