ガラスの靴・悪い仲間 (講談社文芸文庫)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (350ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061960534

作品紹介・あらすじ

幼少からの孤立感、"悪い仲間"との交遊、"やましさ"の自覚、父母との"関係"のまぎらわしさ、そして脊椎カリエス。様々な難問のさなかに居ながら、軽妙に立ち上る存在感。精妙な"文体"によって捉えられた、しなやかな魂の世界。出世作「ガラスの靴」をはじめ、芥川賞受賞「悪い仲間」「陰気な愉しみ」ほか初期名品集。

感想・レビュー・書評

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  • もちろん内容は現代向きではないけど、第三の新人と言われた人なだけあって、現代作家さんにも見られる文体や作風を感じることができる。暗い中になんとも可笑みのある気の抜ける表現はとても面白くセンスの塊だと思った。

  • 自分は小説を読むのが好きですが、選り好みが激しいです。
    たとえば、戦後の作家ですと、「第一次戦後派」「第二次戦後派」と呼ばれる作家たちは結構つまみ食いしてきましたが、その後に登場した「第三の新人」はほとんど手付かず。
    小島信夫を少し齧ったくらいです。
    第三の新人を飛ばして「内向の世代」は古井由吉さんが大好き。
    大江健三郎以降は割と万遍なく目配りしていて、近年もきっかけがあれば手に取ってきました。
    ただ、文壇で重要な地位を占める作家も含め、取りこぼしがかなり多いです。
    端的に言うと、系統的な読書をしてこなかったということですね(そんな読書は不健全なので向後もするつもりはありませんが)。
    ただ、食わず嫌いは避けたい。
    食指が動けば、いつでも読もうという気持ちはありました。
    で、先年、村上春樹の「若い読者のための短編小説案内」を読み、第三の新人たちの作品の魅力に触れて俄然、興味が沸きました。
    前置きが長くてすみません。
    というわけで、まずは安岡章太郎。
    本書は安岡の初期作品を集めた短編集です。
    初めて読みましたが、今読んでも色褪せない。
    石原慎太郎流に言えば、アクチュアルなものを含んでいるな、と感じました。
    それはどこに依拠するのかと考えて、登場人物ではないかと思いました。
    本書に収録されている作品の主人公は、今で言えば、「負け組」に分類される人たちでしょう。
    しかし、そのことを主人公たちは悲しんでもいなければ、逆に楽しんでいるわけでもない。
    非常にニュートラルに現実を受け入れているのですね。
    その構えが現代的(都会的とも言えるかもしれません)ですし、作品としても間口の広さにつながっていると感じました。
    個人的には安岡の初期の代表作とされ、表題にもなっている「ガラスの靴」や「悪い仲間」も良かったですが、「愛玩」や「剣舞」が気に入りました。
    愛玩で仲買人が兎を始末するシーンは、静かに戦慄したものです(中上健二の作品にもあんな場面があったような…)。
    ちなみに、現在、純文学のジャンルで活躍している作家の多くは、この第三の新人の系譜を好むと好まざるとに関わらず引いているのだとか。
    戦争や天変地異など大状況の変化がない中、文学は洗練へと向かわざるを得ません。
    平凡な日常の中に題材を見つけ、人間の本質に迫る現代作家の作品を随分と読んできましたが、その端緒が安岡ら第三の新人にあるのだと言われれば、なるほどと得心します。
    なお、個人的な見立てでは、東日本大震災後、震災の記憶を携えてものを書き始めた作家は、後年、「震災後派」と呼ばれるようになるのではと見ていますが、今思い浮かぶのは、先年、芥川賞を受賞した沼田真佑さんくらいで、まだ塊とはなっていません。
    もう少し時間がかかるかもしれませんね。

  •  昭和26年から昭和29年(西暦でいえば1951年から1954年)にかけて発表された、全13編からなる初期短編集。
     このうち「陰気な愉しみ」と「悪い仲間」が芥川賞受賞作。
     クセがあるようでないようで、解説にも書かれていたが非常にニュートラルで読みやすい文体を書く人だな、と思う。
     かなり以前の作品であるから、使われている単語や歴史的な背景には古臭いものもあるのだが、その文体だけはとても現代的。
     思うに当時にこの文体を読んだ人は、確かに「モダンな文体だ」と思っただろう。
     殆どの作品の根底に横たわっているのは「自己嫌悪」であり「罪悪感」であり、「自己憐憫」であるように思える。
     脊髄カリエスで苦しんでいる間、ずっと自己を見続けていた結果なのかも知れないが、これらの心理描写が非常にたくみで、まるで目の前に「ほら、こんな感じでしょ」とまざまざと披露されているように思えてくる。
     その都度その都度、点としての心理描写もさることながら、心理の変遷というか、ゆるやかな変化や突然の豹変の様など、まるで読者である自分自身の心理が、作品と同期を取られるが如くコントロールされているように思えてしまう。
     私小説のようでいて、僕が私小説から受ける閉塞感みたいなものはあまりなかったように思う。
     作者自身が解説の中で「実際、小説を書くためにわざわざ架空の自己など設定しなくとも、自己というのはそれ自体が、“架空”と見えるほど奥深いものであって、それを探ることは生じっかな小説を書くことよりもずっと小説的な作業ではないか」と書いているように、そこには作者自身というよりも、もう一つ上のレベルに立った状態で自分自身を見つめたうえでの「自己」を書き写したように感じる。
     だから、そのニュートラルな文体と相まって、息苦しさを感じずに済むように思える。
     いずれにしても、とても面白く読み進めることが出来た。
     名前は以前から知っていたのだが、遅まきながら今回初めて読んだ作家。
     今年の初めに鬼門に入ってしまった作家。
     もっともっと早く読んでおくべきだった作家。
     遅まきでもいいから、他の作品もぜひ読んでみたいと心から思わせてくれる作家。
     そんな作家に出会えたことに感謝している。

