暗闇の中で子供 (講談社ノベルス)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061822061

作品紹介・あらすじ

模倣犯/運命の少女/そして待ち受ける圧倒的救済…。奈津川家きっての価値なし男にして三文ミステリ作家、奈津川三郎がまっしぐらにダイブする新たな地獄。

感想・レビュー・書評

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  • 『煙か土か食い物』は文庫化されたのに、続編はどうしてされてないんだ?と、しばらく探し回っていた。
    四郎の明晰さ、快活さに比べてだいぶぐずぐずしている。前作は思考・閃き・行動がとても迅速で一直線だったような記憶があるけど、外科医という職業もあるせい?三郎はまず思考、というよりそのレベルにもいかないようなダラダラしたお気持ちが多い。
    舞城が書く、改行なしのモノローグが大好き。脳内をそのまま文字列にしたような怒涛の文圧。突然刺さる一文が放り込まれたりする。漫画やアニメの脚本もいいけど、文字で読みたいのでもっと書いてほしい。
    ところで、暴力大魔王の二郎が好きなので、死んだなんて信じません。

  •  舞城王太郎で一番好きな作品かも知れない。
    とにかくめちゃくちゃでグロいので、最初読み終わったときは困惑したけど、読了からしばらくしてからじわじわ好きになっていった。
     舞城王太郎がグロいしめちゃくちゃなのはいつものことなんだけど、最後に急展開で三郎が四肢を失ったのは、読み終わってすぐは流石にちょっとショックだった。
     三郎が四肢を失う理由を考えると今作の結末は前作「煙か土か食い物」のラストと対応しているということが関わってくると思う。
     前作は元から不和を抱えていた家族が、事件に見舞われめちゃくちゃになった後、医者である四郎が繋ぎ直すという「破壊と再生」の話になっている。一方で今作は三郎が四肢を失ったままで「再生」がない。初めは悲惨な状況と不自然に明るい三郎の態度から、三郎が現実逃避するバッドエンドかと自分は思った。
     しかし、作者の意図は三郎が明るく語ったままに三郎ドゥビドゥバなハッピーエンドなのだと思う。三郎は四肢を失った後、「失うことで得られるものがある」「想像の手足で踊る」と言うことを語る。失うことによって、却って無限に描ける可能性を得るということが、この結末で描かれたうちの最も重要なことのひとつだ。
     自分が使っていた教科書が一般的にどのくらい使われているものなのかわからないけど、私の高校生のときの教科書には「サモトラケのニケ」の評論が載っていた。曰く、サモトラケのニケは頭部及び両腕が欠損していることによって、感情を表現する部位を失っているが、それによって却って無限の可能性を想像出来る。その可能性の想像によってしか描けない美があるという(曖昧な記憶の要約)。今回の三郎が迎えた結末はまさしくサモトラケのニケの美と同じなのだと思う。
     舞城王太郎はたびたび、実現する・したかもしれない「可能性」について描いている。『好き好き大好き超愛してる』の有名な冒頭でも、「愛は祈りだ…」の後には「僕は世界中の全ての人たちが好きだ。(中略)なぜならうまくすれば僕とそういう人たちはとても仲良くなれるし、そういう可能性があるということで、僕にとっては皆を愛するに十分なのだ。」と続く。『暗闇の中で子供』は可能性と愛についてはじめに辿り着いた作品で、『好き好き大好き超愛してる』に繋がるアイデアが生まれた作品であるのだ。
     また、『煙か土か食い物』の結末では解決できなかった「現実に一縷の希望も残されていなかったときに、どうやって家族や世界を愛するのか」という課題に答えを出した作品なのだと言える。冒頭で三郎が同級生の指を切り落として語ったように、「これからどんどん悪くなる」果てのない喪失が存在するとしても、失った後には可能性を描くことができるという、潰えない愛と希望を舞城王太郎は描いたのだと自分は解釈した。ラストの様々な人が危機を救いに来てくれることを描く嘘のシーンの連続も、実際にそうならなくても、そうやって自分を助けてくれた可能性があるというだけで、「世界中の全ての人が好きだ」と言い切ったのだ。
     パラレルな可能性の想像によって世界に対する深い愛を持つことができる。そして、パラレルな可能性を描くために、そこには、嘘でしか描けない本当のことがあって、それは小説の役割である。
     以上が自分が『暗闇の中で子供』を読んで感じ取れたことだ。
     ただ、ラストシーンについては分からなかった部分もいくつかあり、特に奈津川家の無数の幽霊はどう解釈できるのか、いまいちわからなかった。今後何度か読み返していずれ分かるようになりたい。

