- Amazon.co.jp ・本 (298ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061960831
作品紹介・あらすじ
あくまで私小説に徹し、自己の真実を徹底して表現し、事実の奥底にある非現実の世界にまで探索を深め、人間の内面・外界の全域を含み込む、新境地を拓いた、"私"の求道者・藤枝静男の「私小説」を超えた独自世界。芸術選奨『空気頭』、谷崎賞『田紳有楽』両受賞作を収録。
感想・レビュー・書評
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【田紳有楽】
骨董屋の部屋を訪れた男が、自己流処世術を語り庭の池に飛び込むところから物語は始まる。
男は池に沈められている朝鮮生まれの抹茶茶碗の柿の蔕(ヘタ)。地下水脈を通って出歩いたり人に化けたりしている。
池の中には偽物陶器たちが埋められ、五十六億年後の弥勒説法の成仏永世を得るまでなんとかうまいことやりたいなあなどと思っている。
志野筒型グイ呑みは色気漂う金魚のC子との間に生命を超えた情欲を持ち卵を産卵させ、
モンゴルから来た丼鉢の丹波は触手を出して空を飛んだり柿の蔕と出し抜きあったり。
こんな物資を所有する人間たちだってただもんじゃない。自称『永生の運命を担ってこの世に出生し、釈迦の遺命によって兜率天に住し、五十六億七千万年後に末法の日本国に下向して龍果樹の元で成道したのち、如来となって衆生に説法すべき役目を負った慈氏弥勒菩薩の化身であるが~~~』、なんて大仰なこと言っているがこの世では老人性掻痒症(そうようしょう)に悩まされる骨董屋、
時節に合わせて姿を変える人間体の地蔵観音、
骨董屋の庭で待ち合わせする妙見菩薩北斗尊星王と大黒天の化身、
彼らはそれぞれにそれなりに五十六億年後の釈迦説法を待つ。
…なに~?五十六億年後には太陽が膨れ上がりブラックホールに地球も月も呑みこまれるから説法どころじゃないって?!
こうなったら唄って踊ろう。
骨笛に銅鑼、鐘に槌。
丼鉢は飛び回り、柿の蔕は飲んだくれ。
ププー、プププー
デンデンデデン、ドドン
ペイーッ
オム マ ニバトメ ホム
ペイーッ ペイーッ
「田紳有楽 田紳有楽」
【空気頭】
冒頭で著者は二つの私小説手法について語る。
ひとつは『自分の考えや生活を一分一厘も歪めることなく写していって、それを手掛かりとして、自分にもよく分からなかった自己を他と識別するというやり方で、つまり本来から言えば完全な独言で、他人の同感を期待せぬものである』
もうひとつは『材料としては自分の生活生活を用いるが、それに一応の決着をつけ、気持ちの上でも区切りをつけたうえで、わかりいいよに嘘を加えて組立てて、「こういう気持ちでもいいと思うが、どうだろうか」と人に同感を求めるために書くやり方である。』
そして著者は「自分は今まで後者で書いてきたが、前者のやり方で書こうと思う」として、自分の生活や心情を語る。
身内の醜さには怒りを感じる。
自分の妄執、憤怒、他者への無関心を語る。
多くの兄弟を結核で亡くし、妻も同じ病で長いこと入退院を繰り返している。
病の妻との日々、妻へ愛着を感じながらも妻の死を楽しく空想する。
果たして自分たちも夫婦は二世なのか。
…そこまでは自分の現実的な過去をシビアな自己分析ていたのだが、その後は文体も内容も一変します。
自分は親族から受け継いだ静的乱脈に悩まされていました。
病の妻以外の女の躰と交わり、女の幻に追われたり、そしてその肉体から逃げ出したりします。
そんな時は自分の考えた人口気頭装置を取り出します。皮下注射に空気を入れ、針を眼球の奥から視神経交叉部へ、そして脳下垂体まで届かせ抽出液を挿入し脳内に空気を送るのです。(←この辺体がムズムズしてきたのでちゃんと読めなかったので違ってるかも/-。-;)
この人口気頭装置の元は、人糞研究から考えられました。
人糞に関する科学実験、利用法、漢方効果、病気療法、飲食法、一通り試しました。(←この辺もちゃんと読むと変な臭いを感じそうで表面だけ読み~~/-。-;)
或る時自分の意識が空中に飛び、自分の躰を見下ろす経験をしました。それは糞尿からも女体からも解放された時だったのです…。
…いやいや、『自分の考えや生活を一分一厘も歪めることなく』と言って語ったのが糞尿生活に眼球から空気頭治療法って、どうなってるんだこれ(@@)
性欲や糞尿飲食や手術の描写に「これだから医者が作家になるとコワいんだよ~~(´д`)」となりながらも本から目が離せない。
いったい自分は何を読んだのだろう。全く読書と言うのは自分をとんでもない所へ連れて行く。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
モグリ骨董屋に身をやつして浜松の街裏の二階屋に日を送っている"弥勒菩薩の化身"である磯碌億山と、彼によって庭池に漬けられた陶器たちが主な"登場人物"。グイ呑みは金魚のC子との愛欲にまみれ、抹茶茶碗は人間変身術を会得せんと大蛇のもとへと通い、飛翔の術を操る丼鉢が滑空する。旅の途中で地蔵と出会い、億山宅には神仏が来訪する。谷崎賞受賞の『田紳有楽』は形容しがたいヘンテコな小説。「田紳有楽、田紳有楽、捉えよ、捉えよ」。
『空気頭』は妻の闘病の歴史と、著者の不倫遍歴を回顧する私小説。私小説を自分のことを書くか、他人として書くかに分類し、それまで後者を書いてきたとする著者が前者を書くと宣言したのが本作である。「平気で弱いものに冷酷になれる人、味方に似たふるまいを見せていて裏切る人、そういう人は沢山ある。そして、平生の生活で自分がその一人だという自覚がある」という通りの振る舞い(とくに妻に対して)を隠さず伝えている。いかにも昭和の作家らしい私小説作品。精力剤への異様な執着が印象的。 -
