- Amazon.co.jp ・本 (608ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061823068
感想・レビュー・書評
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2008/05/01
清涼院流水作品のトリビュートもの。元の小説を読んだらもっと楽しいかもしれない。
なんだか駄洒落の嵐。「美しすぎて人を失神させてしまう」ってちょっと主人公ww笑
舞城王太郎の作品は理解しようと努力しないことに決めているので、わかんないところは意識せず読みました。
それでも、この作品がどれだけトチ狂ってる(いい意味で)かはわかる。うん、舞城王太郎は大丈夫なのか?
驚きと賞賛と罵倒の意味を込めて「この本キモッ」と言いたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
清涼院流水関連には、もうあまり近寄らないほうがいいかもしれない。自分の中の何かがそう訴えている…。
清涼院流水のJDCシリーズに出てくる、九十九十九というキャラクターが主人公です。JDCシリーズと言いっつ、コズミックとジョーカーという最低限のものしか読んだこと無いんだけれど、「材料が揃えばすべてが分かってしまうというメタ探偵」であり、「美しすぎて素顔を見るとみんな失神する」っていう非常識の塊みたいな探偵。
で、
この小説は、そんな九十九十九の半生、が書かれた小説、が九十九十九のもとに毎回送られてきて、その回ごとに九十九十九の置かれている設定が違って、ていう、書いてるだけでメタメタ頭痛が痛い感じの本なんですが。
ところどころにね、九十九十九の悲しみとかね、人を愛したい気持ちとか、自分の真実を知りたい、逃げ出したい、そんな葛藤とかね、面白みがないわけじゃないんだけれど。でも、ジョーカーとコズミックの九十九十九と、この九十九十九が私の中で噛み合わなくて、じゃあ九十九十九って何なの、みたいなそういう迷宮から抜けられなくなってね、もうだめだ。
ああ、もうだめだ。
なんとなくでしか掴めなかった。 -
「苦しさを感じるなら、僕なんて愛さなくていいんだ」。聖書/『創世記』/『ヨハネの黙示録』の見立て連続殺人を主旋律に、神/「清涼院流水」の喇叭が吹き荒れる舞台で踊りつづける超絶のメタ探偵・九十九十九の魂の旅が圧倒的文圧で語られる。“世紀の傑作”はついに王太郎の手によって書かれてしまった!「ハァレルゥヤ」。
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終始、つまらなかった。舞城なのに。ショック。
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○2008/04/01
なんかこの人の読むと非常に疲れる…。タイトルの語呂が面白くてずっと気になっててようやく手に取ったんだけど、はぁ、トリビュートなのか。正直頭抱えながら読んでたので本家の方も読んでみようかと。JDCってずっと何か分からなかったんだけど、ようやく謎が解けた(笑)
グロというか痛い描写が多くてそこら辺がちょっとつらかった。おーい待て待て!と。こういうのほんと想像してまうから困る。
最初章が飛んでた時は誤植かと思ってしまったけど、とりあえず通して読んだら納得はできた、少し。
本家を読んだらもうちょっと内容理解できるんだろうか?
とりあえず、しばらく舞城作品は手に取りそうにない。 -
数々のトリックは面白い。最終話もきゅんとなるが、やはりわかりやすさというのは大切だと思う。
メタ的な構造が自分には合わなかった。
JDCの九十九十九が活躍する話だと思ったが、違ったようだ。 -
面白い・・のはわかるけど、読みづらい。そうか、清涼院流水呼んでないからかっ・・・。(いまさら)
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読みにくくてわからなかった。
ついていけなかった…。 -
JDCの九十九十九とは全く別物の考えてよい作品だと思います。舞城ワールドで読めば読むほど訳がわからない(笑)最後まで理解できません。多分それで正解なんでしょう。本家本元に引けを取らない迷作です。
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舞城の病気に付き合うつもりで読破。ものすごい達成感。これがウリか?とんでもないところに連れて行かれる。そんなカンジ
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'05.05.16
