静かな生活 (講談社文芸文庫)

  • 講談社 (1995年9月4日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (328ページ) / ISBN・EAN: 9784061963436

作品紹介・あらすじ

精神の危機を感じて外国滞在を決意した作家の父に、妻が同行する。残された3人の兄弟妹の日常。脳に障害を持った長男のイーヨーは“ある性的事件”に巻き込まれるが、女子大生の妹の機転でピンチを脱出、心の平穏が甦る。家族の絆とはなんだろうか――。〈妹〉の視点で綴られた「家としての日記」の顛末に、静謐なユーモアが漂う。大江文学の深い祈り。


精神の危機を感じて外国滞在を決意した作家の父に、妻が同行する。残された3人の兄弟妹の日常。脳に障害を持った長男のイーヨーは“ある性的事件”に巻き込まれるが、女子大生の妹の機転でピンチを脱出、心の平穏が甦る。家族の絆とはなんだろうか――。〈妹〉の視点で綴られた「家としての日記」の顛末に、静謐なユーモアが漂う。文学の深い祈り。

みんなの感想まとめ

家族の絆と日常の温かさを描いたこの作品は、著者の実体験を基にしたストーリーが魅力です。脳に障害を持つ長男を中心に、妹の視点から語られる物語は、家族の健気さや心の平穏を取り戻す過程を優しさとユーモアを交...

感想・レビュー・書評

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  • 大江健三郎さんの実体験に、ほとんど基づいているので、興味深い。家族たちが健気で読んだあとのあったかさがほっとする。

  • キルプの軍団の主人公や本作の主人公など、もちろん当人ではないにしろ、ある部分大江の子どもをモデルとしていると思われる細部は生き生きしていて素晴らしい一方、どこかお行儀が良過ぎるのではないかと思ってしまう。ただ、いつもにもまして小説家に対しては手厳しいところがあって笑える。


  • オーケンの入門にとても適したソフトさを感じる。
    内容は長男の光さんを題材にした必勝のフォーマット(?)、私小説的小説で自分の好みだがソフトなあまりハッとする箇所が少なかった様に感じた。
    総じて楽しく読めたので、大衆にも適した素敵な作品。

  • 冷静と情熱のあいだRosso に登場した作品なので気になって読んでみた。初めて読む文体で、少々読みにくい。イーヨーの冗談はほっとする。

    イーヨーの妹マーちゃんの献身ぶりを読みながら、小学生の時、同級生である障害者の弟君が、全校集会で、障害者の姉についての作文を読み上げたときの何とも形容が難しい、けど、凛々しい表情を思い出した。

  • 小学校のときに障害児と関わっていて兄弟のように仲が良かったからか、大江健三郎の実体験から書かれた作品は、読んでいて親密さを覚えることが多い。この作品もそのひとつである。イーヨーのことを何か不具合のあるように描くこともなければ、特別清い存在のように描くこともない、その距離感が心地よく感じる。

  • ■精神的な不安を抱えている小説家・Kが執筆活動のためカリフォルニアに移り住むことになる。そんなKを放っておけず、オユーさん(Kの妻)もKに付き添ってアメリカに渡る。結果、東京のKの実家にはマーちゃん(長女・仏文科三年生)、イーヨー(長男・脳に障害があり福祉作業所に通う)、そしてオーちゃん(次男・予備校生)の三人だけが残される。ただでさえ日頃から障碍者への差別、作家への中傷が後を絶えないなか、兄弟三人の周りには次々と事件が巻き起こって……。

    「静かな生活」
    私(マーちゃん)は結婚したら、脳に障害がある兄(イーヨー)を新婚家庭に引きとってまで世話をしようと考えている。しかし一方で、すでに大男へと成長したイーヨーの性的な成熟……はっきりいえば性衝動の暴発に、常日頃から言いしれない恐怖を抱いている。そんなある日、家の近所で小さな女の子を狙った卑劣な性犯罪事件が発生する。水の入った瓶をひたすら家に置いては去る正体不明の変質者におびえる私は、身近で起こったさらなる不安要因にますます気を重くするのだが、その性犯罪事件が発生したのがイーヨーが家を留守にしていた時間帯であったことに思いあたり、イーヨーに対して一抹の疑惑を抱くようになる……。

