ドルジェル伯の舞踏会―現代日本の翻訳 (講談社文芸文庫)

制作 : Raymond Radiguet  堀口 大学 
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061963832

感想・レビュー・書評

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  • 堀口大學訳、最初読み辛くてギブアップしそうになったけど、慣れてくるとなかなか良かった。これはラディゲの遺作、これを20歳の独身男性が書いたのですよ。

  • 再読。改めてしみじみと、二十歳でこれが書けるのはすごい。それとも二十歳だから書けたのか。

    物語自体は比較的単調で、何か起こったかというと実は何も起こっていない気もする。惹かれあうドルジェル夫人マアオと青年フランソワ。しかし二人とも慎ましい性格が災いして(幸いして?)積極的な行動には出ず、しかもお互い相手の気持ちには気づかず、ひっそりと思いあっているのみ。ありがちな不倫の恋物語にはならない。

    ではなにが面白いのかというとやはりひたすら心の機微を丹念に描写してあぶりだされる登場人物のキャラクター(性格)と心理。ふだん誰もがとくに意識せずにしている行動をラディゲは逐一観察して分析してしまう。

    ラストシーンの解釈は難しいけれど、個人的にはドルジェル伯の「自覚してない自衛のための鈍感力」みたいなものが怪物めいていて怖かったです。

  • 表現が簡潔的かつ抽象的で一回読んだだけでは理解しにくいが解説によると原文ではさらにすごいらしい。自分がこの作品を読むきっかけになったのは堀辰雄と三島由紀夫だ。さらに言うと堀口大學訳で読もうと思った理由は三島が「完全にイカれていたのであるから。それは正に少年時代の私の聖書であった。」と書いているからだ。確かにこの直訳調のどこか冷たい感じと「〜だった。」で文を締めくくることによる余韻は癖になる。
    最後にラディゲらしいと思った部分を引用。「どの年齢にも実はなるのである、ただその摘み方を知る事が肝要だ。ところが若者達は、とかく手のと最も届き憎い実を我慢もなく取りたがって、早く一人前になろうと計りして反って手近なものを見落したりするのである。」P.28より

  • ラディゲの耽美と堀口大学の洗練が組み合わさった、奇跡の小説 日本の翻訳小説の傑作である

  • ラディゲという存在を追いかける。



    レイモンド・ラディゲは夭折の天才と言われている。
    本書は「肉体の悪魔」にならぶ彼の代表作。
    なぜラディゲなのか、
    けして、律儀に仏蘭西文学に敬意を払おうとして、順序よく道をたどっている訳ではない。
    いや、勿論できるモノならそうしたいが、まぁ私は学者ではないので勘弁してくれ。
    学者じゃなくて”ミーハー”な私の理由は他でもない”ミシマ”である。



    私の読書のあゆみは三島由紀夫から始まった。
    ミシマの小説を読んでいわば”めざめた”のだ。
    だからこそ三島由紀夫という存在はえらい特別な存在なのだ。
    この名前の並びをちらりと目撃しただけでも、まるで磁石に引き寄せられるかのように意図せずに意識がそちらに引きつけられてしまう。
    おかげで現首相や静岡の某所は私の困りものの存在だ。
    いや、何ともね。
    当初はいわば狂信的だったが、いろいろな本を読むようになった今ではだいぶ落ち着いてきた。
    でも好きな作家の中ではやはり未だに一番に上がる。
    そんな、いわばあこがれの存在であるミシマはレイモンド・ラディゲに本当に心酔していたらしい。
    とある著書にミシマはこう書き記している。


    『私は、堀口氏の創った日本語の芸術作品としての「ドルジェル伯の舞踏会」に、完全にイカれていたのであるから、それは正に少年時代の私の聖書であった』


    こうまで言われてしまったらこちらとしても気になって仕方がない。
    新潮版であるのなら簡単に手に入るが、それでは意味がない。
    出版社は問わないが是が非でも堀口大学訳でなくてはいけない。
    だが、今ではほとんど市場には流通していない。
    一番手に入りやすい本書すら絶版で今ではちょっとばかし希少価値がついている。
    私はこの本をどうにか安価で手に入れようと四苦八苦した。
    そうしてようやくここまでこぎ着けたのだ。
    いや、前置きが長いな。




    フランス伝統の心理小説の傑作。
    と位置されるらしい。
    「肉体の悪魔」を読んだ時は正直、ラディゲの何がそこまでミシマを魅了するのか私には皆目見当がつかなかった。
    だが本書を読んでなぜか、と言う理由がなんとなしにではあるがようやく理解できた。
    まずは”影響力”という面で、書き方、というかなんというか、小説の構成がとてもよく似ているのだ。
    ミシマは小説においてその人がどういう存在であるか、という一見物語とは関連がなさそうな、その人の情報を丁寧に記述することが多い。
    そのキャラクターに与えられた設定に裏打ちされた事情が始めに書き出される。
    大抵の作家がそうなのかもしれないが、ミシマのその前提は特にしっかりとまるで丁寧に”拵え”られるようなのだ。
    いわばミシマの特長ともとれるそれがラディゲにもみられた。
    いや、それもラディゲの方がミシマよりも激しいのだ。
    ミシマの場合は、主にメインのキャラクターにそれをするが、ラディゲは人をあまり選ばない。
    そうして、残念なことにあまりきれいに交通整備がされていない。
    正直私はそれが鼻について少しばかり読みにくかったのだが、なるほどな、と言う納得は十分に得られた。
    ミシマに関しては情景描写や言葉選びに関しても特徴的なセンスが見られたが、ラディゲに関してはそこは見受けられなかった。
    まぁ当然か、ミシマという存在がラディゲの発展系ですべて説明つくなんてファンとしては悲しいモノだ。
    ここにワイルドが入ってくるのかな。
    と話が結局ミシマという存在を通してしか展開されていないな。
    少し軌道修正。
    おそらく、小説を評価する時に「技量」と言う項目が明確に存在する人には、この小説はたまらない存在だと思う。
    キャラクターの心理絵図がすごいのだ。
    そして精緻なくせに、その描き方がまた非常にすらりとしている。
    単純な恋愛物語ではあるのだが、この心理絵図に視点をよせて読んでみると、うむむという感嘆が思わず漏れた。
    特に、私はこの小説に関する予備知識がまったくなかったので、すんなりと作者の思惑のままにとあれたのでよかった。
    個人的にはアンヌがね、私はキャラクターとしては好きだった。
    彼はこの物語にスパイスを与える存在だよね。
    とはいえ、ここまで心理絵図に満たされるとなんだか、窓のない密室に閉じこめられているような息苦しさが少しあった。
    景色や状況が見えないんだよね。




    この一冊を読んでようやくラディゲという存在のすごさを多少はつかめたかな、と思う。
    と言うことで、ラディゲを見送ろうかと思う。
    というより、この人著作が少ないのよ、ね。

  • 久しぶりに読み返してみよう。 <br>
    堀口さんの翻訳だと読みやすい。

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