- Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061859944
作品紹介・あらすじ
若き二人の特攻隊員は、ベートーヴェンの名曲「月光」を、小学生たちの前で弾き、南溟の空に出撃していった。ある夏の日のピアノの響きは、痛切な思い出として刻みこまれた。そして今、過酷な運命に翻弄された青春の行方をさぐる一人の女性がいた。愛と哀しみの感動にあふれるドキュメンタリー・ノベル。
感想・レビュー・書評
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「若き二人の特攻隊員は、ベートーヴェンの名曲「月光」を、小学生たちの前で弾き、南溟の空に出撃していった。ある夏の日のピアノの響きは、痛切な思い出として刻みこまれた。そして今、過酷な運命に翻弄された青春の行方をさぐる一人の女性がいた。愛と哀しみの感動にあふれるドキュメンタリー・ノベル。」
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ジャンルは小説としたが、ほぼ事実を基にしたドキュメンタリー小説。特攻前日に、ピアノが弾きたいと小学校を訪れた特攻隊員2名。その2名を、平和が訪れた戦後数十年後に捜し出そうと、メディアやルポライターが色々トライするも中々条件に一致した人が見つからない。
最初にも書いたように小説というよりかは、ドキュメント。特攻隊員の中でも特攻に失敗して、戻ってきた隊員は懲罰のような待遇で専用の寮に入れられていたことは知らなかった。 -
特攻隊として、最後にピアノを弾きたいと思って、ピアノを探していた時の特攻隊員の気持ちを思うと、とても苦しくなります。今、平和で自分の夢を追いかけられる事に、感謝の気持ちでいっぱいにもなり、さらに頑張ろうというやる気をも持たせてくれる本です。
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鳥栖小学校の古いグランドピアノの廃棄処分が決まった。
年配の教師吉岡は、そのピアノを前に、45年前の特攻隊員の話を語った。
『永遠の0』など、特攻隊の話はいくつか読みました。
突撃に失敗したり、機械不良などで不時着したり、戻ってきたりした隊員がいた事もそこで知りましたが、振武寮の存在とその意味は今回初めて知りました。
どの話を読んでも、戦争の不幸ばかりを知らされる思いです。
様々な事実を知らな過ぎた私は、更に学ぶ必要があると思います。
そして、多くの人にも知ってもらい、このような不幸が再び起こることがない世の中を皆で作り続けていかなければならないと改めて強く思います。
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太平洋戦争末期、九州のある国民学校でベートーヴェン「月光」を弾いて出撃していった特攻隊員を巡る、ジャーナリストや元特攻隊員、国民学校の元教師の実話を小説化。
特攻ってこともそうだけど、特攻隊員が弾いたピアノを巡る戦後の一連の「現象」の小説化といってもいい。戦争の、特攻の歴史を残し、伝えるために動いた人たちの物語。
振武寮っていうのは初めて知った。
知覧は、考えるために一度は行ってみたいと思った。 -
実話に基づく小説(ノンフィクション・ノベル)である。たぶん特攻隊員のプライバシーに配慮したのだろう。ある小学校で古いピアノが処分されることとなった。定年を控えた女性教師が「ピアノを譲り受けたい」と申し出た。古ぼけたピアノにはあるエピソードがあった。それは45年も前の話だった。感動的なエピソードが全校生徒の前で紹介され、報道を通して多くの人々が知ることとなった。
http://sessendo.blogspot.jp/2016/03/blog-post_4.html -
知覧の特攻平和会館に行く度に、館内の売店で関連の本を一冊買うことにしている。
この時は、ちょうどピアノが展示されていた。 -
P236
悲しき特攻隊員の物語、とにかく泣けました。 -
夏の本で思い出すのは『月光の夏』という戦争小説。
ある小学校で古くなったピアノを処分することになったが、老年の女性教師がそのピアノにまつわる思い出を語ったことから、一転して、保存することになった。
そのピアノは日本でも数台しかない貴重なものだった。 戦時中、特攻を翌日に控えた二人の音大出身の学徒兵が、この世の名残にどうしてもその貴重なピアノを弾きたいと、遠くからやってきて、生徒たちの前でベートーベンの『月光』を演奏したことがあった。その美しい音色は少年たちの心に、そして若い女性教師のこころに深く刻まれた。
思い残すことのなくなった二人の学徒兵は、翌日勇んで特攻機に乗りこみ、敵艦隊に体当たりするために出撃していったが、しかし…
この小説は特攻の町・知覧近郊で実際に起きた実話を基に脚色された小説だ。
ピアノに纏わる悲劇の歴史は語り継がなくてはならないとの声が広がり、講演会や、ラジオドラマなどを通じて、次第に多くの人に知られていくようになった。しかし、肝心の兵士の名前がわからなかったことから、老教師の捏造ではないかとの疑惑も生じた。
そんな時、特攻兵の二人のうち一人が生き残っていたことが調査でわかった。しかし本人は「特攻前夜にピアノを弾いたことなんてない」と否定した。そのため疑惑は深まり、捏造ではなくとも記憶違いだとか、兵士ではなかったのではないかと憶測が憶測を呼び、疑いの目は老教師の人格の否定へとつながっていった。
その窮状を知った元特攻兵は、ついに重い口を開いた。そしてピアノを弾いたことを認めた。なぜ彼はピアノを弾いた事実を隠そうとしていたのか。
彼は特攻に出撃したが、機体の不良により近くの島に不時着した。けして臆したわけでもなく、特攻に行きたくないと思ったわけでもない。敵に体当たりするまでは機を無駄にしてはならないと判断しただけだ。
不時着後、すぐにまた特攻の命令が下ると思っていた彼に下った命は、「ある寮に入るように」というものだった。
その寮は振武寮と言い、そこには彼と同じように特攻に出撃したのちに、何らかの理由で不時着した搭乗員が送り込まれていた。100人近く入寮していることもあった。そこで彼らを待つ受けているものは、来る日も来る日も軍人勅諭を書かされ、上官からの罵倒と暴力に耐えることだった。彼らが引き返したのは例外なく臆病のゆえに、卑怯のゆえにとされた。そんなレッテルを貼られた彼らに再特攻の命はなかなか下りない。
また、特攻隊員は出撃後は、成果の如何によらず、その死を以って軍神となる。肉親にもそのような通達が届く。ために一度出撃した隊員が生き残っていては都合が悪いし、原隊への復帰もあり得ない。つまり彼らは生きているのに、すでに死んだことになっているので、その存在を隠し続けるために「振武寮」に入れられた。外出も肉親への連絡はもちろん禁止。寮の存在そのものが軍の極秘事項だった。
おそらく、その後に再特攻の命を受けたとしても、遺族に知らされる命日は最初に特攻に出撃した日であり、その後、どんな気持ちで日々を耐え、最期を迎えたかも知らされることはなかったことと思う。
元特攻隊員がピアノを弾いた事実を言わなかったのは、特攻に再び出撃できる機会がないまま、終戦を迎えたために、どうして生き残っているのかという矛盾を説明できなかったからだ。そして、同じ日に特攻に行った仲間はみんな帰らなかったのに、自分だけ生き残ってしまったことに対して罪責の念を感じていたからだ。
祖国を愛し、音楽を愛した青年の赤誠を、戦争という狂気はこんなにも踏みにじったのかと怒りがこみ上げてくる。
特攻隊員に対して国家が精神的な虐待を加えた事実は、もっと広く知られていていいと思う。