- Amazon.co.jp ・本 (504ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061847392
作品紹介・あらすじ
激動する1990年、世界経済は恐慌へ突入。日本は未曽有の危機を迎えた。サバイバリスト鈴原冬二をカリスマとする政治結社「狩猟社」のもとには、日本を代表する学者、官僚、そしてテロリストが結集。人々は彼らをファシストと呼んだが…。これはかつてない規模で描かれた衝撃の政治経済小説である。
感想・レビュー・書評
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危険で、文句なしに面白い本。
当時中学生だった自分は、こんなに弱者、マイノリティを攻撃する小説を初めて読み衝撃を受けた。
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「必要ならば人の命を奪っても許される人間がこの世の中にはごく僅かだがいるのだ、と」
上巻だけで500ページに及ぶなかなかの長編だが上巻の要旨としては上の一文で十分?
橇を引くためだけに生まれたはずの奴隷のような人間が農耕を手にして、多くを要求するようになってからというもの社会に決定的な歪みが生じたと生粋のハンターである鈴原冬二は看破する。弱者が淘汰され、強者が快楽を享受する社会を取り戻すという狩猟社のイデオロギーが反感を買うばかりかかえって熱狂的な支持を得ることとなる。
日本国内で規模を拡大させればさせるほど自分たちの敵「ザセブン」のどうしようもない巨大さを実感。「希望の国のエクソダス」と同じく、経済、通貨をテーマに描く以上、どうしても話の規模感は世界スケールにならざるを得ない。敵として描くにはザセブンは大きすぎる気もするが下巻でこの壮大な物語がどう着地するのか楽しみ。
トウジの根幹にあるのは金やセックスといった世俗的な快楽を超越したもっと動物的な快楽主義である。その快楽を得るためにはどんな暴力も厭わない、ある種、ひたむきな姿勢が人を惹きつけるのだろう。トウジ自身が自分の快楽を政治や独裁から離れたところに見つけた時、暴力は不要な訳でなんだかんだで下巻でトウジが興醒めしちゃったりしないかと不安。
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30年以上前に書かれたものとは思えない。米国とグローバル企業への依存度は当時よりも強まっている。著者のいう「システム」に飲み込まれながら、何ひとつ主体的なアクションを取ることが出来ない日本という舞台設定は今も新鮮である。「半島を出よ」では敵方の北朝鮮からの視点が面白かったが、本作ではひと癖ふた癖ある日本人がシステムに足掻く様が怒涛の展開で押し寄せ、この長編をまったく退屈せずに読み切らせてもらった。文句なし星5です。
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1987年に書かれたとは思えないほど面白かった。今の日本に合っていて、またデモや暴動の理由が少し分かった気にもなる。
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カナダでトウジとゼロが出会う。帰国後、タイトルにあるビデオをある人物から譲り受ける。トウジの政治思想に共鳴する仲間を集めていく。1980年代半ば当時の日本・世界情勢を背景に、水面下でゆっくりと、だが着実に勢力を拡大していくさまは、たとえれば交響曲の序曲。
米国を猛然と追いかける日本経済。その裏に、貧富の差の拡大があった。もしこういう政治勢力が日本を動かしたらどういうことが起こるか。
これは壮大な思考実験の書。上巻で構築された基盤は、混乱と期待をはらみながら下巻へ昇華していく。 -
作者はいつこんなに経済、会計の勉強をしたのだろう。
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69と同時期に読了。
今の私には不要も、思い出深い小説。
当時は近未来小説かと思ったが、何も変わっていなさそうで、実は全てが変わった平成を過ぎた今となっては、昭和らしい最後の小説の一つとしてしか読まれないだろう。
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メモ
サンクチュアリに似てる? -
20代の時に読んだが、熱量が多い一冊
著者プロフィール
村上龍の作品





