告別 (講談社文芸文庫)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 13
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  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061960848

感想・レビュー・書評

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  • 表題作含む中篇2本。
    『告別』は、告別式の話から始まり、少しずつ時系列を遡っていくトリッキーな構成で、死んだ友人が抱えていた孤独、愛についてを絡めて踏み込んでいく。作者のこういった先鋭的な物語手法は、今や巷に溢れながらも、非常に有効的で知性を感じる。個人的大傑作『死の島』の習作とも捉えれる本作、ボリュームもライトで是非多くの人に手に取って貰いたい。

  • やっぱり良い
    文章が冷たいし かなしい

  • 上条慎吾、というひとを追悼するために書いたのかな、と思うけれど、(モデルがいるのかどうかはわからないけど)そのわりには上条の魅力が伝わってこない。
    何かを創り出したくて、できなくて、教師や評論をやっている自分を恥じている。異国で知り合った女性に惹かれ、でも家庭を捨てることはできず、どちらも傷つける。
    外では、人たらしだったっぽい。

    それと、終始、上条の妻のことが悪し様に書かれているのがとても気になる…

    オ前ガソノ時本当ニ欲シカッタモノハ何ダロウ。 平和ナノカ、眠リナノカ、タダオ前ヒトリノ孤独ナノカ。
    自死した娘に対しての、上條の呼びかけが、じわじわくる。結局は「孤独」についてのはなしなのかな。

    「形見分け」の方がおもしろかった。
    海辺の洋館、記憶喪失の画家。
    画家とふたりで閉じこもることを選んだ「さっちゃん」。
    ミステリになりそうな予感が好き。


  • 生と死を語るときにもっとも大事なのは、その語り手が何者であるかがはっきりとしていることなのではないかと思う。大切なことほど誰が言っているのかというのは重要視したい。
    「告別」においては生と死に関する思考の中心にいる上条慎吾の存在を掴みきれぬまま読み終えた気がする。だからか書かれている言葉と思想に惹かれそうになっても、あと一歩近づけなかった。

    小説の構成も独特だ。上条慎吾とその友人の語りが交互になって上条という人間を描くも、時系列がかなり複雑に行き来しているように思えた。
    読んでいていちばん感じたのはこの友人がどれだけ上条慎吾の心から遠いかということで、そのこと自体に、人の心には決して近づけず誰しもが孤独を抱えて生きるというメッセージを受け取れはするのだけど、それ以上の意味を本作からは見出せなかった。この友人は作者自身を投影した者か、もしくは上条慎吾のゴーストと仮定して読んでいけば、物語の視え方が変わるだろうか。
    作品としては二作品目の「形見分け」を興味深く読んだけれど、「告別」のほうが作者に近づける作品だという気がした。

  • 文学

  • 告別式の描写から始まって、その場面に至るまでの過程がその後の物語の進行とともに少しずつ明らかになる。ひとつの木片に彫刻刀の刃を打ち込んで、やがて何らかの「かたち」が浮き上がり、例えば神仏の像が姿をみせるように。

    「結局僕たちはいつでもお座なりのことを言って、自分たちの秘密を心の奥底に隠しているのさ。そういうふうにして生きているのだ。」(P.13)

    甘くロマンティックで、しかも冷静さを失わずに淡々と。それが私が福永武彦の作品に抱くイメージだが、この作品からもそんな香りを感じた。死と極めて近い位置で(あるいは死と等距離から)福永武彦は愛を語る。熱っぽくはなく、なのになお執着のようだ。

    本書に収録された「告別」も「形見分け」も、道ならぬ恋(婚外恋愛という向きも現代にはいるだろうけれど)が描かれる。不倫を私は明確に批難する。不倫の恋を「恋」と呼ぶのも厭わしい。だがそうした道徳的な立ち位置から、小説内で描かれる不道徳な男女の関係(時には同性でも成立しうるだろうその関係)を批難するのは筋違いだとも思っている。小説は道徳の教科書でも自己啓発の書でもない。共感や憧れの志向を伴わない物語であろうと、それだけでその小説の価値をはかるのは拙速だろう。もちろん、題材に不倫を扱うことによってその作品の好き嫌いが決まるということには、何の不自然もないけれど。