  • 『煙か土か食い物』の続編、奈津川家の三郎の物語。古書を入手し『煙』(3回目)を読み直して臨みました。
    2023年現在、受け入れがたい表現や設定(13歳と28歳はないだろ)が散見するのだが、読んでいる間ずっと、目を背けたくなるほど残虐な描写をこれでもかと読まされつつも、生きることの哀しみがひたひたと胸に押し寄せ、物語は嘘で、だから真実で祈りで愛なのだ、と力業で示す圧巻の最終章にはとことん打ちのめされてしまった。これ文庫化されてないけど舞城の最重要作品のひとつなんでは???
    ユリオは映像化するなら平手友梨奈かな、なんて思って読んでいたが、サイコな展開が加速すると、IWGPの加藤あいにも重なって、IWGPが2000年、これは2001年、時代の空気感みたいなものもしのばれたり。

  • 人生ベスト小説のうちの1冊。

    洗練された思弁的な文章も読んでいて心地よいけれど、内容も凄まじい。アンチ・ミステリーに止まらず、アンチ・フィクションの領域にまで到達している。至る所で自己矛盾を起こし、これこそが本当の愛なのだと涙を流した事実が、そのすぐ後には覆される。現実味と虚構の間をゆらゆら漂いながら、そこから何を受け取るのかと、そこまで自己言及してしまっていて、一体何がなんやら。

  • こないだ読んだ「煙か土か食い物」の続編。

    主人公は四郎の兄、三郎。
    自意識過剰気味でチャッチャッチャッとした四郎が、
    ガンガン謎解きして走り回った前作に比べて
    強烈な個性は変わらないんだけど
    覇気がなくてグダグダグダグダしてる三郎が、
    物語が進むにつれて、どんどん自分の中に沈んでいく感じ。

    事件は前作よりさらにえぐくなってて衝撃的。
    三郎とその周辺ももう、ものすごいことになってて
    もう結末までどんどん話は進んでいくし、
    三郎はどんどん内へ内へと入っていくし
    おかっぱの真っ白な少女、マジで怖いし。
    もう、なにがなんだか!

    THREEくらいまでは前作と同じ感じで話が進んでたんだけど
    そこから先、あれ、そこ、さっきと違ってるよって
    何度も前のページの方を繰ったりしてるうちに。
    じゃんじゃん変になっていくし事件はえぐくなっていってるし
    もう、すっかり悪夢の中に取り込まれちゃったみたい。

    最後までどんどん壊れ方が加速していって
    そして圧倒的救済。

    ああ、もう、なんなの~。
    これ、もう、次ってあるの?
    ないの?

    久々に読後何度もあちこち読み返しちゃったよ。

  • この作品が100%フィクションでありますように、作者の経験が1ミリも入り込んでいませんように、と祈りながら読んだ。

    悩んだ末に☆5つにしたけど、『煙か土か食い物』のそれとは全く意味が異なる。
    物語として見たら明らかに破綻してるから。ちょっとメタ要素もあるし。
    でも作中でもたびたび「嘘のなかでしか真実は語れない」と言われているように、この作品が真実を語るために用意された嘘であれば、破綻していることは欠点にはならないだろう。
    事実、この作品にはたくさんの大切なモノゴトが詰まっている。
    とことん凄絶で暴力的だけど、なんだか癖になってずっと読んでいたいと思う、そんな作品だった。

