さようなら、ギャングたち (講談社文庫)

著者 : 高橋源一郎
  • 講談社 (1985年3月発売)
3.64
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  • (2)
  • 本棚登録 :103
  • レビュー :15
  • Amazon.co.jp ・本 (313ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061834392

さようなら、ギャングたち (講談社文庫)の感想・レビュー・書評

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  •  再読。
     もっとも多く読み返した作品がこの「さようなら、ギャングたち」だろう。
     二桁、までは到達していないだろうけど、七、八回は読み返したと思う。
     それほどまでに読み返すほどの魅力がこの作品のどこにあるのだろう。

     すでに内容を知っている状態で読み返すと、始終切ない気持ちで読み通すことになる。
     本当に切ない気持ちになってしまう。
     本当に哀しい気持ちになってしまう。
     何故なんだろう。

     短いフラグメントが集積されてひとつの物語を形作っている、という形式。
     バーセルミや村上春樹の「風の歌を聴け」やブローティガンの「アメリカの鱒釣り」「西瓜糖の日々」のような形式、と言えば分りやすいだろうか。

     詩、なのかも知れないし、前衛的なのかもしれない。
     たった一行だけのフグラグメントもあれば大島弓子の漫画のみによるフラグメントもある。
     僕は全く前衛的とは思っていないのだけれど、やはり他の小説とは全く異なった言葉、全く異なった文章で書かれていると思う。

     コクトーの「恐るべき子供たち」やコルタサルの「南部高速道路」その他過去の様々な小説へのオマージュともとれる箇所も随所に見受けられる。
     きっと僕が読んだこともない作品にも触れている箇所があるのだろう。

     万人向けでは決してない。
     読んでみて「全く意味不明」と思われる方もいると思う。
     僕もきっと意味不明のままに何度も読み返しているのだと思う。
     それでもこの切なさ、この哀しみの疑似体験は得も言われぬ快楽を呼び起こす。
     だから何度でも浸ってしまう。

  • 8/18 読了。
    半ばほどで、これは「西瓜糖の日々」だし「愛のゆくえ」では?!と気付くと同時に、ハヤカワepi版「愛のゆくえ」の解説を高橋源一郎が書いていたのも思い出して今引っ張り出したら、私が一番好きだった本書における「詩の学校」の章はブローディガンが「愛のゆくえ」に登場させた図書館をモデルにしていたとある。「優雅で感傷的な日本野球」もブローディガンだな〜と思ったけど、こっちのほうがもっとブローディガン。こっちのが好き。

  • よくわからなかったけど、物悲しい感じだけは伝わってきた

  • 理論と現実の違い。

     理論は、無視されて、奪われる。
     現実は、国家権力に暴力で潰される。
     この対立構造は、60's 後半の安保闘争の時代なのだろうか。作者がどれほど深くコミットメントしたのかは知らない。しかし、この物語で語られる立て続けの死の、個々の虚しさは本物なんだろう。

     

  • 「さようなら、ギャングたち」(高橋源一郎)を読んだ。20数年前に読んだ時の衝撃がよみがえったよ。この美しくも悲しい物語は永遠に色褪せないだろうな。ピース!

  • 詩を読むことが好きで物事を深く考える質でないなら、頭の体操にうってつけの本。けっして、単なる滑稽本ではない。おしりをなでるくらいのつぶつぶがある傾斜を滑っていくような気持ちの良さがあり、同情ではなくリハビリ的というか、ゆる体操の開放感がある。
    描写と反して、この毒のなさは独自のスタイルだと思う。なんなんだろうなぁ。何とも言えないなあ。すごいなあ。

  • この本ばかりは読まないとわからない。そのくらいよくわからない。

  • 初読時の衝撃は凄かった!
    でもブローティガンの「愛のゆくえ」を読んでしまったら,かなり興醒めしてしまうのも仕方ないか...

  •  名前をつける、というところから始まるのだから、示唆しているのは、名詞が内包するイメージ、その連鎖、ということでしょう。きっと。
     何が起こっているのかさっぱりわからないのに、どうしても泣けてしまう、というのは、ある言葉が与えられて、その言葉自体から、もやもやと立ち上がってくるイメージが、次々と衝突していく様相に、あるいはその様相に突然投げ込まれるいくつかの言葉の響きに、感情が刺激されてしまうから。というか、そもそも、意味として整理されていないものなのに泣ける、という表現自体が、考えてみればおかしい。意味として整理されるのはその事象がすべて終わった後のことで、現在感じている何かはまで意味づけがなされていない、事象それ自体としてしか存在しない。もちろん文章というのは最初から後付としての形式でしかないけれど、そこから後付をできる限り廃することによって、体験の共有も可能であるはずだ。徹底してイメージに依拠した、文脈にすら至らない何がしかの流れ、それが喚起する何がしかの感情、それは事象そのもの、というと言い過ぎですが、意味として処理されるぎりぎり直前の、連結されていない断片としての表象である言語それ自体、ではあるでしょう。そこに物語を託した、それがこの小説だ、そういうことではないでしょうか。だから、名前なんだと。
     まっ白。が一番好き。

  • 20100627読了。
    久しぶりの再読。以前は好きな作品だったはずなのに、何が良かったのかわからなくなっていた。

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