さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

著者 :
制作 : 加藤 典洋 
  • 講談社
3.89
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本棚登録 : 1164
レビュー : 141
  • Amazon.co.jp ・本 (382ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061975620

作品紹介・あらすじ

詩人の「わたし」と恋人の「S・B」と猫の「ヘンリー4世」が営む超現実的な愛の生活を独創的な文体で描く。発表時、吉本隆明が「現在までのところポップ文学の最高の作品だと思う。村上春樹があり糸井重里があり、村上龍があり、それ以前には筒井康隆があり栗本薫がありというような優れた達成が無意識に踏まえられてはじめて出てきたものだ」と絶賛した高橋源一郎のデビュー作。

感想・レビュー・書評

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  • 高橋源一郎、1981年のデビュー作。10代の頃に読んで以来超久々の再読。今読んでも古いと感じないのがすごい。そしてその間に高橋源一郎を越えるこのジャンルの作家が出ていないことも。

    「名前」にまつわる架空のヒストリーから始まり、自分でつけた名前と殺し合うという突拍子もない時代を超えて、恋人同志が互いに名づけあう時代。主人公は猫の「ヘンリー四世」を連れた恋人に「中島みゆきソング・ブック(通称S・B)」と名付け、彼女は主人公を「さようなら、ギャングたち」と呼ぶ。

    S・Bと出逢う前に一緒に暮らしていた女性、彼女との間に生まれた「キャラウェイ」という娘、ある日突然役所から届く死亡通知、幼児専用墓地までの道のり、詩の学校で詩を教える仕事、変な生徒たち、冷蔵庫に変身したヴェルギリウスなどを経て、S・Bとヘンリー四世との穏やかな生活を送る主人公のもとへ、しかし4人のギャングがやってくる。彼らはS・Bの元仲間だった。

    ・・・と、あらすじを書きだすことにあまり意味はないのだけれど自分の備忘録メモとして一応。整理してみるとこうして書き出すことのできる「あらすじ」があることに逆に驚くくらい、読書中は支離滅裂な細切れの断片を次々クリアしているだけの印象しかない。

    にもかかわらず、高橋源一郎の何が良いかというと、バカみたいなことばかり書き並べてあるにも関わらず、なぜかいつもちょっと切ない。物悲しい。こういうのなんて呼べばいいんだろう?センチメンタリズム?リリシズム? とにかく一抹の悲しみ、胸がギュッとなるような切なさが常にどこかに潜んでいて、表面的なポップさよりも、そっちに心をつかまれてしまう。そこが他の作家にはない魅力なんだよなあ。

  • 弟に勧められて読んだ。確か一年位前、熱海へ向かう東海道線の中一人黙々と読んでいたのだが、この本を読むのにその環境は異常にマッチしていた。

    私にとってははじめての高橋源一郎作品。もうちょっと小難しい文章を書く人だと勝手にイメージしていたのでこんなにとっつき易いと意外だった。しかし、内容は決してとっつき易いというものではない。難しい。
    斬新で奇妙な。
    斬新な小説なんて滅多にないからうれしい。
    今もう一度読みたいと思うし、何度読んでも分からないんだろうという気もする。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「何度読んでも分からないんだろう」
      私も雰囲気だけ愉しんでいます。莫迦馬鹿しく思いつつ高橋源一郎が操る言葉に溜息ついてください。。。
      次...
      「何度読んでも分からないんだろう」
      私も雰囲気だけ愉しんでいます。莫迦馬鹿しく思いつつ高橋源一郎が操る言葉に溜息ついてください。。。
      次のお薦めは、映画「ビリィ・ザ・キッドの新しい夜明け」
      パンフレット画像だけ載せておきます。
      http://nyankomaru.tumblr.com/post/68102132987/1986-8-1-parco
      2014/04/05
  • よくわからないけどキャッチーで読ませるなあ、とすらすら読んでいたが、ある時70年代だかの現代詩手帖とユリイカを見て、あ、高橋源一郎の文章ってきちんと時代を引き継いだ詩だったんだなと気がついた。中島みゆきソング・ブック。

