織田信長 (3) 侵略怒濤の巻(山岡荘八歴史文庫 12)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (446ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061950122

作品紹介・あらすじ

今川義元を討った信長の武名は、いちやく天下に轟いたが、諸国はまだ彼の天下統一の野望までは知らない。三河の松平元康(徳川家康)と同盟を結んだ信長は、戦国武将として始めて入洛。堺では大量の鉄砲を仕入れ、次なる敵への配備を固めた。それは美濃稲葉山の斎藤龍興。不落を誇るこの城の攻略法は?

感想・レビュー・書評

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  • 浅井長政反乱からの姉川の戦いあたり。このへんから半分負け戦が出始めてくる。

  • 前巻までは信長の透徹した戦略眼に人間観察力、電光石火の処断など信長の人間離れした無双ぶりが前面に打ち出されていたが、この巻からは家臣を活かす信長が見られる。滝川一益の謀略による蟹江城と桑名城乗っ取り、藤吉郎の有名な墨俣の一夜城がそれにより実現する。周辺国の要所を抑え、美濃を虎視眈々と狙う信長の下に竹中重治による稲葉山城乗っ取りの報が届く。驚喜した信長は美濃領の半分を譲渡することを条件に城の明け渡しを求めるが、重治からは拒否される。だが信長は使者の藤吉郎を責めることなく、逆に美濃をいつでも獲れることを確信するのである。

    永禄4年(1561年)の斎藤義龍急死の真相から、元亀元年(1570年)の金ヶ崎の戦いまでを物語っている。この間、悲願の美濃の獲得があり、明智光秀と細川藤孝が将軍足利義昭を伴って美濃入りしたことで、ついに上洛を決意。信長の天下布武が始まる。

    この小説を面白くしているのは信長の個性である。本心をうちに隠した武将が腹芸を演じるのを、信長は遠慮容赦なく暴き立てる。形式や虚礼を忌避し、あけすけに己を晒す。のべつ無理難題を押しつけ、俗識を嘲笑する。人の虚をついて心理をかき乱し、本音を引き出す。これは単なるへそ曲がりではなく、巧みな人心操縦術が潜んでいる。

  • かの有名な墨俣一夜城の話から、竹中半兵衛の城取り、斎藤家の滅亡へ。蜂須賀小六など有名武将がどんどん加わり、やはりどれも魅力ある好漢として描かれていて面白い。
    信長の快進撃と次々出てくる登場人物に魅力があるのがこの小説の面白さだ。

  • 信長と秀吉の掛け合いが面白い。帰りの通勤読みで1週間で1冊のペースで読めています。

  • 浅井長政が父親と衝突し、織田戦を追認するまで。

  • レビューは最終巻で。

  • 2016/7/18

  • 美濃攻めから上洛へ。

  • 美濃攻め、上洛、金ヶ崎の戦いと話が進む。
    金ヶ崎の戦いでは、俗説であっても小豆のエピソードがほしかった。

  •  侵略怒濤のの巻。タイトル付けが見事だ。
     まさにそのような感じで、尾張の大うつけがいつの間にか日本中に名を馳せる大名に成長している。相変わらず信じられないほど頭の回転が速い。一つを見聞きして百を考えているようだ。そのくせ一ほども口に出さない。これについていく家臣も大変である。味方を欺けなければ敵も欺けない、それを地で行っている。

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著者プロフィール

明治四十年(1907年)新潟県に生まれる。十四歳で上京し、博文館印刷所に文選工として働く。長谷川伸に師事、山岡荘八の筆名を用いる。昭和二十五年(1950年)より、北海道新聞に『徳川家康』を連載開始。昭和二十八年(1953年)単行本の刊行が始まり、ベストセラーとなる、『徳川家康』により、第二回吉川英治文学賞を受賞。以後、歴史小説を中心に創作する。昭和五十三年(1978年)七十一歳で亡くなる。

「2023年 『水戸黄門 下巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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