白い航跡(下) (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061856806

感想・レビュー・書評

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  • 吉村昭らしい、綿密な取材と丁寧な描写が光る力強い作品。資料が皆無に等しい中、足を使い書き上げた渾身の長編。森鴎外の医師としての側面もなかなか知る機会がなかったため、それもまた一興を加えている。

  • なんか最後のほうわりと悲惨な感じになってしまったので、えらくなりすぎるのも考えものなのだなと思いました。。

  • 脚気になやまされていた海軍。兼寛は、その原因を食生活等の統計的な分析から白米中心の食事にあると見抜き、洋食や麦飯を推奨したが、ドイツ医学を心棒する医学界からは痛烈な批判にさらされる。特に、実証データを無視する森林太郎(森鴎外)の頑なさにはあきれた。文学者としてはともかく、科学者としてはどうなんだろう。陸軍において日露戦争で脚気による大量の死者が出たことの責任の多くが鴎外をはじめとする陸軍の軍医や医学界にあったことは明らかと思うのだが。
    兼寛は、慈恵医大を創設し、看護婦の養成にも力を尽くすなど、めざましい業績を残したが、やはり脚気の予防法について、自らの説が日本の学会から受け入れられなかったことで、失意を抱いたまま亡くなったのが残念。

  • 2012.5.27(日)¥200。
    2012.6.8(金)。

  • 「脚気」という原因不明の病気の解決策を突き止め、尽力した
    「ビタミンの父・高木兼寛[1849-1920]」さんのお話し
    シーボルト(来日1823-1828、1859-1862)との接触はなし

    臨床医学に重きを置くイギリス医学と病理学に重きを置くドイツ医学の対立
    海軍と陸軍の対立

    諸外国からは絶賛された説が国内では侮蔑の対象となり
    やっと認められたのは彼の死後であった

    南極大陸の南緯65度33分・西経64度14分に
    「Takaki Promontory(高木岬)」という岬があるらしい

  • 脚気で亡くなる人が戦死者より多かったとは驚きだった。彼の功績は直接日露戦争の勝利につながったと言える。彼あっての今の日本かもしれない。

    だが彼の脚気の研究結果は日本では認められることなく、冷遇され寂しい晩年を送った。

    彼の周囲には昔日本史で勉強して知った名前がたくさん出てくる。まさに明治維新のど真ん中にいた人。

  • 最後のほうの、兼寛が各地を回って講演したっていうのは・・・

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著者プロフィール

一九二七(昭和二)年、東京・日暮里生まれ。学習院大学中退。五八年、短篇集『青い骨』を自費出版。六六年、『星への旅』で太宰治賞を受賞、本格的な作家活動に入る。七三年『戦艦武蔵』『関東大震災』で菊池寛賞、七九年『ふぉん・しいほるとの娘』で吉川英治文学賞、八四年『破獄』で読売文学賞を受賞。二〇〇六(平成一八)年没。そのほかの作品に『高熱隧道』『桜田門外ノ変』『黒船』『私の文学漂流』などがある。

「2021年 『花火 吉村昭後期短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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