人類史のなかの定住革命 (講談社学術文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061598089

作品紹介・あらすじ

霊長類が長い進化史を通じて採用してきた遊動生活。不快なものには近寄らない、危険であれば逃げてゆくという基本戦略を、人類は約一万年前に放棄する。ヨーロッパ・西アジアや日本列島で、定住化・社会化はなぜ起きたのか。栽培の結果として定住生活を捉える通説はむしろ逆ではないのか。生態人類学の立場から人類史の「革命」の動機とプロセスを緻密に分析する。

感想・レビュー・書評

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  •  
    ── 西田 正規《人類史のなかの定住革命 20070309 講談社学術文庫》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4061598082
     
    …… コロナが暴いた「この人は無理」目を疑う光景が続々、暴かれた。
    http://a.msn.com/01/ja-jp/BB157tj9?ocid=st2 真鍋 厚
     
    ── フランクル/霜山 徳爾・訳《夜と霧 ~ ドイツ強制収容所
    の体験記録 19610305-19711105-198501‥-19960430 みすず書房》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4622006014
     
    ── フランクル/山田 邦男・松田 美佳・訳
    《それでも人生にイエスと言う 19931225 春秋社》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4393363604
     
    (20200606)
     

  • 我々の遠い祖先が、
    相当に長きにわたる狩猟採集生活を続けていたことは
    周知の事実である。
    それが、ある段階から農耕を中心とした食料獲得の生活に
    転換した。
    といっても、それはわずかに1万年程度の歴史しか
    持っていないと言われる。
    これを、一般的には「農耕革命」と称する。

    …と、私も何の疑いもなくぼんやりと認識していたのだが、
    そこに対して「ちょっと待て」という疑義を提示し、
    ユニークかつ説得力ある説を展開しているのが本書の著者、
    西田正規氏である。

    さてそれはどんな説かといえば、
    「狩猟採集から農耕への転換」
    が主要素として起きたというよりも
    「遊動生活から定住生活への転換」
    が主たるフェーズとして起こり、
    それにともなって農産物を得るという食料獲得手段が
    根付いていったのではないか、というものである。

    では、なぜそれが起こったのかという最大の要因について
    著者は「環境の変化」を挙げる。
    後氷期への突入が、定住へのきっかけになったと考えている。

    それは非常に納得できる説明がなされている。
    温暖化することでそれまでのメインの食糧であった大型の獣が
    姿を消していくと、それに頼った食料獲得は期待が持てなくなる。
    一方で、温暖になることで、木の実をはじめとした採集での
    食料獲得の効率が上がり始めた。
    ここが、大きなターニングポイントになるわけだ。

    生物の進化が「適者生存」をキーとして語られるように、
    人間の生活の在り方もまた、「適者生存」だと私は思う。
    大型獣の狩りへの拘りを捨て去って、新しいやり方を見つけて
    適応していった人々が生き残っていったのであろう。

    また、いきなり農耕に突入したわけではないことも、
    よく考えれば当たり前である。
    ヒトが農耕に使っている作物は、自然品種を人為的に改良する長きに
    渡るプロセスの獲得物である。
    となれば、自然品種しかない状態で農耕が始められたわけがない。
    定住をし、海の網漁(労せずにたんぱく質が手に入る)や木の実採集などを
    メインとして生きていく中で、品種改良が進んで、ある段階から
    農耕の効率が飛躍的に上昇し、それが主になっていったと考えるべきであろう。

    個人的に私はクリとかクルミとかが大好きなのだが(笑)、
    本書では、それら木の実がこの定住生活の中でいかに大きなカロリー源となっていたかが
    示されており、大変興味深い。
    とはいえ、これらは「メインの食べ物」にはなりえなかったようだ。
    どうも、人体は木の実から大量にカロリーを採るようにはできていないらしい
    (オヤツにはちょうどいいらしいのだが)。

    もっとも、狩猟生活が長かったことを思えば、現在のように穀物からカロリーの
    大半を採るスタイルだって、ベストかどうかはよくわからないのである。
    糖尿病なんてものも、狩猟の時代には絶対にありえなかった病気だろう
    (そんなに炭水化物ばっかり採ったわけだがないから)。
    しかしまぁ、人類は穀物と農耕の時代に入ってから人口を増やし始めたわけでもあり、
    現在のこの地球の人口は農耕なしに支えられるわけがないことも自明である。

    あと本書でおもしろいのは10章にて取り上げる
    「安全保障の言語」と「仕事をする言語」の話。
    前者は、生物集団としての関係維持や暴力回避を実現するための
    コミュニケーションツールであり、後者は狩猟開始以後の、目的達成のための
    情報連絡手段であるという。
    本来は前者がメインだったはずの言語が、どんどん時代が下るにつれて
    後者の役割が大きなってしまい、それがいまの時代のヒトの不適応に
    繋がるのではないか、という説。
    データとかで論証されているわけじゃないけれど、私は頷けた。

