夜はまだあけぬか (講談社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061858572

感想・レビュー・書評

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  • 著者、梅棹忠夫さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。

    梅棹 忠夫(うめさお ただお、1920年6月13日 - 2010年7月3日)は、日本の生態学者、民族学者、情報学者、未来学者。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、京都大学名誉教授、理学博士(京都大学、1961年)。従三位勲一等瑞宝章。日本中東学会初代会長を務めた。
    「京大式カード」の生みの親でもある。

    「京大式カード」、思い出しますねえ。
    私も、似たようなことをやりましたが、すぐに挫折しました(-_-;)

    で、今回読んだ本のまえがきによると、著者は1986年3月に両目を失明されたとのこと。
    1920年に生まれた方なので、65歳位で失明されたようです。
    その後、90歳で亡くなられるまでに、多くの著作を残された方です。


    こちらの本は、53ページまで読んで、終了。

  • 「躍動する知」。梅棹氏の著作を読む時、頭の中でこんなイメージがわく。
    突如視力を失った時から、長い入院生活、仕事への復帰、新しい興味、と単純じゃないだろうけど少なくとも文面からは徐々に前を向く氏の生き様がうかがえる。
    一時、停止してしまった知が、再び動き出す。以前と比べ、速さは劣るかもしれないが、そのスケールや生き生きした様は変わらず、前とは異なる方向に迎える新たな可能性を秘めている。
    著作から、センスから、人間関係から、全てが憧れる。

    ・比較的情緒が安定しているほうだと自分でも思うが、それでも目が見えないということは、ともすれば心情の不安定をまねきやすい。突然に怒りがこみあげてきたり、絶望感じおそわれたりする。音楽をきくことによって、この心を乱れをしずめうことはできないかと思う

  • 梅棹先生がなくなられて3ヶ月ちかくたちます。新聞にもいろいろとその業績が紹介されたりしています。本書は、梅棹先生が視力をうしなってから執筆されたエッセイ集です。梅棹先生がなくなられたこともあって増刷されました。講談社文庫でありながらちかくの書店ではみつからず、結局注文して購入。後日、ジュンク堂書店にいくと、どっさりつんでありました。本書執筆中はまだまだ視力が回復する可能性もあり、先生自身もそれを期待しつづけていらっしゃいます。だから、よんでいてつらくなることがあります。もうすこし時間がたって、みえないなりにもまえむきにいきていこうとするようすもエッセイにされているでしょうから、ぜひそういうものもよんでみたいとおもいます。そんななかで、おもしろいエピソードをひとつ。先生は音楽をあまりきかれなかったようですが、視力をうしなって、カセットテープやCDをきくようになられたようです。ヴィヴァルディの四季をきかれていたときのこと。1曲め、なるほど春のようだなあ。2曲め、たしかに夏だ。3曲め、秋のようだ。4曲め、これは冬だなあ。ところが、まだそのさきにも曲はある。じつは、各季節ごとに3曲ずつ曲があった。つまり、先生が冬だとおもってきいていたのは、夏の最初の曲だった。ひとによってなんとでも解釈ができる。これがまた音楽のおもしろいところなのかもしれません。ところで、先日、古本屋で本をさがしていて、2周めにふとたなをみると、そこに梅棹忠夫の名前が。「裏がえしの自伝」単行本200円で即購入。ラッキー。

  • 視力を失った著者がみずからの体験を語った本です。

    まだまだやりたい仕事が残っているにも関わらず視力を失ってしまった著者の絶望はどれほど深かったことかと思いますが、文章からはそれほどの暗鬱さは感じられず、むしろ自身の置かれた状況とこれからなしうることを冷静に見つめる姿勢が際立っているように感じました。

    いつも平明な文章で明晰に思想を語ってきた著者の、福沢諭吉の言葉で言えば「カラリとした」精神が、視力の喪失という困難の中にあっても失われないことに感動を覚えます。

  • どちらかというと仕事風景がメインで、視力を失った顕学が何を感じ考えたか、という内容は少ない。
    著者のファンというわけではないので、著作についてつらつらと書かれても…という感じ。

  • ある朝突然視力を失った、文化人類学のパイオニア、梅棹忠夫。絶望を感じながらも、好奇心を持ち続け、自分なりの方法で新たなる日常を開拓していく記録。

  • 盲目なんて自分には想像もつかないような状況でも知的生産の方法が模索されていて、そのような姿勢を見習わなければならないと思た。
    あと、音楽に挑むの下りでは体系的・分析的に西洋音楽をとらえるという視座は自分にはなかったし、目から鱗だった。
    何事も分析的に物事を見るのはできるかわからないけど、頭の片隅に留めておこう。

  •  「知の巨人」と称された梅棹忠雄氏は多数の著作を執筆されたが、その多くは目が不自由になった後に書かれたものだということを本書で知った。知的生産と学術活動に没頭されていた梅棹氏にとって、目が見えなくなったことは筆舌に尽くしがたい辛さだったに違いない。しかし、梅棹氏の文才はその辛ささえも超越し、薄明の世界で何を感じ、何を考えたかを健常者に伝えてくれる。身内に目が不自由な方がいれば、是非本書を読んでみてほしい。
     また、最終章の「本づくり」は目が不自由な中での執筆活動をテーマにしたエッセイであるが、梅棹氏の著作体系の開設でもある。新たに興味をもった著作がいくつもあったので、さっそく読んでみたい。
     

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著者プロフィール

1920年、京都府生まれ。民族学、比較文明学。理学博士。京都大学人文科学研究所教授を経て、国立民族学博物館の初代館長に。文化勲章受章。『文明の生態史観』『情報の文明学』『知的生産の技術』など著書多数。

「2023年 『ゴビ砂漠探検記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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