さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

著者 :
制作 : 加藤 典洋 
  • 講談社
3.89
  • (179)
  • (99)
  • (181)
  • (16)
  • (7)
本棚登録 : 1164
レビュー : 141
  • Amazon.co.jp ・本 (382ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061975620

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 高橋源一郎、1981年のデビュー作。10代の頃に読んで以来超久々の再読。今読んでも古いと感じないのがすごい。そしてその間に高橋源一郎を越えるこのジャンルの作家が出ていないことも。

    「名前」にまつわる架空のヒストリーから始まり、自分でつけた名前と殺し合うという突拍子もない時代を超えて、恋人同志が互いに名づけあう時代。主人公は猫の「ヘンリー四世」を連れた恋人に「中島みゆきソング・ブック(通称S・B)」と名付け、彼女は主人公を「さようなら、ギャングたち」と呼ぶ。

    S・Bと出逢う前に一緒に暮らしていた女性、彼女との間に生まれた「キャラウェイ」という娘、ある日突然役所から届く死亡通知、幼児専用墓地までの道のり、詩の学校で詩を教える仕事、変な生徒たち、冷蔵庫に変身したヴェルギリウスなどを経て、S・Bとヘンリー四世との穏やかな生活を送る主人公のもとへ、しかし4人のギャングがやってくる。彼らはS・Bの元仲間だった。

    ・・・と、あらすじを書きだすことにあまり意味はないのだけれど自分の備忘録メモとして一応。整理してみるとこうして書き出すことのできる「あらすじ」があることに逆に驚くくらい、読書中は支離滅裂な細切れの断片を次々クリアしているだけの印象しかない。

    にもかかわらず、高橋源一郎の何が良いかというと、バカみたいなことばかり書き並べてあるにも関わらず、なぜかいつもちょっと切ない。物悲しい。こういうのなんて呼べばいいんだろう?センチメンタリズム?リリシズム? とにかく一抹の悲しみ、胸がギュッとなるような切なさが常にどこかに潜んでいて、表面的なポップさよりも、そっちに心をつかまれてしまう。そこが他の作家にはない魅力なんだよなあ。

  • 弟に勧められて読んだ。確か一年位前、熱海へ向かう東海道線の中一人黙々と読んでいたのだが、この本を読むのにその環境は異常にマッチしていた。

    私にとってははじめての高橋源一郎作品。もうちょっと小難しい文章を書く人だと勝手にイメージしていたのでこんなにとっつき易いと意外だった。しかし、内容は決してとっつき易いというものではない。難しい。
    斬新で奇妙な。
    斬新な小説なんて滅多にないからうれしい。
    今もう一度読みたいと思うし、何度読んでも分からないんだろうという気もする。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「何度読んでも分からないんだろう」
      私も雰囲気だけ愉しんでいます。莫迦馬鹿しく思いつつ高橋源一郎が操る言葉に溜息ついてください。。。
      次...
      「何度読んでも分からないんだろう」
      私も雰囲気だけ愉しんでいます。莫迦馬鹿しく思いつつ高橋源一郎が操る言葉に溜息ついてください。。。
      次のお薦めは、映画「ビリィ・ザ・キッドの新しい夜明け」
      パンフレット画像だけ載せておきます。
      http://nyankomaru.tumblr.com/post/68102132987/1986-8-1-parco
      2014/04/05
  • 初めて読んだ高橋源一郎さんの本。

  • 「さようなら、ギャングたち」と名付けられた詩人と、「中島みゆきソングブック」と名付けられた一人の女性と、「ヘンリー4世」と名付けられた一匹の猫の物語です。

    詩であり、詩論であり、小説であるような作品、としか、私には読めないと感じました。おそらくもっと作品そのものに即した理解の仕方もあるのだろうと思いますが、このような観点から理解するのが精いっぱい、という感じです。

  • 言葉の使い方、表現においては詩小説だけど、言葉を喪失し、懸命なリハビリの過程そのものという意味で私小説なんだと思う。本当の悲劇は悲劇そのものを言葉で表すことができないから、言葉は自然と迂回する。しかし、痛みや悲しみから決して目を逸らさずに紡いだ言葉は優しさと結び付き、泡となって一緒に弾け飛ぶ。だからこそ、どれだけ遠回りを重ねても、こんなにもまっすぐに届いてくる。これからも悲しみと出会うだろう。またやらかしてしまうんだろう。それでも別に構わない。少しだけ上手く失敗すればいい。そんなことを教えてくれる作品だ。

  •  1982年、高橋 源一郎著。「わたし」を取り巻く超現実的な世界が、1ページに数文しか載っていなかったり、頻繁に行替えがあったりする独特な文体で語られる。「わたし」と家族の関係を描く第一部、詩の学校で「わたし」が様々な人の話を聞く第二部、ギャング達が本格的に動き出し「わたし」に接触してくる第三部。
     非常に不思議な小説だった。いや、これは小説というより詩なのだろうか。ただ、それだけだったら、意図してそのような構成にしたとも考えられ、似たような小説は他にもあるのかもしれない。おそらく、この小説がすごいのは、文章自体が含んでいる独特の「間」だろう。前の一文を書いた後、思考を一時中断し、時間を空けて次の一文を書いたのではないだろうかと思われるような「間」のある文章。結果、出てくる固有名詞はやたらポップなのに文章全体が不安定な雰囲気を醸し、脈絡のないストーリーにその不安定さがマッチして、読み終わると妙に悲しい気持ちになる。特に第一部の最後の方は他の小説では味わえない独特の悲しみを感じる。

  • 「小説家は小説を書くことで考えるんですよ」

    高橋源一郎がニコ生思想地図において東浩紀に言った言葉だ。

    聞いた瞬間、ずっと前から持っていた宝箱が開いたような気がした。

    そうか、てっきり僕は考えてから書くんだと思ってた。

    細胞が分裂するように言葉を生み出し、突然変異を待つ。

    とにかく一所懸命、分裂、分裂、なのだ。

    高橋源一郎は真面目な人だと思う。

    室井佑月にとってはどうだか知らないが。

    最初に読んだ高橋源一郎作品は「ジョン・レノン対火星人」で詩のような印象を受けた。

    あとがきに、本作を最初に読んだとき詩のようだと思ったと書かれたいたが、僕は「ジョン・レノン対火星人」を読んでいたせいか、これは小説だと開始一行目から最後の一行まで思って読んだ。

    高橋源一郎の文は、ざっくばらんでそれでいてよく見るとキレイな木目をしている薪みたいだ。

    言葉のひとつひとつが宝石ってわけじゃないんだけれど、並べて叩くといい音がしそう。

    そんな小説ですよ。

  • ドキドキする。ナイス!普通にオモロイ。

  • これは2、3回読む本なのかな

    1回目はなんとなく読んで終わってしまった

    だけど解説で
    「ああ、そうだったのか」と考えさせられることが多々あり、、

    1回だけでは理解できなかった

    私の問題かな(笑)

    けど
    妙に悲しくなったり
    妙におかしくなったり

    不思議な本だと思った。

    とくにキャラウェイが死んでしまうところなんかは
    切なく、悲しくなった

  • 愛読書。もう何度読んだかわからない。言葉のリズムとかもすごく好き。

著者プロフィール

高橋源一郎(たかはし げんいちろう)
1951年、広島県生まれの作家、評論家。明治学院大学国際学部教授。1981年『さようなら、ギャングたち』で群像新人賞優秀作を受賞しデビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で第13回伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で第48回谷崎潤一郎賞を受賞。

さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)のその他の作品

高橋源一郎の作品

ツイートする