☆をどう付けたら良いのか…。
3つにしてみたけど、そういう次元で語るべきでない作品な気がします。
若い。
文章の美しさとか構成の緻密さとか、そういうことは打ち捨てて、とにかくアイデア勝負っていうのかな…降りてきたアイデアを零れ落ちないうちに書き留めておかないと!みたいな勢いを感じる作品だった。
「清涼 in 流水」のアドバイス通りに先に『コズミック』上巻を読んだんだけど、『ジョーカー』は文庫版が見つからず、仕方なくノベルズで読みました。
(大丈夫? 文庫化する際に加筆してないよね?)
ミステリオタクが住む幻影城なる館に合宿に来た「関西本格の会」所属の作家のうち、2名が一夜のうちに他殺体で発見される。傍らには「芸術家(アーティスト)」を名乗る犯人(?)からの連続殺人予告状とも取れる紙片が…。
たまたまJDCの探偵が同宿していたことで、JDCから第一班の探偵が派遣されるも、事件は連続殺人へと発展してゆく。
「関西本格の会」メンバーの一人、濁暑院溜水はこの事件の記録者としての啓示を受け、「芸術家」のメッセージから取ったタイトル『華麗なる没落のために』の執筆を始める…。みたいな。
なんていうか、アイデア最優先で体裁が整ってないというか、説明が行き当たりばったりだし、その割には無駄な描写が多いし、登場人物の過去が誰も彼も壮絶すぎるし、人物の個性が書けてないから誰が誰だか混乱するし、いろいろネタ詰め込み過ぎだし……言いたいことは沢山あれど、「小説」の枠組みから逸脱した、いや、枠を壊しにかかった作品なのだろうと思う。
「小説じゃありません大説です」と言いたい気持ちは伝わった。
でも、古いと言われようがやっぱり小説に文章の美しさとか洗練された構成とかを求めてる自分は、イマイチ集中して読めなかったかな。
文章を味わう系じゃないと気づいた時点で、ちょっと流し読みっぽくなっちゃった。
JDCの面々の個性も曖昧で、世間の(一部の)嵌った人たちのように世界観を共有出来なかった。
探偵達の能力が優れてる優れてるってしょっちゅう書かれてるけど、螽斯にも霧華舞依にも九十九音夢にも正直あまり凄さを感じなかったし。
それだけに、龍宮城之介のキャラと推理力が際立って見えてちょっと心を摑まれた(笑)。
ネタ元が四大ミステリとかミステリの古典的作品だったりしたので、読んでない書名が出てくるたびにネタバレしてないか不安になった。
多分コアなミステリファンには受けるネタばかりなんだろうけど(多分諸々の固有名詞がオマージュになってる)、そこもちょっと内輪で楽しんでて一般読者に向けてない印象を受けた。
言葉遊び的な推理も、それが解けたからなんなの?的なモノが多くて、何だかな。
とどのつまりは詰め込み過ぎなんだと思う、やっぱり。
九十九十九がやってきてやっと幾分ミステリらしくなった。一応納得行く謎解きだったし。
だから犯人は魅山薫でいいと思う。誰でもいいなら。
魅山で納得したのに、本当の実行犯は小杉少年って言われたらせっかく合った辻褄がまたズレちゃうじゃないですか。虹川の偽装告白文とか、魅山の偽遺書とか…。
挙げ句に誰でも良いなんて言われちゃった暁にはどうしたらいいんだ。
十九は振る舞いがスマートで好感が持てる。美しいって設定はあまり伝わらなかったけど。
甲冑の密室が解明されないままなのは斬新だった。そのほかの拾われなかったままのいくつかの伏線も気になったし、殺人の不明点も放置されたものあるし、「伏線回収されてスッキリ♪」ってところを目指してないのだろう。
冒頭から「最後の一行」が強調されてるけど、どれが最後の一行なんだろ(笑)。「読了」かな。
自分の中ではスッキリ落ちなかったんだよな…、多分作者の意図が分かってない。
(やっぱり文庫で読むべきだったかもしれない)
キャラ小説として見たとして、自分が若い頃に読んでればもっと嵌っただろうか…。
京極夏彦を知る前だったら…(笑)。
(以下、『コズミック』読了後の追記)
作者の希望通り『コズミック』読む前に『ジョーカー』読んで良かったわ(ネタバレ的に)、くらいの感想しかなくて、自分が明らかに理解してないと思ったので、解説サイト読みました。
えーこっちもみんな密室教なの?? だから犯人は誰でもいいの??
その前提で読み直すといいのかもしれないけど、もう一度読む気力がありません(笑)。
それより、最後の「読了」が改めて気になってきた。『コズミック』ほど整理されてないから作中作の範疇が分からないんだよな…。
『ジョーカー』で作者がやりたかったことがよく分かってない、ってことは分かりました。