夕べの雲 (講談社文芸文庫)

著者 :
  • 講談社
4.05
  • (40)
  • (42)
  • (27)
  • (2)
  • (1)
本棚登録 : 540
感想 : 35
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (326ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061960152

作品紹介・あらすじ

何もさえぎるものない丘の上の新しい家。主人公はまず"風よけの木"のことを考える。家の団欒を深く静かに支えようとする意志。季節季節の自然との交流を詩情豊かに描く、読売文学賞受賞の名作。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • はっきり言って何も起きない、筋書きがあるともいえない、ないないづくしの家族小説(大きな出来事は落雷くらい)。なのだけれど、この平凡な家族の生活をいつまでも見ていたいような、不思議な気分に浸ってしまった。そう思わせるのは、解説が指摘するように、結局はこの平凡な生活が永遠には続かないことへの切なさが、背後に流れているからだろうか。

    本作は、1964年9月~64年1月の『日本経済新聞』夕刊連載小説。つまり、東京五輪とまさに同時期なわけで、五輪の「華やかさ」で印象付けられる年に、こうした静謐な作品が連載されていたことに、高度成長という時代の多面性も感じた。

  • 描かれるのは東京から、郊外にある多摩の丘の上に一軒家を建てて移り住んだ大浦一家の日常生活。昭和39年、東京オリンピックの頃の話です。郊外といっても、周りは森、山の上に暮しているようで、蛇やムカデ、狸もいて野草が咲き、いろんな鳥が鳴いている。自然と共生しながら、長女と二人の男の子たちが逞しく育っています。取り立てて事件はありません。懐かしいような穏やかな毎日です。あれから半世紀ほどですが、私たちは自然を排除しながら、ずいぶん違う世界まで来てしまったようです。描写は一家の主人目線ですが、物静かでできた妻であり母である細君が見た景色も知りたくなりました。須賀敦子さんが訳され、イタリアでも出版されたとのこと、感想が気になります。

  • まず前提として、本書は“純文学”であるということを分かっていなければならない。決してエンタメ小説ではない。基本、“退屈でつまらない”、それが純文学である。人を楽しませるために書かれた本ではない。
    前情報なく、本書を読み始めると、「何だこの退屈な小説は」と思い、途中で投げ出してしまうかもしれない。なので、巻末の解説を最初に読むことをおすすめする。

    「幸せとは何でもない日常にこそあるのだ」
    確かにそうだろう。そう思って読んでいた。退屈を愛でること、それこそが幸福であると。
    しかし、どうやらそんな単純な話ではないことに途中気づいた。
    当たり前の日常は、当たり前“だけ”ではない。退屈な日常は、実は、退屈ばかりではない。
    そこには必ず、“危うさ”が潜んでいる。
    当たり前も、退屈も、いつそれが消えてなくなってもおかしくない。実はとても不安定で、危ういものである。夕べの雲のように、いまの形は次の瞬間には変わっている、言い換えれば、いまの形は次の瞬間には“消えている”のである。そう考えると、いまの平凡な日常が、“いま”であるはずなのに、どこか懐かしく思われてくる。

    ただただ退屈を愛でるだけでは、退屈な日常を真に理解しているとはいえない。
    「幸せとは何でもない日常にこそある」
    確かにそうであるが、その裏側に潜む“危うさ”もセットにして日常を捉えること。
    「懐かしい」には、「哀しい」が含まれている。懐かしいと思うとき、そこにはどこか哀しい気持ちも含まれている。そのような、懐かしくて哀しい気持ちをもって、今を、日常を、見つめる。ありふれた日常がまた違って見えてくる。私は退屈を愛でるだろう。

    私の幸福は、不幸と表裏一体であることで存在している。常にそういった気持ちでありたい。

    最後に。
    小説なのだが、どこか詩的な感じがした。詩を読んでいるような気持ちになった。
    また、途中、「梶井基次郎の作品っぽいな」と感じたのだが、作家案内にもあったように、やはり影響を受けているのかなと思った。
    少々長く感じたので、『静物』くらいの長さでもよかったかも、というのが正直な感想。