自身の読書体験の中で5本の指に入る衝撃と感銘だった。
『田紳有楽』は異質な物語手法に陶器への深い愛情と知見、ブッディズムが合わさり他には無いぶっ飛び作品になっている。
特に『空気頭』は静閑な私小説的世界に、鋭いナイフの様な一言や衝撃的なフックが混ざり合う天下無双の作品。読後はしばらく考えが纏まらず飲み込みに時間を要した。 -
焼き物になりたいという願望を持つ弥勒菩薩の主人公、その主人公が買った焼き物を池に沈め、その沈められた焼き物が生き物としての特性を獲得して己のルーツを語る「田紳有楽」、私小説「空気頭」の二編いり。
風景描写の美しさに圧倒された。そんなにたくさん書かれているわけじゃないんだけど、田紳有楽の一ページ目は本当に美しいと思う。
「空気頭」は中間、そのばかばかしさとまともに向き合うしかない空虚感というかそういうものが染みます。
巻末の作家紹介がすごくよかった。書かない文学修行。かっこいいな藤枝静男。他の作品も買おう。 -
藤枝静男的私小説二題。
「田紳有楽」とにかくシュール。ユーカリの木の描写で始まる導入部がすごく昭和の私小説なのに、蛸足が生えたりくるくる回転したり、世界の底が抜けてしまったような話だった。私小説版「天才バカボン」(サブキャラの雰囲気がウナギ犬とかに近い)というか、力強い「これでいいのだ」が鳴り響く。
「空気頭」表面と裏面があって、表では妻の病を負って生き、裏では家系的な(と本人は思っている)性欲過多に振り回された挙句に痛々しく解脱する主人公。とにかく当人にとってはとてつもない苦悩だということが伝わってきて、解脱も疲れ切ったあまりに自分の心を殺してしまったように思われて哀しかった。でもこれを抜けた先が「田紳有楽」の「これでいいのだ」感なのかもしれない。-
「「これでいいのだ」が鳴り響く」
学生時代に読んだ今江祥智の本で藤枝静男を知り読みました。面白くて頭がクラクラした。
あの頃は今江祥智の本が...「「これでいいのだ」が鳴り響く」
学生時代に読んだ今江祥智の本で藤枝静男を知り読みました。面白くて頭がクラクラした。
あの頃は今江祥智の本が、私の指針だったなぁと思い出す。
(たいせつな本)笙野頼子:上 藤枝静男『田紳有楽』
http://book.asahi.com/reviews/column/2011072800647.html2012/09/04 -
nyancomaruさん リンクありがとうございます。笙野頼子と藤枝静男は、振り切れちゃってるという点では共通するものがありますねnyancomaruさん リンクありがとうございます。笙野頼子と藤枝静男は、振り切れちゃってるという点では共通するものがありますね2012/09/04
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「振り切れちゃってるという点では共通するものが」
確かに、笙野頼子は藤枝静男の後継者みたいな感じですね!「振り切れちゃってるという点では共通するものが」
確かに、笙野頼子は藤枝静男の後継者みたいな感じですね!2012/09/12
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田紳有楽がクレイジーです。とてもとてもよかった。
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「田紳有楽」がとっても面白かったです。骨董屋の主人に池に沈められている陶器たちが、おのおの自分の半生(?)について語りだし、池の金魚と恋仲になったり、人間に変身できる能力を身につけて主人の前に現れたり、モンゴルやチベット、インドを持ち主のラマと共に放浪して空飛ぶ円盤の能力を授けられていたり、いやはやもう陶器のくせに付喪神もかくや、という自由自在っぷり。
そしてその百鬼夜行のような連中の主人もこれまた実は人間ではなく弥勒菩薩の化身というとんでもっぷりで、56億7千万年後を待たずして物語は祝祭的結末を迎えます。まさかこんな話だと思っていなかったのでびっくりでしたが、いい感じに力が抜けていて、かつ別にふざけているわけではなく大真面目なあたり、とても好きでした。
「空気頭」のほうは、前半はいわゆる「私小説」の王道で、病気療養中の妻との闘病生活がえんえん生真面目に綴られているのですが、途中でいきなり一変して、それまでの「である」調から「ですます」調になり、「私」自身はそのままに、妻そっちのけで自分の性欲との格闘の歴史が、非現実的なエピソードの数々と共に繰り広げられます。
作品の冒頭で、私小説には二通りの書き方がある、というようなことを作者自身が書いているのですが、その二通りのやり方を、まるで1作品の中で両方試してみたかのような実験作。個人的には、ぶっとんだ展開の後半部分のほうが圧倒的に面白かった。大真面目に現実をうつしとっただけの私小説は疲れますが、一度噛み砕いてユーモアなりファンタジーなりで味付けされたもののほうが、読者としては受け入れやすいのかも。 -
血とコメディ。水木しげる先生のマンガを想起しました。或いはブルーズロックであるとか。攻撃的でありながら自嘲的であり、外在化した鏡のなかの己、人型としての己、を、鏡の外から見詰めている感覚。人間悪も人間善もごくフラットに並べて、千里眼で透き通る結晶の花と化させている、そんな感覚。ブルーズのライトモチーフとして、悪魔との出遭いがありますが、それは人間を外在化させるためのガジェットなのだろうな、と、空気頭と田紳有楽を読み、思いました。