壊れものとしての人間 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

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  • Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061962101

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  • 引用 頁八〜十三

    「他人を暴力で陵辱したことも、戦場に出たこともなかった。それでいて読書による経験のうちに、右にあげたすべてのことより以上のものがふくまれていると感じる。またぼくは現実にむかってゆく自分の相続力の根源に、読書によってきたえられた想像力が、決してもろくもぐにゃぐにゃでもない確かな実態として存在していることを感じないわけにはゆかない。しかもなお、読書による経験は、読書による経験にすぎない、読書のうちに自分の生命を高揚させる想像力は、現実を認識し行動をおこす者の想像力とは別の根をもっている、という意識もまた、すっかりふりすててしまうことはできない。」
    「幼年時に、それは戦いのさなかのことだ、ぼくの固定観念のひとつは、まずしい数の書物の小さな積み重なりの上に毛細血管をはびこらせて生きていた。そしてそれがぼくの挙措動作を不自然にし、ぼくの身のまわりの事物、人間との適応を難しくさせ、ぼくは吃った。」
    「ぼくはじつにたびたび、次のように考えては、現実についてのとある情報、または現実そのものの前で、ためらいとともに立ちどまってしまったのである。これは現実でない、なぜならこうしたことが書物にのっているのを読んだことがあるからだ。(中略)まことに幼年時のぼくにとって、書物のうちなる事物、人間はみな架空のものだったのだ。」
    /「父親の不意の死が、もっとも鋭く、書物のうちなる世界と、現実生活とのあいだの連絡路をたちきる役割をはたした。父親の死は、ぼくが活字で読んだかぎりの、いかなる死とも似かよっていないからである。」
    「ぼくはそこでも、死という言葉がそれぞれの口から発せられはするがひとつにとけあうことはなく、むなしくすれちがって消えさる気配をかぎつけた。」
    /「身のまわりの事物よりも、書物のなかの事物が、より重く現実的に実在する瞬間を、ぼくはくりかえし経験することになったのである。森と谷間とが架空になり、書物のなかにのみ、まぎれもない現実が、ぐっと頭をもたげて、ぼくを領有する瞬間。」

  • 池袋の古書店、¥450.

  • 大江健三郎の著書は2冊目。相変わらず難解だが、今回はエベレストトレッキングの際に手持ちした1冊だったので、時間をかけてじっくり読みこんだ。幾つかの理解出来たと思われる場所で、鋭い視点からの考察だと感じるところがある。気軽に読める1冊とは言わないけれど、大江氏の思考に触れたい方にはおすすめ。気に行った2か所を引用しました。

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著者プロフィール

大江健三郎(おおえけんざぶろう)
1935年1月、愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)に生まれる。東京大学フランス文学科在学中の1957年に「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を受賞する。さらに在学中の58年、当時最年少の23歳で「飼育」にて芥川賞、64年『個人的な体験』で新潮文学賞、67年『万延元年のフットボール』で谷崎賞、73年『洪水はわが魂におよび』で野間文芸賞、83年『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』で読売文学賞、『新しい人よ眼ざめよ』で大佛賞、84年「河馬に噛まれる」で川端賞、90年『人生の親戚』で伊藤整文学賞をそれぞれ受賞。94年には、「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。そこでは人生と神話が渾然一体となり、現代の人間の窮状を描いて読者の心をかき乱すような情景が形作られている」という理由でノーベル文学賞を受賞した。

「2019年 『大江健三郎全小説 第13巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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