徳川家康(7) 颶風の巻 (山岡荘八歴史文庫)

著者 :
  • 講談社
3.81
  • (24)
  • (31)
  • (37)
  • (1)
  • (1)
本棚登録 : 341
感想 : 28
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (494ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061950290

作品紹介・あらすじ

長篠の役は織田・徳川連合軍の圧勝に終わり、武田騎馬軍団は潰滅した。この戦いで、日本の戦術を一変させた信長の武名は天下に轟き、家康も日増しに貫禄を加えた。しかし戦国の世は甘くない。信長の疑惑をこうむった家康は嫡子信康を切腹させ、正妻築山殿を斬らねばならなかった。哀しきかな戦国!

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 「家康は妻と子を信長に殺された」、歴史の教科書ならこんな一文になってしまうのかもしれないけど、こんなドラマがあったのかと。こういう小説で読むと昔の人の命に対する考え方の軽さに驚く。

  • 信康の死は家康にとって大事件だったことを改めて認識した。
    武田家の滅亡と糸を織りなして進む巻だった


  • 長篠城を少数で死守する奥平九八郎の話、
    武田勝頼と信長家康連合軍が対決した長篠の合戦、
    築山御殿と信康の最期、
    高天神城の牢に幽閉された大河内源三郎の話、
    最後は武田の滅亡。
    内容の濃い巻だった。

    そして、家康と信長の関係性が、盟友から天下人(家来と主君)に変わっていく。

  • 人間はみな完璧ではない。家康も、築山殿も、信康も。そういう中でもがいているのが人間だ。

  • 矜持。信康切腹の信長からの命令も、人の指図は受けぬとして、命を受ける前に自ら切腹させる家康の矜持。すごいの一言。しかし信康が、こんな性格の悪い奴だったとは、この小説で初めて知りました。でも最後は可哀想。それをいえば、勝頼も可哀想。ほんと戦国時代って残酷な時代と改めて感じさせられました。そして信長。天下人として、振る舞いが変わりつつあり、終わりの始まり。本能寺で死ななかったら織田家と徳川家はどうなったのか、ということも考えさせられました。

  • 長篠の戦い、信康の死、武田家滅亡と、かなり感情を揺さぶれる一冊だった。特に信康を処断する時の心の読み合いとか、謎かけとか心理戦とか、凄いな。登場人物一人一人の心理描写が微に入り細に入り。

  • 家康を父に持ったが故の苦悩、懊悩、葛藤、焦り、迷い。
    それが、全て愚の行動へ出てしまった。
    そして、最後には父の偉大さ、己の愚行を悔い、自害。
    信康、21年の生涯を閉じた。
    そして、武田家でも同じようなことが勝頼の身に起きる。
    武田家が滅亡して、信長がまた一歩、天下取りに近づいた。
    ここまで、分かりやすく、面白く話を紡ぎ出せる山岡荘八に脱帽である。

  • 長篠合戦~武田家滅亡まで。
    武田家の最後のシーンは、やや冗長か。

  • 長篠の合戦の模様が面白かった。一対一で名乗りあってから戦うものから、隊列を組み銃を使って一撃で大量にダメージを与える手法に変わったとのこと。
    この戦で敗れた武田勝頼一族の滅亡は悲劇。家康の嫡子 信康の切腹もここで初めて知った。
    小侍従を信康に斬られた姫が、信康とよりを戻すのは納得いかない

全28件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

明治四十年(1907年)新潟県に生まれる。十四歳で上京し、博文館印刷所に文選工として働く。長谷川伸に師事、山岡荘八の筆名を用いる。昭和二十五年(1950年)より、北海道新聞に『徳川家康』を連載開始。昭和二十八年(1953年)単行本の刊行が始まり、ベストセラーとなる、『徳川家康』により、第二回吉川英治文学賞を受賞。以後、歴史小説を中心に創作する。昭和五十三年(1978年)七十一歳で亡くなる。

「2023年 『水戸黄門 下巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

山岡荘八の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×