    話としては『煙か土か食い物』の後日談に当たる。『煙か…』では四郎の人生の伏線が感動的に回収されて、凄く充足感があったんだけど、確かに事件は本当の意味で解決してないのだった。河治夏朗(=四郎の推理では二郎)が放置されてる限りまた別の実行犯が仕立てられる可能性は充分なのだ。

    語り手は四郎から三郎に替わる。一人称が全く四郎みたいで兄弟とはいえ似すぎてる…と思ったけど、少しずつ四郎と三郎の性格の違いが浮かび上がる。
    この一連の作品の価値のひとつは、虐待家庭で育った虐待されてない兄弟にスポットが当てられていることだろう。虐待されてる子はもちろんツライから、相対的に見てその兄弟の傷は見逃されがちだが、絶対視すれば兄弟の心の傷だって相当だ。この立場を描写してくれたことで救われた人は多いんじゃなかろうか。
    三郎目線から見る四郎はめちゃカッコイイ。前向きで行動派で、被害者の会を主宰したり父親の代理として選挙に挑もうとしたり、あの暴力性を忘れさせるほど正しい人間として描かれる。

    物語中では事件が起こりまくる。
    二郎(推測)が描いたスパイラルを二人の人間が勝手に引き継いでそれぞれ全く違う絵を描き出す。ナスカの猿を描いた男は殺人容疑で無事(じゃなくなって)捕まり、宇宙人へのメッセージを描いた少女ユリオは三郎に保護される。
    壊れかけてるユリオとなんとか救おうとする三郎との流血沙汰の日々。
    これで終わりかと思うと今度は連続バラバラ死体状況意味不明事件が発生、これもオゾンで巨大化したコドモの玩具にされたことが判明。
    すると今度は母親消失事件(事件?)、四郎轢き逃げ事件が発生。最後はいよいよ河治夏朗と対決し、三郎は手足を切断される(!)。

    巨大化したコドモの父親がユリオに刺されて命を落とすあたりから物語の均衡は保たれなくなり(ユリオ殺人罪なのに進行上は全く不問、いやその前に巨大化したコドモって!)、三郎が手足を切断されてなお生きてるあたりは完全にシュールだ。
    でも物語はそもそも嘘で塗り固められてるものなのだから、おおよそリアリティに欠けることが起こったって、リアリティはリアルじゃない物語に求めるべきじゃないのだ。
    「三郎手足ないのにどうやって陽二の死体やら自分の手足やらを隠したんだ?」とかいつまでも整合性に拘るミステリ脳は作中でずっと否定されているのだ。

    だから、それぞれのエピソードを通して語られていることは、どうしようもない「愛」についてなんだと思う。

    作中の物語は「解決」とは縁遠く終わってしまうけど、作者が言いたかったことは大方言い尽くせたんだろう。
    読む前は文庫化されなかったことにヤバさを予測してたけど、むしろノベルズ判でも書籍化されたことに意義のある作品だと思う。


    (追記)
    ネット上のレビューを読み回ってきました。
    3章から三郎の作中作だって説が定説のようですね。
    いやぁ、2章で橋本敬が死んでたのに、3章でバラバラにされて校庭に捨てられてたの、ずっと気になってて、「死体はどこで拉致されたんだ?」って何度も探しちゃったんだよ。
    察しろ私。
    確かに3章から明らかにファンタジー化するよね、巨大化したコドモとか腕に妊娠とか。
    …うん、でも2章までだって事実じゃない点は一緒なんだよ。だから全部引っくるめて何某かの真実を語るための虚構ってことは変わらないってことでイイんじゃないかな。

  • 前作「煙か土か食い物か」の続きらしいが、いまひとつだった。
    期待しすぎたかな。

  • 中二病まっさかりの時に勧められた本
    ほんとにラノベみたいなもんだと思って読めばそれなり。
    しかし内容は頭に残らない。

  • ハチャメチャ!やってくれたな三郎というきもち 破綻しまくっている物語に途中何度か挫折しそうになったけれど、読み終わるとこの物語にものすごい愛着がわいてきた 前作に続き、(前作以上に?)バイオレンスでひとがぽろぽろ死んで血みどろで、脳内麻薬がどばどば〜だった

