- Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061961883
作品紹介・あらすじ
元赤坂の芸者だった老女が、昔の男の突然の再訪に心揺れ、幻滅する心理を描く「晩菊」。女流文学者賞受賞。戦死した夫の空っぽの骨壺に、夜の女が金を入れる「骨」。荒涼とした、底冷えのするような人生の光景と哀しみ。行商の子に生まれ、時代の激動を生きた作家林芙美子が名作『浮雲』連載に至る円熟の筆致をみせた晩年期の「水仙」「松葉牡丹」「白鷺」「牛肉」等、代表作6篇。
感想・レビュー・書評
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森光子のせいで影が薄くなっているが、間違いなく大作家だと思う。『晩菊』はババアになった元芸者が主人公で、昔ちょっといい仲だった男を家に迎える話だが(コレットを意識していた?)、そのババア芸者の余裕に見せつつ寂寥を漂わす風情がすばらしい。最後、男が完全に変わってしまったことを悟って、昔の写真を火鉢にくべるのだが、何気なくそこに男が土産で持ってきたチーズをひと切れ入れちゃうとこが、またうまい。おそらく部屋がチーズ臭くなってかなわないと思うんだけど、それがまた何とも寂しい。『白鷺』『松葉牡丹』『牛肉』、どの短編も皮肉をきかせながら最後に希望をあえて見せる感じで、ただただうまい。
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生きることの切なさとやるせなさが漂う作品です。
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花房観音さんの文豪官能シリーズ『ゆびさきたどり』の中の「枯れ菊」を読み、原作も読んでみたくなり手に取りました。と言う事で、とりあえず「晩菊」のみ読了。こちらは体の交わりは無いものの、50を過ぎた女性・きんの老いへの焦りや、それでも誇りは持ち続ける格好良さが伝わってきました。ただもう少し外に羽ばたいて欲しい気もするが、この時代なら仕方ないのかな。それにしても、この相手の男性がカッコ悪すぎです。
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1948(昭和23)年から1949(昭和24)年に書かれた短編小説を収めたもので、48歳1951(昭和26)年に亡くなった作家の晩年に属する。1949年は『浮雲』の連載が開始された年である。
巻頭の2編などはほとんど改行が無く、二者の会話の鉤括弧でさえ改行せずに続く風変わりな流儀だが、文体は読みにくくはない。
人生の「物憂さ」を表出した作品が多いが、不思議と作品は暗くなく、「浮雲」のごとく儚げではあるものの芯の部分でどこか明るく、エラン・ヴィタールに満ちあふれたこの作家の魅力が凝縮されている。
『浮雲』でもそうだったが、3人称タイプの地の文では結構冷徹に書かれているのに、女性が男と会話する時、その口調はかなり「ベタ」で、甘えたり拗ねたりする様は演歌調でさえある。たぶん林芙美子自身が、男に話す時にはそのようであったのではないかという気がする。ベタな演歌調のパロールの次元と、比較的冷静な地の文のエクリチュールの部分との隔絶が心地よく、それはやはり、人物の生命のベタな輝きを照らし出しているようにも思うのだ。生命からあふれ出す情感とは、本来ベタなものなのだ。
ここに収められた短編は、どれも物語性をもって面白く、それぞれに人生の一局面をリアルに現出しているような確かさがあって、楽しく読むことが出来た。『浮雲』のような心理描写の緻密な傑作ではないけれども、これはこれで価値のある短編群であった。 -
晩菊
老いたとき、若い頃のきらきらした思い出は生きる慰めになることもある。でも、思い出は思い出。甘酸っぱい気持ちで、ほろ苦い思いで、そおっと距離を置いて眺めるものなのだと教えてくれる物語。
思い出とふるさとは似ているのかもしれない。
思い出は遠くにありて思ふもの。そして悲しく思ふもの。 -
林芙美子さんの晩菊、とても美しく色っぽい文章でした。
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田部からの電話はきんにとつては思ひがけなかつたし、上等の葡萄酒にでもお眼にかゝつたやうな気がした。田部は、思ひ出に吊られて来るだけだ。昔のなごりが少しは残つてゐるであらうかと言つた感傷で、恋の焼跡を吟味しに来るやうなものなのだ。草茫々の瓦礫の跡に立つて、只、あゝと溜息だけをつかせてはならないのだ。年齢や環境に聊さかの貧しさもあつてはならないのだ。慎み深い表情が何よりであり、雰囲気は二人でしみじみと没頭出来るやうなたゞよひでなくてはならない。自分の女は相変らず美しい女だつたと云ふ後味のなごりを忘れさせてはならないのだ。きんはとゞこほりなく身支度が済むと、鏡の前に立つて自分の舞台姿をたしかめる。万事抜かりはないかと……。 -
2010.07.11 読了
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「女の文豪」とは彼女のこと。
なぜここまで「人間」を突き放してそれでいてよーくわかって書けるんですか?尊敬してます。