    生と死と、そのどこにでも遍在する愛の物語。どこにでもある、ありきたりな、けれど掬い取ろうとすると触れる先から熄えて捉えられない。そんな物語を、繊細な、蜃気楼のような物語を、言葉の刃がずっしりと重く彫り出していく。

  • 中編「告別」短編「形見分け」 の2作を収録。表題作は語り手の友人・上條の葬儀のシーンから始まり、ちょうどその1年前に自殺した上條の娘・夏子の葬儀の回想、さらにその夏子の自殺の原因を作ったと思われる上條と金髪美女の愛人とのエピソードまで、時系列を逆にたどっていくような形で進んでいく。

    生きるとは何か、死とは何か、愛とは何か、ストレートに問うとちょっと恥ずかしいような、しかしこのうえなく文学的なテーマを福永武彦は真っ向から掲げてくることが多いけれど、本作もまさにそうでありながら、その苦悩の原因が結局「不倫」であり、家族がありながら別の女を好きになった男がその苦悩から何を見出そうとも、結果「言い訳」にしかならないとことがちょっと女性読者的に不満。

    「形見分け」の主人公は記憶喪失の画家。別荘のようなところで甲斐甲斐しい妻と二人きりで暮らしている彼がなぜ記憶を失ったのかの真相にたどりつく構成は少しミステリー要素もあって面白かったけど、これまた結局真相が「不倫」なのはいただけない。おいおい、またかよ。アプローチは違うけれど二作とも同じ結論だった印象。

  • 福永武彦は好きな作家なだけに、ロマンチシズムに甘えた男のエゴイズムが鼻について楽しめなかった。トリッキーな構成、死への意識、選べない男などのモチーフは『死の島』への習作とも捉えられるが、人物描写の掘り下げが浅く、この作品に寄り添うことはできなかった。私はその後の長篇小説『忘却の河』『死の島』を先に読んでいたからどうにか我慢できたけれど、(埴谷雄高曰く)「傍らに死がつきそっている芸術家」である福永武彦に隠れたマチスモを感じてしまったことは否めない。複雑な気持ちながらも、他の福永作品への評価は変わらない。

  • 大好きな作家のひとりである福永武彦です。この作品はちょうど一年前くらいに読みました。彼の作品の中でも、かなり地味なもののひとつですが、そんなに読む人もいないんじゃないか、と思って選んでみました。福永武彦は、池澤夏樹の父親でもある人ですね。
     福永武彦は、音楽をモチーフにした作品をいくつか書いていますが、この作品は、マーラーの「大地の歌」の終楽章をモチーフにしたものです。語り手「私」が友人・上條慎吾の告別式に出るシーンで始まり、「彼」(上條慎吾)の回想と「私」のシーンとを交互に重ねていきます。
     福永武彦は、執拗なまでに、孤独と愛と死について書き続けた作家でした。結構複雑な構成をしている作品が多いのですが、この作品は、シンプルな構造になっていて、その分、作者の提示するものが純粋な形で表れています。数々の出来事を境に、徐々に徐々に死んでいく上條と、その上條を共感的に見つめる「私」の感情を、ほの暗い情感にあふれた文章で描いています。マーラーの曲の歌詞にあるように、「生は暗く、死もまた暗い」と。
    本文から引用します。
    「彼は苦しげに腹をさすり、呻き声を洩らし、そして奥さんを起こそうかどうしようかと考え、遂にはやはり起こさないでおこうと決心して、彼自身の孤独な思考の中へと戻っていくだろう。そして彼が考えることは、それ、——現に私が考えつつあるところのそれ、我々が生きていることへの恐れ、或いは生きていなくなることへの恐れ、それであるに違いないと私は考えていた。」
     ちなみに、村上春樹が福永武彦に影響を受けたということはなさそうですが、扱っているテーマは、かなり近い気もします。

  • 敬愛する作家、福永武彦の作品を久しぶりに読んでみました。

    福永武彦は、どうしてこんなに愛について、端的に本質をついた、
    しかも美しい日本語が書けるのだろう。

    随分昔の作品なのに、その文体は私には今読んでもとても瑞々しく思われます。

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著者プロフィール

1918-79。福岡県生まれ。54年、長編『草の花』により作家としての地位を確立。『ゴーギャンの世界』で毎日出版文化賞、『死の鳥』で日本文学大賞を受賞。著書に『風土』『冥府』『廃市』『海市』他多数。

「2015年 『日本霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

福永武彦の作品

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