    「この惑星の棄て子」
    両親の助力なしでイーヨーの世話をすること。そこに意気込みと、同時に不安も感じていた私だったが、イーヨーは特に大きな発作も起こすことなく、彼の作曲活動の方もなかなか調子がいいみたいだ。そんなある日、父の友人でありイーヨーの音楽の先生でもある重藤さんのお宅に伺ったときのこと。重藤さんが心配そうに話されるには、イーヨーの今回の新曲はその曲調があまりにも悲しすぎるのだと。しかもタイトルが「すてご」ってどういうこと?と……。もしやイーヨーは両親に捨てられたと思いこんでいるのだろうか? そんな中、父の兄が亡くなったと知らせが。この時期アメリカを離れられない両親にかわって、葬儀には私とイーヨーが参列することになる。そして私たちふたりは懐かしいお祖母さんが待つあの”森の奥の谷間”に向かって出発した……。

    「案内人(ストーカー)」
    タルコフスキーの『ストーカー』についての考察。……ぼくは映画は観てないけど、原作とはずいぶん趣が違うようですね。

    「小説の悲しみ」
    『夜の果てへの旅』のセリーヌはいかにも奔放で粗野ではあるが、子供や障碍者に対してはごく自然に思いやりを持って接している。そんなところにひかれた私は、卒論のテーマにセリーヌを選んだ。父からはすでに、手持ちのプレイヤード版セリーヌ二冊を譲られている。
    アメリカにいる父(ミヒャエル・エンデと最近話をしたという)とは書簡で、『はてしない物語』について意見を述べ合う。父は、死によって自分が無くなってしまうこととそれに先んずる病気の苦痛への恐怖を語る。
    父の『M/Tと森のフシギの物語』とセリーヌの『リゴドン』についてオーちゃんと話し合う。予備校から志望校合格のお墨付きが得られたオーちゃんは、余裕ができたからイーヨーの送り迎えを自分も手伝うといってくれる。しかしイーヨーが得意のダジャレを弄すると、まじめなオーちゃんは急に不機嫌になる。

    「家としての日記」
    父がアメリカに行っている間、私がイーヨーをスイミングクラブに連れていくことになる。男子更衣室でひとりで着替えができるよう、家でみっちりトレーニングを積んでおいたがイーヨーは大丈夫、うまくやっているようだ。それに新井さんという若い水泳選手が親切にもイーヨーを手取り足取り教えてくださるようになり、結果イーヨーの泳ぎは見違えるほどうまくなった。嬉しくなってそのことを手紙で父に知らせると意外にも速達で返信が。その内容というのが、”細かい事情はここでは話せないがとにかくその新井という人物とは絶対にふたりきりになってはいけない”というものだった……。

    ▶▶▶『「雨の木」を聞く女たち』収録の短編「泳ぐ男――水の中の『雨の木』」は、強姦殺人者”玉利くん”を扱ったドキュメンタリー風のフィクション。そして『静かな生活』収録の短編「家としての日記」に登場する”新井くん”が”玉利くん”のモデルとなった実在の人物、という設定だが「家としての日記」もやっぱりドキュメンタリー風のフィクション。……う~む……。本物の自分の家族たちを主人公にして、自分も第三者として批判的に登場させて、虚実が判別できないような絶妙な描き方をして、しかも全く別の作品と二重構造になっているなんて……。もう一度言おう、「いやはやこの作家、もはや想像力の怪物だ」。

  • 大江健三郎が自分の家族をモチーフに描いた作品。叔父の伊丹十三も登場する。
    大江夫妻がアメリカに移住したあと日本に残されたイーヨーを中心とした子供たちの生活を娘のマーちゃんの視点から描く。作風は中心がなくとはいえ、何かしらの精神性をめぐって、とくにイーヨーに向けられる世間の差別をめぐって、マーちゃんの思いに仮託されて描かれる。
    いまこのような中心のない作品を作れるのは保坂和志ぐらいしか思いつかないが、このような作品をつくれるのが大江であり彼の才能なのだと思う。