    そもそも言語の曖昧さみたいなものを昨今、いろんな書籍を読む中で
    考えるようになったが、本書の著者の考え方を借りれば、そのあたりにも
    説明がつくように思う。
    「仕事をする言語」の歴史は浅いのであり、ヒトの生物学的構造に保証されるものだとは
    言い切れないんじゃないのか、という話として、
    チョムスキーらのいう「生成文法」は、社会構築主義よりはよっぽど説得力のある一方で、
    それでも二重らせんの遺伝子からなる私たちの生物性とはなんだか相容れないような
    不十分さを感じる理論だよな~、って思っていたが、
    成り立ちからすれば、それは当然なのでは? という気がしてきた。
    確かに先天的にヒトは言語への驚異的な適応性を発揮しうることは間違いないが、
    だがだからといって言語そのものが完璧な構造を持つということにはならないだろう、と思うのだ。

    言語がどんどんと変化していっていることは周知の事実だが、
    そのあたりもまた、この不完全なるものの結果として、当然なんだろうな、という気がする。


    進化論という太い軸に貫かれた、科学的説得力を大いに持つ
    人類史の一冊である。
    読みやすく、説得力があり、おもしろい。
    1986年に出された本で、2007年にこの文庫として再販されたわけだが、
    もっともっと広まってほしいと思う本である。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/740594

  • 『人類史のなかの定住革命』西田正規

    國分功一郎さんが取り上げていたことでこの本を知りました。『暇と退屈の倫理学』だったと思います。それからおそらく5年以上本棚に放置していました。
    『タコの心身問題』を読みながら、読もうと決めたのです。後半に書かれていたタコの海底都市オクトポリスの記述に惹かれたのです。著者ゴドフリー・スミスの推測では、海底に大きな金属片のようなものが落ちてきて、そこが安全な巣となった。そこに数匹のタコが集まり餌の帆立貝の貝殻が溜まっていき、それがベッドのような好い環境をつくり、さらにタコが集まった。そんな循環がうまれ、都市のようになったと。
    その記述を読んで、知性や独自の言語を備えた未来のタコが想像できたし、海底には見たこともない創造物に溢れるのではないかとつい胸が躍りました。
    つまりはそれは定住の発端を見たような気がして、さて人類はどうだったのか知りたくなりました。それが『人類史のなかの定住革命』手に取った動機です。

    『人類史のなかの定住革命』読みながら、ぼくの常識がひっくり返されました。ぼくらは人類が最高の進化を遂げたと思っていたり、思っていなくてもその通念を無意識に持っているでしょう。西田さんは「定住優越主義」という言葉を使っていますが、それが通念になっていると思うのです。本書第1、2章だけでも読めばそれが間違いだとわかります。
    たしかに定住によって発展したものは多いというより溢れています。けど、なぜ人類は長らく遊動していたのか、定住に移行したのかです。まずは定住のコストを知ると驚きます。西田さんの以下のまとめがおもしろい。

    1. 安全性・快適性の維持
    a. 風雨や洪水、寒冷、酷暑を避けるため。
    b. ゴミや排泄物の蓄積から逃れるため。
    2. 経済的側面
    a. 食料、水、原材料を得るため。
    b. 交易をするため
    c. 共同狩猟のため。
    3. 社会的側面
    a. キャンプ成員の不和の解消。
    b. 他の集団との緊張から逃れるため。
    c. 儀礼、行事をおこなうため。
    d. 情報の交換
    4. 生理的側面
    a. 肉体的、心理的能力に適度の負荷をかける。
    5. 観念的側面
    a. 死あるいは死体からの逃避。
    b. 災いからの逃避。

    定住こそ最高だと思っていると、実はこれだけのコストがあるのでした。住まいがあって寝泊まりすることっが安心と思って生きてきたけど、それは生きていくことの不安さの原因であったというのは、天地がひっくり返ったような思いでした。映画マトリックスのように、実はバーチャルな世界にを生きていた、といったら驚き過ぎかもしれないけれど、それくらいの驚きでした。

    なぜ上下水道があるのか、わざわざ通勤したり買い物するのかのか、パンデミックが起きるたり感染予防に苦慮するのか。すべて定住の裏返しなのでした。これらを読んだ時に、デヴィッド・グレーバーが書き残したこと、お金、組織、ブルシットジョブなどの仕事の問題の起源はここでした。定住を選んでいくことによって、人類は様々な場所や人々の間に距離が生まれ、そこを埋めるべく複雑な状況を乗り越えなければならなかったのです。