  • この疾走感はたまらない!他の作者の本を読むには、舞城作品を読んだ後、1日何も読まないようにして、身体を慣れさせないといけない。

  • 『煙か土か食い物』の続編。
    絶対に順番に読むべき。じゃないとほぼ理解不能。
    というか、読んでても理解不能。
    それでも心を強く惹きつける、不思議な魅力がある。

  • 破綻して破綻して破綻して肯定する。本当を書け本当を書け本当を書けと言って「だから俺は嘘を書く」。
    救いがないことが救い、という小説だと私は思っているが、人によってはこの結末は本を投げたくなるかもしれない。そういう本である。
    舞城さんは物語=虚構という問題の闇を、もうこの段階で書いてたんだな……。

    ↓↓↓ 以下、ネタバレ ↓↓↓

    この本の主人公・三郎は自分の価値を稼ごうとするが、結局のところそれはあり得ない形での「肯定」によって、全て台無しになる。あるいは、全てが成就されてしまう。
    それは絶望でありながら救いで、同時にどん底の孤独だ。自分の主観が全てを決定し、そこに他者の価値観はない。だから自分以外の意思は存在しないし、ゆえに否定も存在しない。
    「俺は生きていると思うので生きているのだ。愛していると思うので愛しているのと同じように」。
    舞城作品の主観的・感情的な作品世界の闇がここにあり、舞城さんはこの作品でそれを非常に自覚的に書いたのだと私は思う。三郎は孤独のまま、自分はハッピーだという。しかしそれは嘘なのだ。しかしそれは、嘘による彼のリアルなのだ。そんなわけない、という形の現実。それを三郎は生きているのだ。

    「それらの物語に含まれていた真実とはつまりコミットすることとデタッチすることの同時性についての問題に関する何かだっただろう。誰かと一緒にいながら本当の意味では一緒にはいないということ。他人との隔たりと密着が同時に起こるということ。」

    他者は存在するが、同時に存在しない。しかし、存在しないからこそ、存在する。
    それは三郎が自身を肯定「してしまう」ことによって他者から切り離されるパラドックスそのものである。主観を肯定し他者を必要としなくなった時点で、逆に彼は世界から否定されてしまうのである。

    「ある特定の物事は、際限なくどんどん悪くなるんや。そういうのには、最悪の状況とか果てとか底とかはないんや。どんどんどんどん悪くなって、さらに悪くなり続けるんや」

    自分を肯定するための世界を、それでも必要とするか否か。虚構を生きるというテーマは、村上春樹作品に通ずるものがあると思う。

  • 長門有希の100冊より、舞城王太郎。デビュー作「煙か土か食い物 Smoke, Soil or Sacrifices」(未読)の続編。最近、まわりには舞城王太郎のファンだと言う人がいて、一度は読んでみたいと思っていたのだが、しかし、その独自の文体にはどうにも馴染めず、もう読まないと思う。

    物語自体は、謎の少女マリオとの邂逅、謎の連続殺人事件の解決、二郎らしき人物との対決の 3部構成。しかし、相互の関連は薄く、全体的に筆の赴くままに書き散らしたといった印象で、小説としての完成度はかなり低い。まあ、個人的にはこういう若気の至ったオナニー小説は嫌いじゃないし、あの文体にしては十分に読みごたえがあるし、好きだという人がいるのは理解できる。