  • 初読時に感想を書かなかったので、こちらに2回目の感想を。

    4年ぶりに読み返し。新聞連載の家族小説にせつなさを感じ過ぎだろうか、なにかここに自分の弱点があるよなあと心配になりながら、やはり名作であったことに安堵と喜びを感じた。

    控えめでやさしい奥さん、しっかり者のお姉ちゃん、バカ男子ふたりの家族を見つめる大浦さんの生に対する覚悟が、何にも起きないほんわりした日常の描写を通じて伝わってくる。いつまでも憧れ続けるにちがいない世界。

    梨、ぎんなん、風邪のときに飲む大根おろし入りのお茶の話が好き。

  • 丘の上の新しい家に越してきた家族が、その土地になじみ毎日を過ごしていく様子を穏やかに描いています。

    この小説には、萩、金木犀、山茶花、ムカデ、梨・・・といった季節季節の自然が出てきます。
    自然と交流しながら成長していく子供達、子供とのやりとりを楽しみ支えていこうとする主人公の父親、家族にそっと寄り添う母親が目に浮かびます。

    一見して、平凡で当たり前で目立たない、落ち着いた生活を見つめた作品です。
    しかし、作者の柔らかく美しい文章が、そうした生活の尊さや深さに気づかせてくれます。

  • なんて事のない日常が淡々と描かれているのだが、花や木、果物、虫などの描写が季節を感じさせ、自然と関わりながら生活する家族の様子が理想に思えた。何気ない家族の行動や会話の描写がおもしろく、読みながらクスっと笑えたり、あーそうそうと同感できたりして、心が温まる一冊だった。各章のタイトルも素敵だった。

  • ついに手に取った庄野潤三。思っていた以上に好きな作品だった。家族の団欒といっても、不動産や保険のTVCMで見る、絵に描いたようなそれのことではない。生きることは、何かの淵を歩いていくようなことでもあると知りながら、つとめて小さな暮らしをまもり、今日という日を送ることの、心ふるえるような貴さ。その奥に流れる静かな決意。そういうことが、ここには書かれていると思う。

  • 最後の解説を読んで納得した。
    のちに「我が家の園芸部長」と言われる長女が学生時代、園芸部だったことちょっと面白かった、筋がね入りだなって。

  • 家族の日常を淡々と綴っているだけなのに、なんでこんなに沁みるのか。描かれる山の道、家の周りの木々、子どもたちの姿、なぜか懐かしく、情景をありありと思い浮かべることができてしまう不思議。なにも特別なことは起きないけれど、忘れたくないことがたくさんある日々。
    庄野潤三 は、たまに読むと心が柔らかくなる、気がする。

  • 昭和39年9月から40年1月まで日経新聞夕刊に連載された家族の日常を描いた小説。
    丘の上に家を建てた著者と家族を、大浦家の5人家族として表し、淡々と描いているが、家族のユーモラスな会話が散りばめられ、全体的に温かくほのぼのとしている。     四季の自然が詩情豊かに描かれているのも特徴。
    長男で中学生の安雄が帰り道、毎日、梨売りの爺さんから梨を買う話、大浦の細君が刺されたことから広がっていくムカデの話、細君が、次男の正次郎の風邪を大根おろしと梅干し入りのお茶で治そうとする話など、興味深く面白かった。
    今のように贅沢な物が溢れる時代ではないからこそ、生き物や自然に目が向き、素朴ながらも家族の団欒の中で生活の経験値を高めていけたのだろう。そんな時代を振り返らせてくれた小説だった。

全35件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

(しょうの・じゅんぞう)
1921年(大正10)大阪府生まれ。九州大学東洋史学科卒業。1955年(昭和30)『プールサイド小景』により芥川賞受賞。61年(昭和36)『静物』により新潮社文学賞受賞。65年(昭和40)『夕べの雲』により読売文学賞受賞。日本芸術院会員。2009年歿。

「2022年 『小沼丹 小さな手袋/珈琲挽き【新装版】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

庄野潤三の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×