早く続きを読みたいと思った作品は久しぶり。
物語の見せ方が凄く面白かった。
☆5つ付けようかと迷ったくらい。
最初に梵貝荘なる館の平面図と登場人物一覧があって、めちゃ新本格ミステリを気取ってる作品。
物語は、痴呆の「ぼく」の日常の描写から始まる。
『ハサミ男』でも感じたけど、殊能さんは病んだ人間の一人称を書かせたらピカイチだと思う。すごく読ませる。
だんだん「ぼく」が殺人事件に関わったらしい記憶が断片的に現れ、どうやら石動戯作がその調査をしているらしいことが知れる。
この、少しずつ状況が開示されてゆく冒頭の掴みが、凄く良い。
果ては石動が「ぼく」に殴り殺される!
前作『黒い仏』のぶっ飛び振りを経験してると、石動が殺されても(いやめちゃビックリしたけど)「シリーズモノなのに主人公殺されちゃったよ! ぶっ飛びすぎなんだよ次回どうするんよw」くらいな感想ですんなり受け入れてる自分がいる。
掴みにすっかり持っていかれ、場面は変わって1か月前の石動を追う三人称視点になっても続きが気になって仕方ない。
十四年前の殺人事件を再調査するよう依頼を受けた石動。その事件は、名探偵水城優臣が解決し、その助手兼記録者鮎井が事件の7年後に「梵貝荘殺人事件」として小説化したものの、未刊のままとなっていた。
名探偵水城シリーズのファンでもあった石動は興味もあって依頼を引き受け、資料として「梵貝荘殺人事件」を読みつつ、当時の関係者に会って話を聞くうちに、水城の推理は間違ってたのではないかと思い至る。
読者には、小説の内容と現在の石動の調査の様子が交互に開示される(これがまた上手いなと思った)。
実際の事件の小説化とはいえ、小説は小説なわけで、書かれてないこともありそうだし、関係者の中には小説の登場人物としての描写とは乖離してる人もいたりで、小説が事実に忠実とは限らないことを思い知らされる。
このテーマはまんま、いわゆる「後期クイーン問題」でもある。多分、この作品は殊能さんの「後期クイーン問題」への挑戦なんだね。
読者は(私は)、冒頭の「ぼく」はこの中の誰なのかと考えてしまう。物語は梵貝荘の主である瑞門龍司郎であることを匂わせるが、そんな一筋縄には行くまいと思う自分もいる。作者が壊れたから小説は未刊なんだ、という記述に惑わされて「ぼく」は記録者鮎井なのか?とも思う。
佳境に来て、「ぼく」=水城優臣だとミスリードさせられて、それから「梵貝荘殺人事件」には書かれなかった水城優臣(優姫)と瑞門誠伸の恋愛譚を知ることになる。
感覚的には何度もどんでん返った感じがする。
「ぼく」=誠伸が殺したのは鮎井だったけど(被害者は眼鏡をかけてたからどこかで石動じゃないとは分かってた)、どんでん返り過ぎて「もう一度どんでん返って最後の最後で石動マジで死ぬんじゃね?」と期待(?)してしまった。
最後の、優姫と誠伸と石動が神社にお参りに行くシーンはちょっと助長だと思ったんだけど、冒頭シーンの答え合わせになってるんだよね。
つまり読者は誠伸の行く末も最初に知らされてる訳で、それに気づいたらちょっとしんみりしちゃった。
優姫はほんとに誠伸が好きなんだってことも伝わって、そこはかとなく哀しい。
自然、再読してしまうというね。
我に返って考えれば、実際の水城優臣(優姫)が女だったってトリックは『ハサミ男』の焼き直しな訳で、それでも簡単に引っ掛かる自分を逆に褒めたい。
石動が疑った水城の推理の誤りは、実は誤ってなかったんだから、もう石動は名探偵名乗らない方が良いんじゃないか。ていうか、石動が冴えてたのは『美濃牛』の一瞬だけだよね…。
石動戯作シリーズは、作風も出来もばらけすぎてて評価が難しい。
個人的には『美濃牛』も『黒い仏』もイマイチ乗り切れなかったので、本作品でここまで読んできた努力(?)が報われた気がした。
ミステリの諸問題とか知らないピュアな感覚で読めた方が楽しめる作品です。オススメ。