中華帝国志 上 治乱興亡篇 (講談社文庫)

  • 講談社 (1993年1月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (398ページ) / ISBN・EAN: 9784061854796

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  • 伝統的な儒教史観を否定し、著者いうところの民衆の哲学、道教の価値観から中国史における政治の力学を語る。

    (官職について)
    ○ところで権謀術数とマキャベリズムは、一般に同義語だと解されてきた。しかし両者は似て非なるものである。マキャベリズムは流動的な歴史の「変化」に対応する権力の行使、つまり支配権力と影響力の拡張を目指す、政略的な技法であった。権謀術数は固定的な政治の「局面」における権力の分配を企図する操作の技術である。
     したがってマキャベリズムの世界で人々は「権力闘争」に走り、誰がより大きな権力を手に入れて風上に立つかを争う。そして権謀術数の世界で人々は「権力分配」で血眼となり、誰がより大きく権益の分け前に与るかを争った。
    …権力の場つまり官場における人々の「権力分配」の営為は、「昇官」の形を取り、その究極的な眼目は、要するに「発財」であった。それゆえ血みどろな「権力闘争」に走るよりは、比較的安全でしかも優雅な「権益分配」に憂身をやつす。そして端的には位の高さよりも、実入りの良さを選ぶ。
     例えば文部省なら、偉いばかりの教育局長よりは土建業者と組める営繕課長を、大蔵省なら次官よりも国税長官を、いや場合によっては大きな税務署の署長を選択する。もし地方政府なら、文書を管理する文書課長よりも、物品の購入に携わる用度係長を選ぶ。…つまり「痩せた」地位の高い官職よりは、位が低くとも「肥えた」職場を選んだものである。

    → こんな視点があったのか!という発見。現代の「金持ち父さん貧乏父さん」で、州教育長まで勤めた「貧乏父さん」が貧乏なまま一生を終えたエピソードをかみ締めたい。


    (その他引用)
    ○つまり彼らは「納税義務」といった観念があって税金を払ったわけではなかった。税金は払うから干渉するな!税金は払ったから、つべこべ言うんじゃない―という取引を皇帝と交わしたのである。


    ○類似の事件が連続して起こるのは、事件が実は「仕組まれた」もので、偶発的なものではなかったことを示している。事件を仕組むことと、それを仕組む技術がすなわち「権謀術数」と呼ばれた。

    ○人々は社会秩序を整える標識的な存在として、皇帝の存在が必要であることを承知していた。したがって皇帝の支配力は、そうした社会的な「仕掛け」や政治的な「仕組み」に由来するもので、皇帝が個人的に兼ね備えたものではない。

    著者が張良の口を借りて語らせる劉邦評
    ○それに劉邦が恐妻家であるのが、張良の気に入った。
    男としては、かならずしも格好のいいことではないが、しかしそれは彼が必要とあらば、他人の影響や感化を受けるにやぶさかではないことを物語っている。つまり彼は大物に成長する条件を備えているのだ。

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