  • 2023/7/1
    イーヨー、マーちゃん、オー。

  • 日本を代表するノーベル賞作家でありながら、亡くなってから初めて本を手に取る。
    独特の文体ながら、障害をもつ兄との生活の中で、ゆっくりでもしっかりと考えながら生きていくマーちゃんとその周囲の人たちの姿勢に強く共感を覚えた。
    2023.03.23読了

  • 1990年発行の単行本を読了。
    この連作集、当時、最初の1作だけ読んで挫折した本(汗
    今回、蔵書処分のための供養として読んだが、この頃から大江作品は「もういいや」と思ったのだった。けっこう大江作品を読んでいる自分(卒論だった)でもさすがに飽きたのだ。
    いずれにせよ、ご子息がモデル(というかそのまんま)である言葉遣いが丁寧な「イーヨー」(かつての「ジン」)のキャラはどの作品を読んでも安らぐな。

    そしてなるほど、渡航している父母に向けた「家のための日記」がこの「静かな生活」なわけか。入れ子構造。

    それにしても講談社文庫1500円か……この単行本は1300円である。
    老眼と成り果てた今、単行本とっといてよかった(処分するんだけどね)。
    ダンボールから『新しい人よ眼ざめよ』『河馬に噛まれる』などが出てきた。供養のため読もうかどうしようか思案中。

  • 静かな生活といふ表題作
     以前ツイッターで、気分が滅入った時には短篇「静かな生活」を読むと恢復する。といふ趣旨のツイートを見かけた。表題作だけは三度目くらゐの再読になるが読んでみて、本当にその通りだと思った。

     今回映画で感動したのをきっかけに初めて通して読んだが、表題作は連作中で群を抜いておもしろいと思ふ。アクション的な描き方と伏線のために。
     むしろ「この惑星の棄て子」と「案内人」はキリスト教色が鼻につく感じ(前者は情景描写も長いと思った)で、「自動人形の悪夢」と「小説の悲しみ」はイーヨーに対する思ひを吐露してゐるが、表題作に比べて幾分あっさりしてゐる。「家としての日記」は表題作同様にストーリーが中心で、締めくくりにふさはしい。

     さて私は全体的にはどちらかと言ふと伊丹十三の映画の方が好きといふ気持が強い。しかし小説としては表題作が好きだ(映画のその部分は単純すぎると思ふ)。
     解説は伊丹十三で、この映画をつくるきっかけなどが書いてあり、ネズミトリ機などのエピソードはいいが、文学のテーマを語るくだりは的外れなやうな、おせっかいのやうな気がする。

  • 私がよく読む小説は、家族のことは多く語らないものだったと、これを読んで気づいた。
    例えば、島田雅彦の『優しいサヨクのための嬉遊曲』は主人公の青年の父母についてはほとんど描かれず、大学のサークルの人々、想いを寄せる人らとの関係や青年自身について描かれている。
    人はいくつかの人との関係を持ち、小説の中で描かれる関係と、描かれない関係がある。 それは作家が選択する。
    家族との関係を省き、その他の関係を描いたものは、家族関係から離れることで性愛が描かれやすい。
    私はその性愛に関するものに惹かれるため、家族が描かれない小説を多く読んでいたのかもしれない。
    家庭での細々したことが描かれないということは、学校や職場や街で他人と接するときに相手の家庭が見えないという点で似ている。

    家族との関係も、主人公の性も描いた小説はある。

    家族と家族それぞれのの性。

    語り手は、私(マーちゃん)
    大江家にイーヨーという長男がいた事は確認できるが、その妹と弟がいるのかは知らない。
    マーちゃんは、大学生でありながら兄を福祉作業所やピアノやプールに連れて行き兄の世話をするという状況を嫌だと思っていないよう。
    家を出て一人暮らしをするような大学生ではない。
    言いにくいような事でも、父の友人や親戚に話すけれど、一体どんなふうに話す人なんだろう。
    痩せっぽちの丸い頭の女の子、表情も話し方もファッションも分からない。
    隠し事をしないのか?