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舞城王太郎の作り出す世界が、ただミステリーとして新しいだけではなく、すでにミステリーの域は越えた「新しい文学」として受け入れられつつある、というようなことはあたしが書くまでもない現実。事実、なんかの文学賞を取ってしまったりしている。あたしは「ミステリ」ではない、舞城氏の作品を先に読んでしまったので、むしろ、そういった新鮮な作家として捉えるつもりは端ッからない。ただもう、氏の作品では、連続殺人が起ころうとも、名探偵が登場して推理を展開しようとも、それはもう、ミステリなんかじゃない。だから今更、この「九十九十九」を持ってきて、舞城作品と氏の特性を語ろうなんてこれっぽちも思わないし、また残念な話だが出来ない。
ただ、本作を読み進めるにおいて、決定的な自分の欠陥を痛感。ああダメだ、あたし、清涼院氏の作品、読んでねから、面白くもないけどつまらなくもなく、退屈でもないけど、熱中もしなかった。内容をイマイチ理解出来ないのは、清涼院氏の作品を全く読んでいない所為もあるだろうし、また舞城氏の作品であるから、とも言えるんで、いやむしろやっぱ舞城さんだしってことか。
一応、これはノベルスの企画モノで、その前作である西尾氏の次作となっている。
タイトルにある「九十九十九」っていうのは、元ネタである清涼院氏の作品で登場する人物で、この作品では主人公の名前なのだけど、彼は16歳にして三つ子の父で名探偵で、サングラス無しでは犯罪級の顔の持ち主で、目玉や耳が切り取られていても生活出来るという「設定のお話」が進んでいく。で、その、「九十九十九」について書かれた小説と、「九十九十九」という名の別の人物とが入り乱れ、どの九十九十九がほんとの九十九十九で、どの九十九十九が小説の九十九十九か、本当に、最後の最後までさっぱりわからない。まぁ解らないようにしている、というか、どうせ最後の章までは読者には理解出来ないようにしている、間違いなく。おかげで、ホントにもう飛ばし読みしたくなった。やっぱりこの人はこういう風にしか、話を書けないのか、とさえ思ってしまった。
なんかもう、ジェットコースターブッ壊れてそのまま飛んでって収集着かなくなりそうなので、仕方ないから旧落下してトランポリンで何とか命は取り留めた、って感じ。『暗闇の中で子供』を読んだ時に、もうホント勘弁して欲しい、と心底願ったところがまたそのまま残っていてがっくり。
いや、これがこの人の良さなんだ、といいきることも出来るだろう。出来るだろうけど、やって欲しくはなかった…。
結局ココでも言いたいことは、「真実なんてどこにもない」っていうことで、それをいろんな手法を使って誤魔化して、最後まで正体を見せないようにしている。「〜というのは嘘です」というのは嘘だから嘘か、というと嘘と信じる理由は「嘘です」ていう言葉だから…ああああん?!?!戯言、詭弁、言葉遊び?叙述トリックぅ??そんなたいそうなもんじゃない、ただのウソツキだっ。詐欺師だ、泥棒だ。文章に関しては、もう、あたしは許せなくなっているので、放置。これ以上悪化したら多分読めない。読めないけど、そういう文体を全部チャラにしてしまいたくなるが実は、ある。
あたしは舞城氏の家族に対する何らかの特別な思い入れが、とても興味深い。ここまでしつこく、家族家族、って、家族的設定を持ち込むのはなんでなんだろう、と。もちろんいわゆる「家族」もそうなんだけど(奈津川一家のように)それよりも一番気になるのが、「恋人→夫婦」っていう流れが速いこと。恋人同士のままではなく、確実に家族の形成を計る、というのは珍しい心理だと思うの、男性は特に。しかもそこにある愛は、性交渉だけで表したりしていない、というのも興味がある。もちろん、舞城氏の作品に性行為がないなんてことが無い、っていうくらい、鬱陶しいほどエッチシーンが欠かせないのだけど、でも、一番好きな相手とのシーンが無かったりする。愛と性の結び付きについては、いろんな人が書いていることと思う、が、舞城氏にはそのところをちゃんと書いて頂きたいと思うのだ。そのところをちゃんとしっかりがっちりはっきり、結論を出している作品を書いて頂くまでは読み続けたいとさえ思う。
ま、関係ないけど、一番最初に「阿修羅ガール」を読み、次に「熊の場所」を読んだという関係で、あたしは舞城氏の女の子の描写が大嫌いで、子供の描写が大好きである。舞城氏の書く女は苦手だ。カワイイとか細くてスタイルが良いとか、もう、そういう描写をするのをやめないか、そろそろ。
んでもって、恋人として出てくる女の性格がみんな同じなんだよ。気付いてんの、わざとなの。クソムカつく。あー、書いてスッキリ。でも、女の子が最悪な割に、中学生までの少年の書き方が最高に良い。うん、いい。
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清涼院流水作JDCシリーズのトリビュートらしい。JDC読んでないし。グロくて笑える、でも無理。