本覚坊遺文 (講談社文庫)

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  • 講談社
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本棚登録 : 73
感想 : 7
  • Amazon.co.jp ・本 (231ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061833838

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  • 利休とその周辺の人々の間の緊張関係を、当事者の一人でもありながら、最終的には当事者ではないとも言える人間の眼から描き出した作品。
    それぞれの道、つまりは武、神、そして茶の追求の果てにある孤高感を抱く者のやり取りには、死がつきまとうということなんでしょう。
    この意味で本覚坊も有楽もその境地には達しえなかった凡人の悲しみが滲んでいるように思われるのが印象的。
    また再読したいと思わせる一作。

  • 千利休の弟子である本覚坊が描く「師利休の死」
    なぜ師は師を賜る事となったのか?を時代の関係者達との交流より当時を振り帰る。
    茶の湯での1対1の張り詰めた空間の中で起こるやりとりの中に「タダのお茶」ではない事に気づかされる。現代まで脈々と受け継がれている茶道も、嗜好品ではなく精神鍛錬や社交として、様々な意味合いの元でこだわりとプライドをもって礎が築かれたのであろう。
    時代の移ろいと共に、最後の締めくくりへ向け、原因の特定でなく当時を忍びつつ想像する、死の場面の描き方はさすがと唸らされる。
    特に、最後の太閤とのサシでのやりとり(想像であろうが)は興味深く、武人と茶人としての意地や誇りのぶつかり合い。また、古田織部の賜死や織田有楽の茶への向き合い方なども面白かった。

  • ルピシアの通販サイトにて。

  • 三井寺の本覚坊の手記という形で、利休について綴られる小説。

    古田織部、山上宗二、織田有楽などを通して、
    本覚坊が利休の死について考えを巡らしていきます。

    細川三斎、板部岡江雪斎、高山右近なども言及があります。

    千利休、山上宗二、古田織部は、それぞれ三名で、
    無言の盟約のようなものを交わし、それぞれ自刃した、
    という解釈が面白かった。

    また、高山右近は「自分を棄てて、ここが最後といったところがある。」と
    利休が評していると描かれており、高潔な印象でした。
    今まで読んだ小説の中でも、
    高山右近はそれぞれに興味深い描かれ方をされています。
    キリシタンだったこともあり、右近の内面に興味が湧きます。

    織田有楽斎は、一癖あって素直ではなく、
    真意をはかりかねるところがある人物として描かれていました。

  • かなり以前に読んだ本だけれど,読後に感じた鳥肌が立ちそうなほどのさみしさを今だに感じる事ができる。
    私は,千利休は室町前衛アートの頂点に立つ人だと思う。誰もついていけない道を一人で歩く。切腹という形で死ぬ事で彼の追求してきた世界の厳しさと崇高さは増し、そして彼の存在が時代を経てさらに大きくなっていくように感じる。

  • 千利休ものとしては異色の作品。千利休のドラマチックな生涯を記すのではなく、本覚坊という目を通して淡々と思い出として語られる。
    謎は謎としてベールに包んだまま、種明かしをせずそっとしておくような感覚が好ましい。

  • 三角関係ではありません

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著者プロフィール

井上靖
一九〇七(明治四十)年、北海道生まれ。静岡県に育つ。京都帝国大学哲学科を卒業後、毎日新聞社に入社。五〇年「闘牛」で芥川賞を受賞し、五一年に退社、作家生活に入る。五八年『天平の甍』で芸術選奨文部大臣賞、六〇年『敦煌』『楼蘭』で毎日芸術賞、六四年『風濤』で読売文学賞、六九年『おろしや国酔夢譚』で日本文学大賞、八二年『本覚坊遺文』で日本文学大賞、八九年『孔子』で野間文芸賞など、受賞作多数。その他の著作に、『あすなろ物語』『しろばんば』ほか自伝的小説、『風林火山』『淀どの日記』ほか歴史小説、『氷壁』ほか現代小説など。七六年、文化勲章を受章。六九年にはノーベル文学賞の候補となった。一九九一(平成三)年死去。

「2022年 『殺意 サスペンス小説集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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