    そんな定住へと移行した動機は環境的な要因でした。西田さんが挙げているのが、まずは漁業。魚を獲ることは狩に比べて効率が良く女性や子供でも参加することができた。また、その定置網のような設備を準備するためにも移動せずにとどまっている方がよかったのです。他には越冬するため、という理由もありました。通年で狩猟採集のできない中緯度地域で生きるためには、食料の貯蔵もしなければなりません。このように移動と両立しづらい条件が揃ってきて、定住へとシフトしていったということになります。

    生き延びるための手段でしたが、定住であることが新たな枠組みとなって発展していったのでした。今のぼくらは、もはや定住が当然のようになっています。いかに定住を楽にするかを考えながら生活の仕組み、経済の仕組みを組み立てています。
    言葉についても書かれています。冒頭で触れた『タコの心身問題』でも、人間の言葉が外部との伝達手段として発達したものが、内になる言葉として機能していることが書かれていました。『人類史のなかの定住革命』では、言葉は安全保障のためのものだったと書かれています。挨拶のようなかたちで、お互いに安心であることを示すのです。その後、狩りなどで連携を取るために言葉が発達していったのでした。そこで仕事のための言葉として発達したのです。西田さん曰く、現在は「安全保障の言葉」より「仕事の言葉」の比重が大きくなってきた。するとそもそもの安心を与えるための役割が小さくなってしまった。そのあたりに、ぼくらがコミュニケーションに疲れる要因があるのでしょう。

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    #読書の秋

  • 『サピエンス全史』を読んだ人は必読のこと。歴史とは出来事だが文明は脳内の変化を示すものと私は考えている。それは一人の脳内で起きたシナプス結合の変化が短時間で伝染する様を現している。文明とはネットワークそのものだ。
    https://sessendo.blogspot.com/2020/04/blog-post_26.html

  • 「人類史のなかの定住革命」読。

    人類が何百万年も遊動生活していた理由の一つとして、グループ内での不和や緊張関係の解消の意味もあったという説は、なるほどと思った。
    そして定住が始まって以来、現代の人類の緊張関係は解消される兆しすらないというのも、そのとおりだと思った。

    定住が始まった理由として、気候変動などを上げているが、そのへんは頭に入らなかった。

    最後の方で「安全保障の言語」 「仕事をする言語」というものを持ち出して、
    「安全保障の言語」は天気の話や、近況報告、今度呑みに行こうなどの社交辞令でこれはどの民族も一緒で、猿が無駄に長時間毛づくろいしたりするのと同じことで、これを拒否することは、人間関係において緊張を持続させてしまう。

    「仕事をする言語」は現代なら会社での今月の売上が下がったとか、家庭での子供の学校の成績の話などとしている。
    これは昔、狩りのときのチームワークのための言葉が発達したものだろうという。

    現代日本社会ではこの「仕事をする言語」が溢れかえっていて、最後に金属バット殺人事件の話を持ち出して、事件が起きた家庭では「仕事をする言語」しか使われず、常に緊張を強いられたのではないかと言う。

    少し強引な気もするけど、数百万年続いた遊動生活と、現代日本の核家族の仕事に追われる生活は確かに違う。
    数百万年続いた遊動生活が人類の本来の姿で、1万年前に始まった定住革命はいまだに続いているというのは、ああそうだなと思った。

  • 定住によって装身具や土偶、文様などに能力を使うようになった。
    農耕社会の特徴は、実は定住社会の特徴だった。
    栽培は定住生活の結果であって、原因ではない。初期は漁業生活ではないか。漁獲高は狩猟に比べて安定的で豊富。
    薪として木を借ることで、栗、クルミ、小麦、大麦が群生してきた。

    広葉樹林を薪として利用すると、アカマツ二次林へと変化する。クリ、クルミ、ワラビ、フキ、ウド、ミツバ、タラノキなどの陽性植物は二次林に好んで生える。

    水産資源の活用で定住集落が出現し、栽培化が進行した。その後水産資源が得られない場所で農耕化が促進された。

    家族を形成することは、道具を持ち歩く人類が安全を保障するために支払った代償である。食料が分配され交換された社会が成立した。

  • 人類における「定住」を、食糧生産が可能になった「結果」として見るのではなく、食糧生産の「原因」とみる。つまり、環境の変化によって「定住」せざるをえなかったために、食糧生産も始まった、と考えるのである。この考え方は論理的で説得力をもつ。

    加えてこの本では、二足歩行の開始や家族・言語の起源にまで迫る。思考実験としてのこれらの考察は、「証拠がないから曖昧にすごす」という態度を批判して展開されており、面白い。妥当かどうかは、判断できないが。

  • 遊動生活こそ人間の真の生き方なのかもしれない。

    「私達の祖先は言葉より先に武器を持った」とう説は圧巻であった。
    つまり、猟をする上での棒や石が武器ともなり、しかしそれを隣人に使うのではないという説明をするための挨拶、弁明がその次に現れたとのこと。
    私たちが現在日常で使う情報伝達の手段としての言語は、そのずっと後の社会が出来上がってからというのも驚きである。

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