  •  物語としては破綻しているのだけれど、作者がその後も繰り返し取り組んでいくテーマがほとんど全て示されてもいいと思う。家族、子供、愛、運命、考えること行動すること、精神病、暴力、それぞれが提示されたまま投棄される様は、清涼院流水のジョーカーを彷彿とさせる。一つ一つのエピソードの破天荒さと面白さは本作の方が圧倒的に上ではあるけれど。虚構然としていることが却って現実味を帯びるという著者の言葉は、まったくその通りに作用していて、三郎はスーパーヒーローにはなれず、ユリオにも相手にされず、カエデは三郎がぼうっとしているから何度も妊娠して中絶して、本当に日常的に繰り返されていく救いのない現実がありありと描かれていくのは、読んでいてとてもつらい気持ちになる。狂ったような殺人者たちも社会の一員で、笑ってしまうようなトリックを次々に開陳してくれるのだけが唯一の救いなのだ。悪いことが起これば、どんどん悪くなっていくというのは本当にそうなのだなと思う。

  • 暗い主人公。

  • 途中で読むのをやめた。
    「本当のことは嘘でしか語れないこともある」?
    語った嘘が他人に伝わるかどうかは、全く別の話。
    語ったつもりなのかもしれないが、伝わらない。

  • 舞城王太郎はやはりこのシリーズが一番だと思います。特にこの話が良いです。

  • 圧倒的救済はどこからもたらされるのか。偽物の言葉にそれは宿らないのか。「大丈夫大丈夫」とささやき続けた三郎はこれじゃいかん、と自分の身を動かすことで圧倒的救済を求める。というか、そういう風に四郎に言われる。偽物の言葉じゃ駄目なのに、でも「ある種の真実は、嘘でしか語れないのだ」嘘をつき続けるしか、ユリオは救えなかったのか。もっと大きく考えると、これらは全て虚構だったのか。行き場をなくしたユリオへの二次創作的救済なのか。ならばそれは“圧倒的”なのか。全てに疑問がつきまとう。なぜ、最初からフィクションとわかっている小説作品に、(主人公にとっての)現実と虚構が持ち込まれるのか。それらの区別に対してなぜ僕が興味を持ってしまうのか。当たっているかわからないが、この二つに関しては答えを持っている。三郎の抱える問題は可哀想に一生つきまとう問題なのだ。この世ならざる問題を生み出すときに、きっと一生ついて回るのだ。可哀想と思うと同時に、早くそのステージにたどり着きたいものです。

  • 次から次へと人が死にまくってるのに(それもとんでもなくひどい殺され方で)読んでて少し泣きそうになった。これが多くの人が考察してるように三郎の創作なら、なおのこと悲しい。コンプレックスの塊の三郎と言っちゃあなんだがメンヘラ全開のユリオ。そんな二人が一緒にいることで巻き起こる破滅的な結末。四肢を失ってトゥルーリーハッピー?んなあほな。三郎は高谷クリニックに行った方が良いって。
    でもどれだけ無茶苦茶でも私は奈津川家が好きだ。暴力にまみれてるのに光しか感じない。また書いてほしい。

  • 最後だよ。最後をしっかりしてくれよ!煙か土か食いものかのほうが面白かった。

  • 煙か土か食い物といい、今作といい、どうしてこの兄弟は犬にヒドイ事をするんだ?
    それはともかく三郎の何もできなさが愛おしい。前作の四郎はチャキチャキ動くし色々解決してくれるし読んでてエキサイティングだったのに比べ、三郎はなかなか解決できないし色々間違うし大丈夫大丈夫...って大丈夫じゃないよ!とモヤモヤさせられる。だからこそ心に沁みるシーンが多かった。自分自身に近いものを感じる。
    かなり気になっていた移動式地獄二郎のその後がでてこなかったので、またこのシリーズ続編だしてくれないかなあと思いました。