    この小説の家族は、人を思い、語らい、丁寧に接する家族だと私は受け取った。

  • 読むのにとても時間がかかった。べつに言葉や内容が特別難しいというわけではないが、唐突に話が始まるような瞬間が何度もあって、語り手に追いつくのがワンテンポ遅れるような感覚になることが多かったから。
    それでも、それが嫌ではなくて、奇妙なテンポに振り回されるのがむしろ楽しかった。
    そして何より、この物語に登場する3兄弟イーヨー・マーちゃん・オーちゃんが魅力的で、心地よかった。

  • ブックオフ太田、¥480.

  • 最初の方の印象は以下。
    自分が自分に苛立っていることについて、原因を他人に帰すのはあまりよろしくないと思っていた。K=書き手が、Kに対するいらだちを娘に語らせるというやり口が何となくいやらしく思われたのだと思う。あるいは、危機を間接的に語らせたり、危機についての述懐すら奥さんや友人やらに語らせたり。他方では、自分を娘の側や息子の側にも投影してみたり。
    当初は、このような間接的な自分語りとベタに受け取って、嫌がっていた。しかし、自分の苛立ちを他人の苛立ちへと付け替えることはそんなに悪いことだろうか? 他の人にもそれを許し、自分にも許していった方がはるかに良いのではなかろうか、などと思うようになった。
    僕が大江を好んで読んでいるのは、成されるべき理想のようなものに目を向けつつも、それに至らぬ自分を、開き直るわけでもなく率直に(素直には書かないのだが)認めているというところにあるのだと思う。その届かないものと自分との距離への態度をアイロニーと呼ぶのだろうか。

    しかしあとがきにあるようにこれは全部語りの仕掛けであって、その点でいうともうレビューに収まらないほどに巧みで、「静かな生活」という題、この小説自体、「家族としての日記」といったあたりの絡み合いや現実との交錯など見事としかいいようがないものだった。

    このレビュー
    http://d.hatena.ne.jp/ima-inat/20101229/1293620239

    「なんでもない人」なのだ

  • 「マアちゃん」主語だとやっぱり地の文が地味でモデストになってしまって私としては物足りない。『燃え上がる緑の木』も同じなのだけど。伊丹十三の映画も見たけれど、大江健三郎の作品を読んでいると伊丹十三は相当な切れ者のように想像させられていたのに、何か物足りない。あとがきみたいなので伊丹十三も喋り言葉で参加しているけれど、そこでもなんだかパンチが足りなかった。

  • 昔に読んだが、断念した本。温かな気持ちになれる本だとAmazonでの評価にあったので再読した。ページを捲る手がもどかしくなるほど面白いわけではない。
    この小説の本質ではないと思うが、イーヨーの毒のない発言に癒される。

  • フィクションだって分かっているのに、どうしても、この本は大江健三郎じゃなくて大江健三郎の娘さんが書いているんだという意識で読んでしまった。最後まで。

  • ここ数年前から、大江さんの作品をコンスタントに少しずつ、味わいながら、読み進めていこう、と暗に決めている。これは伊丹十三の映画のほうは見たけれど、原作としては読んでいなかったので。面白かったなぁ、ほんとに、この人の作品は、読んでいて、楽しい。(12/1/4)

  • 私小説に近い作風の小説。イーヨー、マーちゃん、オーちゃんの3兄弟が遭遇するちょっとした事件や、心的風景がテーマとなった6つの短編から構成される連作です。
     読後、知的障害を持つイーヨーの一貫した純粋さ、明るさに救われた気持ちになります。

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著者プロフィール

大江健三郎(おおえけんざぶろう)
1935年1月、愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)に生まれる。東京大学フランス文学科在学中の1957年に「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を受賞する。さらに在学中の58年、当時最年少の23歳で「飼育」にて芥川賞、64年『個人的な体験』で新潮文学賞、67年『万延元年のフットボール』で谷崎賞、73年『洪水はわが魂におよび』で野間文芸賞、83年『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』で読売文学賞、『新しい人よ眼ざめよ』で大佛賞、84年「河馬に噛まれる」で川端賞、90年『人生の親戚』で伊藤整文学賞をそれぞれ受賞。94年には、「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。そこでは人生と神話が渾然一体となり、現代の人間の窮状を描いて読者の心をかき乱すような情景が形作られている」という理由でノーベル文学賞を受賞した。

「2019年 『大江健三郎全小説 第13巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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