私本太平記(五) (吉川英治歴史時代文庫)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (404ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061965676

作品紹介・あらすじ

足利高氏の心はすでに決している。彼は、名優さながら、なに食わぬ態(てい)で六波羅軍と合した。いつ、最も効果的に叛旗をひるがえすか? 高氏の打ちあげた烽火(のろし)は、まさに万雷の轟きとなった。石垣の崩れる如く、鎌倉幕府は150年の幕を閉じた。――さて建武の新政。台風一過と思ったのは、ひと握りの公卿たちで、迷走台風は再び引返して荒れ模様、武士たちの不平不満は尽きない。


足利高氏はなに食わぬ態で六波羅軍に合流。問題はいつ、最も効果的に叛旗をひるがえすかにある。高氏の打ちあげた烽火は、まさに万雷の轟きとなった。石垣の崩れるごとく、鎌倉幕府は百五十年の幕を閉じた。

感想・レビュー・書評

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  • 高氏謀反の挙兵 六波羅攻め 新田義貞も続いて鎌倉攻め 北条一族の滅亡 高時自刃

  • 遂に高氏が挙兵し六波羅探題を倒す。鎌倉は新田義貞に攻められ、遂に鎌倉幕府が滅亡。北条高時、赤橋守時の最後が悲しい。鶴ちゃん、勝野さん、名演だった、大河の太平記。
    これで落ち着くかと思われた世の中だが、建武の新政は、公家、武家、それぞれの思惑の中で混迷に陥っていく。高氏改め尊氏はどう動くか?

  •  鎌倉幕府の終焉。
     高時の描写が良いです。

  • 足利高氏は佐々木道誉らと入洛し、六波羅探題を滅亡させ、関東では犬猿の仲である新田義貞も高氏と呼応して挙兵、高氏の子、千寿王も参陣、ついに鎌倉幕府は滅亡した。
    赤橋守時、北条高時らの最後の場面は、敗者の哀れを感じる。
    建武新政は、偽綸旨が横行し、公卿たちが専横しだし、不平不満が高まっていく。
    このようななか、護良親王、千種忠顕、新田義貞らと足利尊氏らとの溝が深まっていく。

  • [評価]
    ★★★★☆ 星4つ

    [感想]
    一気に物語が進んだな。新田義貞の鎌倉攻めと言えば、義貞が神に祈りを捧げ、潮が引いた海岸を通り鎌倉に攻め入ったという伝承があるけど私本太平記では一部が海岸線から攻め入って入るけど、普通に陸側から進行していたね。また、義貞が高氏の息子である千寿王を受けているのが印象的だね。
    一方で京では高氏が幕府に反旗を翻した一方で目立たないように行動しつつも六波羅探題を抑え、武士に対する影響力を着々と増やし、幕府崩壊後から朝廷との対立し始めていることが今後の展開を示しているようだったな。

  • 鎌倉幕府滅亡。
    一般に映像化された作品では北条高時は酷い扱いになっているけど、高時がが暗愚だったから幕府が倒れたのではなく、構造的にもう「もたなかった」という視点で倒幕が語られる。鎌倉武士の矜恃も描かれているところは吉川先生ならでは。

  • (1991.05.15読了)(1991.04.08購入)
    内容紹介 amazon
    足利高氏はなに食わぬ態で六波羅軍に合流.問題はいつ,最も効果的に叛旗をひるがえすかにある.高氏の打ちあげた烽火は,まさに万雷の轟きとなった.石垣の崩れるごとく,鎌倉幕府は百五十年の幕を閉じた

    ☆関連図書(既読)
    「太平記の謎」邦光史郎著、光文社、1990.12.20
    「私本 太平記(一)」吉川英治著、講談社、1990.02.11
    「私本 太平記(二)」吉川英治著、講談社、1990.02.11
    「私本 太平記(三)」吉川英治著、講談社、1990.03.11
    「私本 太平記(四)」吉川英治著、講談社、1990.03.11

  • 長旅になる覚悟をしていた本作品であるが、いつの間にか折り返しを過ぎた。足利高氏、佐々木道誉、新田義貞らがどんどん鎌倉幕府を裏切り、武士の世はいったん滅亡。倒幕にあたっての高氏と道誉の食えぬ関係での友情、高氏と義貞の微妙な関係、どれも興味深く楽しめた。
    そして建武の新政がスタート。楮弊により庶民が右往左往する様は哀れさを通り越して滑稽だった。それを普及させようと工夫を凝らす道誉もまた面白い。
    前巻までは時間がゆっくりと流れていたが、今後はペースアップしていくこと間違いなしである。楽しみになってきた。

    以下に興味深かった内容を引用しておきたい。

    ・世良田の南へ半里、利根川べりに行きあたる。そこの川岸の里は地名を徳川といい、新田氏の一支族、徳川教氏の住地だった。この世良田徳川の子孫が、遠い後に江戸幕府の徳川将軍家となったのである。だから、代々の徳川家は、祖先新田氏をおろそかにしなかった。
    →この、徳川家康の祖先が新田義貞である説は現在の学説ではかなり疑い深いものであるが、吉川英治氏は見事言い切っている。系図好きな私もこうした言い切りが好きであるが。そのほうが夢があっていい。

    ・下郎、雑武者などは、自分らの敗北を聞こえよく飾るため、競って敵方の兵力を誇大に言う。またその惨烈さを吹聴する。裏切りの続出をののしりわめく。
    →これは現代においても同じ。スポーツでも喧嘩でもビジネスでも、自身の敗北を相手の強さや外的要因などに結論付け、自身の落ち度から目を逸らさせようとする。私も思い当たる点があるだけに、くすりと笑ってしまった。

    ・せっかくな古典もこんなわかりきった作為を弄したりするものだから、後世の学者に「太平記は信ずるに足らず、史料に益なし」とほかの箇所まで全面的に無視されることもあったりした。
    →吉川英治氏の、原作:太平記に対する愚痴。こんなのも歴史小説には良いスパイスとなるのだ。

    ・戦いは戦いだけで終わらない。敵を消し去ると、すぐまた味方同士、味方内の仮想敵を見つけ出す。それは政略という腹の中で始まる。
    →これも現代に同じ。人間の根本は中世も現代も変わっていないのだ。

  • 最近、読むペースが遅いな!

  • (全巻合わせた感想)
    文章が読みやすく、状況描写が上手でその場の雰囲気や気持ちが手に取るように分かり、その文章の巧みさに感嘆した。内容は主人公尊氏及び周辺の人々に何らの魅力を見出せなかったので、少しつまらなかった。

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著者プロフィール

1892年、神奈川県生まれ。1921年、東京毎夕新聞に入社。その後、関東大震災を機に本格的な作家活動に入る。1960年、文化勲章受章。62年、永逝。著書に『宮本武蔵』『新書太閤記』『三国志』など多数。

「2017年 『江戸城心中 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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