  • スピード感はさすがなんだけど、伏線回収とかオチとかはあって無いようなもので、やはり舞城ワールドが炸裂したまま終わってしまった。

  • 『煙か土か食い物』の続編、と言っていいだろう。

    評価が難しい作品。これは評価が”わかれる”ことの多い舞城作品では珍しいと思う。

    文章自体は”通常”の舞城節で(この時点でかなり異常であるが)、内容についても”書かざるを得ない”衝動に突き動かされて書いている、感触は伝わってくる。

    しかし、物語の筋が破綻に破綻を重ねているせいで、逆に”破綻”という筋書きに囚われている感が否めない。

    その意味で、舞城王太郎の作品の中では地味。これはこのブクログでの評価が大旨3か4か、というふうに安定している理由でもあるだろう。

    つまり、ある程度の舞城フリークでもない限り、現在ではこの作品に手を出さない。彼等はある程度舞城作品についても理解があるため、低い評価はしない。

    おそらく一般的な舞城嫌いが読めば、普通に低評価を下すだろうと、僕は思うのだ。

  • 罵詈雑言まみれの福井弁に、ただひたすら悪酔いして、快楽中枢を刺激される。
    その愛とその暴力に納得も共感もできないけど、そんなこと作者は望んでないんでしょうね。

  • 四兄弟の三男三郎さんのお話。
    以下ネタバレ

    ユリオちゃん可愛いよ。
    福島君、いつの間にというか、大人になっててびっくり。
    また、パラレルかなー。
    どからどこまでが、三郎の小説と妄想なのかは分からないので、もう一度読んで、また感想を書こう。
    でも、
    この本だけは二回読んだら、二回分の解釈が産まれてしまう。
    とりあえず、
    この一文に震えた。
    『嘘は俺の唯一の友達なのだ』
    四兄弟の残りのお話をいつまでも待ってます。

  • 中毒性のある悪夢。

  • ものすごい破綻っぷり。三郎だしね…いやこれミステリではないですよね。そう思いながらも読んでしまう。

  • おもしろかった・・・と思う。
    普通の小説はラストに向かって物語が収束していくものだけれど、この小説は発散してる。
    うーん、発散というのもまた違うか・・・。
    とにかくオチはないに等しく、舞城あんま読んでない人だと悪ふざけにしか感じられないオチです。
    でも、途中にある「物語」に関する叙述はかなり納得できるものであったし、また、それがこの小説全体に関しての伏線?みたいに感じられた。
    ネットではけっこうこの小説に関して考察してる人が多くて、興味深く読ませていただきました。

  • 奈津川家サーガ第2弾。
    連続主婦殴打事件は更なる地獄の幕開けに過ぎなかった――。
    「おめえら全員これからどんどん酷い目に遭うんやぞ!」

    相変わらずの舞城節全開で、結構な分量があるはずなのに
    実感としては実際の半分くらいしか読んでる気がしない。
    それは内容の薄さによるものではなく、圧倒的スピード感によるもの。

    前作以上にとんでもない展開の連続で、
    矛盾や齟齬や度を過ぎた荒唐無稽さが目立つが、
    「ある種の真実は、嘘でしか語れないのだ」
    の言葉がそれらすべての存在を許容する。

    一読しただけではこの作品の全体像はおそらくつかめない。
    「煙か土か食い物」ほどの爽快な読後感はないものの、
    何がなんだかわけはわからないけれどスカッとする。
    それだけで舞城王太郎を読む価値はあるだろう。

    三郎三郎ふふっふ三郎デュビデュバ。イエー。

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著者プロフィール

1973年福井県生まれ。2001年『煙か土か食い物』でメフィスト賞を受賞しデビュー。2003年『阿修羅ガール』で第16回三島由紀夫賞を受賞。『熊の場所』『九十九十九』『好き好き大好き超愛してる。』『ディスコ探偵水曜日』『短篇五芒星』『キミトピア』『淵の王』など著書多数。2012年『ジョジョの奇妙な冒険』(荒木飛呂彦著)の25周年に際して『JORGE JOESTAR』を刊行。近年は小説に留まらず、『バイオーグ・トリニティ』(漫画・大暮維人)の原作、トム・ジョーンズ『コールド・スナップ』の翻訳、短編映画『BREAK』や短編アニメ『龍の歯医者』『ハンマーヘッド』の原案、脚本、監督などを手掛けている。

「2015年 『深夜百太郎 入口』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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