徳川家康(23) 蕭風城の巻 (山岡荘八歴史文庫)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 20
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  • Amazon.co.jp ・本 (478ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061950450

作品紹介・あらすじ

大久保長安の遺した不思議な連判状は何を意味するのか。やはり大坂は討たねばならないのか。しかし家康の願いは豊臣家存続にある。そのためには戦の回避と大坂開城が必要絶対条件だった。家康と片桐且元の和平交渉が始まる。家康は方広寺の鐘銘事件に名をかりて、淀君、秀頼母子に、大坂城無血明け渡しの謎をかけた。だが…。

感想・レビュー・書評

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  • 伝言ゲームや保身、嫉妬で、真意が伝わらない。ほんのささいなことで歴史は変わる。

  • 紅毛人や秀頼の話はほとんどなくなり、真田信繁が頻繁に出てくるようになる。秀頼や家康ではなく、大坂城が牢人の不平や切支丹の不安を糾合する象徴になっていたという歴史観は面白いし、なぜ家康が秀頼の移封にこだわったかもわかる。片桐且元も環境がかわいそうではあるが煮え切らなさに自業自得感がある。

  • 73歳になった家康の胸中を察してくれる人物は少なかった。
    戦はしたくない家康。
    しかし、戦は避けられない情勢に。
    またしても、関ヶ原の再現になってしまうのか。
    10数年続いた、泰平が音を立てて崩れ去ってゆく。
    大坂との対立を家康はどう治めてゆくのか。

  • 大坂冬の陣に向かう家康の胸中が丁寧に描かれた本書。
    特に、柳生宗矩と奥原豊政の掛け合いシーンは素晴らしかった。

  • 大坂の役前夜といったところ。

    真田幸村が頻繁に登場するになってくる。

    徹底して大坂方の時勢を読めない愚かさが描かれているが...

  • 大坂冬の陣前夜。
    我が身のほども知らず、戦に進んでいく大阪方の愚かさ。
    真田幸村がこれからの主人公か。

  • 2016/2/27

  • 大坂の陣は避けられないものだったのか。家康は謎かけばかりで、本当に戦を避けて豊臣家を存続させようとしていたのか。ちょっと厳しい解釈のような気がする。
    徳川家の天下泰平を築くためにはやはり豊臣家は邪魔でしかない、というのがすっきりする考え方か。
    それでも、戦から離れられない人々を一気に殲滅するような感じだな。
    時代に適合できな人は、いつの時代にもいる。

  • 大権現様が人生の汚点を堪え忍ぶ23巻。

    ついに方広寺鐘銘事件が起こり、大阪の陣が始まる。
    徳川家康という人物を描くのには避けては通れない出来事だが、
    女子供にヤ○ザな言いがかりを付けた家康はどう見ても悪である。

    ドライでシビアなことを言ってしまうと、徳川家を頂点とした社会を作り、
    平和を維持するには豊家の存在ははっきり言って邪魔であり、
    秀吉亡き後の豊家には最早政権担当能力は無かったのだから、
    家康の行為は人としては間違っているが、天下人としては正しい。

    山岡先生はここでは大阪城は秀吉には相応しい居城だったが、
    片桐且元と主君の秀頼には大きすぎる城だから手放すよう
    謎掛けをするために大権現様が行ったこととしている。
    家康贔屓の私から見てもこれはかなり苦しい解釈である。
    山岡先生もここを書くのはかなり苦しかったのではないだろうか。

    武田信玄のあとがきで新田次郎先生は、
    嫡子義信の死は自害説と病死説があるが、自害説を取ると、
    私の描いた信玄像は根本からひっくり返ってしまうと書いていた。
    結局のところどう思って行動していていたかは当人しか分からないのだし、
    これは小説なのだから、「俺の家康はそんなことはしない」で良いのだろう。

  • 司馬遼太郎の描く家康像が崩れていく。方広寺の鐘楼の文字に因縁をつけたのは、秀頼を大人として扱い大阪城開城を悟らせるもの。片桐且元は裏切り者ではなく、豊家のためを願う純な老臣。間にたっての苦衷が哀れ。奥原豊政の達観に感じ入り、その師柳生石舟斎に興味を覚えた。13.1.4

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著者プロフィール

明治四十年(1907年)新潟県に生まれる。十四歳で上京し、博文館印刷所に文選工として働く。長谷川伸に師事、山岡荘八の筆名を用いる。昭和二十五年(1950年)より、北海道新聞に『徳川家康』を連載開始。昭和二十八年(1953年)単行本の刊行が始まり、ベストセラーとなる、『徳川家康』により、第二回吉川英治文学賞を受賞。以後、歴史小説を中心に創作する。昭和五十三年(1978年)七十一歳で亡くなる。

「2023年 『水戸黄門 下巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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