  • 最近もう小説がなんでも面白く感じるのでアテにならないが、とても面白かった。どうしようもなく切迫してて良い。社会から完全に脱落する勇気もないけれど、乗り切ることも全然できずどうしようもない切実さがひしひしと伝わってくるのに、文体は抑制が効いていて全く語りすぎていない。美しい…。特に、悪い仲間は痺れた。しかしまあ、こうやって読むとほんとに、男の書いたものっていうのは、すごいな。

  • 1920年生まれの作者。
    ある人から「サアカスの馬」を勧められて、それを読み、よかったので、短編集に手を出してみた。
    夢中になって読んだ。
    独特な、劣等感、罪悪感、諦めの感覚、自己嫌悪、自己憐憫、ユーモア感覚、文体、に中毒のようになってしまったのだ。
    ひとまずは身辺雑記や私小説的な題材と言えるが、大きく見れば戦争の影響もあり、太宰同様見方次第でスケールが大きくなることもありそうだ。
    再読するときは、あらすじありきではなく、細部の描写や小道具やユーモアに注目せよ>未来の自分へ。

    ■ガラスの靴★ 009 1951年=昭和26年=31歳。芥川賞候補。……春樹「ノルウェイの森」そっくり! ていうか、後に続く作品群とは一味違う、エバーグリーン。
    ■ジングルベル 035 ……うーん太宰治「トカトントン」を連想するなあ。戦後の象徴というか。
    ■宿題★ 051 1952年=昭和27年=32歳。芥川賞候補。……比較的長め。これはよい少年期もの。お母さんが「お前も死になさい。あたしも死ぬから」(おまえもしなさい、あたしもするからの聞き間違え)とか、小さい挿話が輝いている。……このお母さんが作品発表の数年後にああなってしまうとは(「海辺の光景」)と思うと感慨深い。
    ■愛玩★ 091 1952年=昭和27年=32歳。芥川賞候補。父への込み入った思い。
    ■蛾 109 題材は家族から少しだけ離れるが、しかし少し登場する父が、やはりいい味。一人称は私。
    ■ハウス・ガード 129 1953時事文学賞。戦後という状況を、糞真面目でも深刻でもなく描く、視点の置き方の面白さ。「あなた、ビフテキとなります」という台詞には、おかしみはあるが、恐怖もまた。
    ■陰気な愉しみ 149 1953=昭和28年=33歳、「悪い仲間」・「陰気な愉しみ」にて第29回芥川賞を受賞。1954結婚。一人称が私だが、やっぱり僕のほうがよい。この人の足取りにはどこか梶井基次郎「檸檬」が見えるなー、と思って検索してみたら、なんと、
    (以下引用)
    しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げて行った。(中略)以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。
    (梶井基次郎「檸檬」)
    いったいどうしたことだろう。お金のないときには、あんなに悠々と歩けた街が、いまはこんなに気おくれしなければならないとは。
    (安岡章太郎「陰気な愉しみ」)
    「あ、そうだそうだ」その時私は袂の中の檸檬を憶い出した。
    (梶井基次郎「檸檬」)
    「そうだ……」
    そのとき突然、私は一人の婆さんを頭にうかべた。
    (安岡章太郎「陰気な愉しみ」)
    「檸檬」で檸檬が占めている位置に「婆さん」をはめ込むと「陰気な愉しみ」になる。「檸檬」の「私」は檸檬のおかげで気が晴れるが、「陰気な愉しみ」の「私」は「婆さん」のおかげで気が重くなる。「陰気な愉しみ」、ダウナー系の「檸檬」。
    ■悪い仲間★ 167 1953=昭和28年=33歳、「悪い仲間」・「陰気な愉しみ」にて第29回芥川賞を受賞。1954結婚。……比較的長め。「三者による鏡像関係」、というか、こういう関係性は奇矯なものではないが、ある時代にある社会背景(まあ戦争)が重なると、特別に見えてくる、という類いの作品だ。よい。手紙というメディアが増幅させる、というのも、SNSや一億総ナンシー関化を思い出させて、現代的。
    ■剣舞 203 ……父を巡るあれこれの記憶が、剣舞のラジオで甦る。プルースト効果だろうか。
    ■勲章 235 ……題をパイプとせずに勲章としたあたりに、読み甲斐がありそうな。蹂躙された側に視点を置く。
    ■築地小田原町 257 ……無理に自らに課した江戸趣味修行が、無駄に自分を苦しめる……風亭園倶楽部と同じものかしらん。
    ■吟遊詩人 277 ……戦後の男女立場入れ替わり。
    ■王様の耳 295 ……嘘をめぐる話だが、人の命がかかっているだけに、軽い小話にはなりえない。

