もう一つの修羅 (講談社文芸文庫 はB 4 現代日本のエッセイ)

著者 :
  • 講談社
4.00
  • (0)
  • (1)
  • (0)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 15
感想 : 2
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061961166

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 児童文学家のケストナーでさえ、ナチスの指導者たちの敗戦後の青酸カリ自殺をとりあげて、国民を豚扱いにして、挙句の果てにはチョコレートを舐めて死ぬなんておよそ釣り合いが合わない、と。
    柳田国男によれば、たとえば東京の男の眼のけわしさは、元来ハニカミからきている。あまり人を見たがら図、人に見られてばかりいたものが、思いきって他人を知ろうとする気になったときに、その眼は赤子のごとくなごやかには見えなかった。
    戦争とは、他の手段をもってする政治である。政治とは他の巣ダンの政治論をことごとく否定しないではいられないゆえんなのだ。
    芸術の起源を論じるものは、必ず呪術に触れる。そして事実、日本の古代においては、芸術という言葉は、呪術を意味した。

  • 472夜

全2件中 1 - 2件を表示

著者プロフィール

作家・文芸評論家。1909年(明治42)、福岡市に生まれる。旧制福岡中学から鹿児島の第七高等学校に進むも、出席日数不足により退学。1928年(昭和3)九州大学文学部哲学科の聴講生となる。1929年(昭和4)京都大学文学部英文科選科に入学。1931年(昭和6)第8回サンデー毎日大衆文芸賞入選作「七」を同誌に発表、同年11月同学中退。1933年(昭和8)上京、三宅雪嶺や中野正剛らの主宰した『我観』(後に『東大陸』と改名)誌等に寄稿。1939年(昭和14)『東大陸』の編集者となり、中野正剛の弟・中野秀人らと「文化再出発の会」を結成、機関誌『文化組織』を発行。1940年(昭和15)に『東大陸』編集の職を辞し、以後サラリーマン社、木材通信社、軍事工業新聞社などの記者を務める。戦後、東京都北多摩郡狛江村に移り、『復興期の精神』、『錯乱の論理』、『二つの世界』等を刊行し注目を浴びる。1947年(昭和22)岡本潤、加藤周一、中野秀人、中村眞一郎らと「綜合文化協会」を結成、機関誌『綜合文化』を発行。同年、埴谷雄高、野間宏、岡本太郎、関根弘らと「夜の会」結成。1952年(昭和27)には雑誌『新日本文学』の編集長となる(2年後更迭)。1957年(昭和32)、安部公房、佐々木基一、玉井五一、野間宏、長谷川四郎らと「記録芸術の会」結成、機関誌『現代芸術』を創刊。この頃『アヴァンギャルド芸術』『さちゅりこん』『政治的動物について』等の著書を刊行。高見順や埴谷雄高、吉本隆明らとの論争を繰り広げたほか、文学から政治、映画、芸術に至る幅広い分野における批評活動で若い世代の思潮に大きな影響を与えた。戯曲「泥棒論語」で第1回週刊読売新劇賞、『鳥獣戯話』で毎日出版文化賞を受賞。1974年(昭和49)9月23日没。その他の著書として評論集『近代の超克』、小説『小説平家』、戯曲『爆裂弾記』等がある(一部は講談社文芸文庫として復刊)ほか、『花田清輝評論集』(岩波文庫)、『花田清輝著作集』(全7巻、未来社)『花田清輝全集』(全15巻/別巻2、講談社)等の作品集が刊行されている。

「2014年 『花田清輝批評集 骨を斬らせて肉を斬る』 で使われていた紹介文から引用しています。」

花田清輝の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×