さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

著者 : 高橋源一郎
制作 : 加藤 典洋 
  • 講談社 (1997年4月10日発売)
3.88
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  • 本棚登録 :1083
  • レビュー :137
  • Amazon.co.jp ・本 (382ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061975620

作品紹介・あらすじ

詩人の「わたし」と恋人の「S・B」と猫の「ヘンリー4世」が営む超現実的な愛の生活を独創的な文体で描く。発表時、吉本隆明が「現在までのところポップ文学の最高の作品だと思う。村上春樹があり糸井重里があり、村上龍があり、それ以前には筒井康隆があり栗本薫がありというような優れた達成が無意識に踏まえられてはじめて出てきたものだ」と絶賛した高橋源一郎のデビュー作。

さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 弟に勧められて読んだ。確か一年位前、熱海へ向かう東海道線の中一人黙々と読んでいたのだが、この本を読むのにその環境は異常にマッチしていた。

    私にとってははじめての高橋源一郎作品。もうちょっと小難しい文章を書く人だと勝手にイメージしていたのでこんなにとっつき易いと意外だった。しかし、内容は決してとっつき易いというものではない。難しい。
    斬新で奇妙な。
    斬新な小説なんて滅多にないからうれしい。
    今もう一度読みたいと思うし、何度読んでも分からないんだろうという気もする。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「何度読んでも分からないんだろう」
      私も雰囲気だけ愉しんでいます。莫迦馬鹿しく思いつつ高橋源一郎が操る言葉に溜息ついてください。。。
      次のお薦めは、映画「ビリィ・ザ・キッドの新しい夜明け」
      パンフレット画像だけ載せておきます。
      http://nyankomaru.tumblr.com/post/68102132987/1986-8-1-parco
      2014/04/05
  • よくわからないけどキャッチーで読ませるなあ、とすらすら読んでいたが、ある時70年代だかの現代詩手帖とユリイカを見て、あ、高橋源一郎の文章ってきちんと時代を引き継いだ詩だったんだなと気がついた。中島みゆきソング・ブック。

  • 言葉で言い表すことが難しい作品。
    言葉を与えることで、何かに分類されてしまうのは、何かもったいない気がする。
    この作品がいいと思える人には、わかってもらえると思う。
    あえて言うなら、「チェストーッ!」くらいか。
    この作品が、チンプンカンプン、なんじゃこりゃ?という人も多いと思う。
    高橋源一郎が言葉の裏側に見えるよい作品と思う。

  • 高橋源一郎唯一の傑作。もう彼がこれ以上の作品を書くことはない。単なるドナルド・バーセルミの継承ではないことを、自身の目で確認して欲しい。

  • 不思議な本です。解釈するものでもないような気がしてくる。でも、小説としては成立していて、さくっと読めてしまうし、読んでいたら急に、著者が何を表したかったのかがグッと近づいてくる感じがしました。

    言葉って、ときどき私の言いたいことから勝手に独立してしまって、感じているとおりに伝えられなかったりします。そういう不自由さを生む、言葉の手垢とか背負ってしまった過去とかから、言葉を解き放って、言葉とそれを使う「私」の関係性を築き直そうとしている小説なのかな?と思いました。

  •  再読。
     再読、とはいっても今までは単行本、及び講談社文庫で発売されていたものを読んでいた。
     今回は講談社文芸文庫として出版された版で読んでいる。
     うちには三種類の「さようなら、ギャングたち」があるということだ。
     
     もっとも多く読み返した作品がこの「さようなら、ギャングたち」だろう。
     二桁、までは到達していないだろうけど、七、八回は読み返したと思う。
     それほどまでに読み返すほどの魅力がこの作品のどこにあるのだろう。

     すでに内容を知っている状態で読み返すと、始終切ない気持ちで読み通すことになる。
     本当に切ない気持ちになってしまう。
     本当に哀しい気持ちになってしまう。
     何故なんだろう。

     短いフラグメントが集積されてひとつの物語を形作っている、という形式。
     バーセルミや村上春樹の「風の歌を聴け」やブローティガンの「アメリカの鱒釣り」「西瓜糖の日々」のような形式、と言えば分りやすいだろうか。

     詩、なのかも知れないし、前衛的なのかもしれない。
     たった一行だけのフグラグメントもあれば大島弓子の漫画のみによるフラグメントもある。
     僕は全く前衛的とは思っていないのだけれど、やはり他の小説とは全く異なった言葉、全く異なった文章で書かれていると思う。

     コクトーの「恐るべき子供たち」やコルタサルの「南部高速道路」その他過去の様々な小説へのオマージュともとれる箇所も随所に見受けられる。
     きっと僕が読んだこともない作品にも触れている箇所があるのだろう。

     万人向けでは決してない。
     読んでみて「全く意味不明」と思われる方もいると思う。
     僕もきっと意味不明のままに何度も読み返しているのだと思う。
     それでもこの切なさ、この哀しみの疑似体験は得も言われぬ快楽を呼び起こす。
     だから何度でも浸ってしまう。

  • かっこいい文章が出てくるとオッとなるが、どうもそれ以外は断片的でわからない、とにかくわからないのひと言に尽きる。

  • サイコー、この言葉に尽きる。

  • シュールレアリスム的な文章。詩的。ギャングになれなかった詩人。

  • 「さようなら、ギャングたち」と名付けられた詩人と、「中島みゆきソングブック」と名付けられた一人の女性と、「ヘンリー4世」と名付けられた一匹の猫の物語です。

    詩であり、詩論であり、小説であるような作品、としか、私には読めないと感じました。おそらくもっと作品そのものに即した理解の仕方もあるのだろうと思いますが、このような観点から理解するのが精いっぱい、という感じです。

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