  • # ガラスの靴・悪い仲間

    戦前戦後の雰囲気が味わえる。
    今と変わらない人々が暮らしていたんだなあと。
    いい文章。

    ## ガラスの靴
    ファンタジーの時間は終わる。それも外的な力により強制的に。
    シンデレラのガラスの靴のように残されたかのように見えた時間も、あっという間に割れて消える。
    素直に読める。青春。
    戦後すぐの話。

    ## ジングルベル
    父親の就職の世話をする話。
    終戦直後。

    ## 宿題
    小学生時代の思い出。
    夏休みの宿題をやらずに学校に行けなくなる。
    戦前。

    ## 愛玩
    ダメ父親の話。毛を売るためにウサギを飼育するがうまくいかない。
    終戦直後。

    ## 蛾
    耳に蛾が入る。
    戦後かなあ?

    ## ハウス・ガード
    米軍に接収された、ボヤで半分焼けたままの家の住み込み管理人となる。
    終戦直後。

    ## 陰気な愉しみ
    野毛山の役所に戦傷者慰労金をもらいにいく。
    終戦直後。

    ## 悪い仲間
    大学予科に通う少年が友達とささやかな悪行を繰り返すが、こんなことばかりはしていられないと気付き、迷いながらも抜け出す。
    素直に読める。青春。
    開戦直前の話。

    ## 剣舞
    ダメ父親の話。父親にハウス・ガードを紹介するもうまくいかない。
    終戦直後。

    ## 勲章
    終戦直後、勲章と交換に米兵からタバコをもらう。

    ## 築地小田原町
    悪い仲間に似ている。

    ## 吟遊詩人
    メリヤス問屋でろくな働きもしていないが、なぜか社長の親戚と見合いをし、気に入られる。社歌を作った。
    戦後かなあ。

    ## 王様の耳
    自分の内にいる卑怯者は自分だけが知っている。友人を戦地に送り、自分は残る。
    開戦直前。

  • 話の筋も表現も「うまいなぁ」と、思った。大衆万人向けだなぁとも思った。生活という現実そのものを感じた。
    そして、そういうまるまる現実そのものみたいな小説って案外ないよなぁと思った。(ただ私がそういうジャンルの小説を読まないだけかも知れないけど。)

    絵でも小説でも美しく描きたくなったり、想像的なモチーフを描きたくなったりしてしまうものだと思うのに、安岡さんの物語にはそれがない。ただ人間が生きている。リアルな人間の生活がありありと在る。

    どの短篇の人間も、流れるまま、主張せず、待ち、決定的な場面を避ける。
    現実を生きる人間というのは、日常というのは、案外そういうものであると思う。

    私が好んで読む本はどちらかというと形而上学的なものが多いから、安岡さんが新しく感じた。
    とくに『宿題』という男の子が主人公となる話は強烈だった。終わり方にゾゾゾとした。
    『陰気な愉しみ』の筋も主人公の感覚もそう描くのかと感心した。『悪い仲間』良かった。

  • うーむ時代の違いか
    戦後すぐのウェットな感じで、現代の例えば『コンビニ人間』が人間を描くというのと違う次元の印象を持った

  • 昔は大好きだった安岡章太郎
    でも今はあの頃の熱狂はない
    きっと私が自分嫌いとか劣等感を克服したからだと思う
    もう自分が大嫌いで殺してしまいたいくらい憎かったときに、安岡章太郎の小説は「俺だって同じだよ」って言ってくれている気がして励まされた
    そんな人に読んでほしい

  • 戦後日本文学としては最悪のひとこと。

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著者プロフィール

安岡章太郎

一九二〇(大正九)年、高知市生まれ。慶應義塾大学在学中に入営、結核を患う。五三年「陰気な愉しみ」「悪い仲間」で芥川賞受賞。吉行淳之介、遠藤周作らとともに「第三の新人」と目された。六〇年『海辺の光景』で芸術選奨文部大臣賞・野間文芸賞、八二年『流離譚』で日本文学大賞、九一年「伯父の墓地」で川端康成文学賞を受賞。二〇一三(平成二十五)年没。

「2020年 『利根川・隅田川』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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