  • 言葉で言い表すことが難しい作品。
    言葉を与えることで、何かに分類されてしまうのは、何かもったいない気がする。
    この作品がいいと思える人には、わかってもらえると思う。
    あえて言うなら、「チェストーッ!」くらいか。
    この作品が、チンプンカンプン、なんじゃこりゃ?という人も多いと思う。
    高橋源一郎が言葉の裏側に見えるよい作品と思う。

  • 高橋源一郎唯一の傑作。もう彼がこれ以上の作品を書くことはない。単なるドナルド・バーセルミの継承ではないことを、自身の目で確認して欲しい。

  • 初めて読んだ高橋源一郎さんの本。

  • 固有名詞と引用の羅列は物語を紡ぐという行為を否定し組み立てない文章の強みを信じる著者の即効性と感性のみで時代と物語を語り、さらにポエティックな情緒と繊細さをも内包する。ポストモダン的といえばあまりに短絡的批評だが1つ言えるとすれば時代が生みし傑作だ!

  • 2019年度第6回新歓ビブリオバトル

  • 映像的でしばらく眼窩に留まっていて、一度読んだら癖になってしまいました。もう何度も読んでいます。唯一無二の小説。

  • p.246「私たちは、ギャングであることは相対的なものだと考えました。」

    耳にすることがある題名だけど、全くどんなジャンルの本なのかわからなくて読んでみた。読んだけれども内容はわからなかった(笑)

    チョムスキーではないけれども、文法も文のつながりも規則に従っているのに、今までこんな言葉の組み合わせはなかっただろうというか脈絡がわからないというか。

  • 不思議な本です。解釈するものでもないような気がしてくる。でも、小説としては成立していて、さくっと読めてしまうし、読んでいたら急に、著者が何を表したかったのかがグッと近づいてくる感じがしました。

    言葉って、ときどき私の言いたいことから勝手に独立してしまって、感じているとおりに伝えられなかったりします。そういう不自由さを生む、言葉の手垢とか背負ってしまった過去とかから、言葉を解き放って、言葉とそれを使う「私」の関係性を築き直そうとしている小説なのかな?と思いました。

  •  再読。
     再読、とはいっても今までは単行本、及び講談社文庫で発売されていたものを読んでいた。
     今回は講談社文芸文庫として出版された版で読んでいる。
     うちには三種類の「さようなら、ギャングたち」があるということだ。
     
     もっとも多く読み返した作品がこの「さようなら、ギャングたち」だろう。
     二桁、までは到達していないだろうけど、七、八回は読み返したと思う。
     それほどまでに読み返すほどの魅力がこの作品のどこにあるのだろう。

     すでに内容を知っている状態で読み返すと、始終切ない気持ちで読み通すことになる。
     本当に切ない気持ちになってしまう。
     本当に哀しい気持ちになってしまう。
     何故なんだろう。

     短いフラグメントが集積されてひとつの物語を形作っている、という形式。
     バーセルミや村上春樹の「風の歌を聴け」やブローティガンの「アメリカの鱒釣り」「西瓜糖の日々」のような形式、と言えば分りやすいだろうか。

     詩、なのかも知れないし、前衛的なのかもしれない。
     たった一行だけのフグラグメントもあれば大島弓子の漫画のみによるフラグメントもある。
     僕は全く前衛的とは思っていないのだけれど、やはり他の小説とは全く異なった言葉、全く異なった文章で書かれていると思う。

     コクトーの「恐るべき子供たち」やコルタサルの「南部高速道路」その他過去の様々な小説へのオマージュともとれる箇所も随所に見受けられる。
     きっと僕が読んだこともない作品にも触れている箇所があるのだろう。

     万人向けでは決してない。
     読んでみて「全く意味不明」と思われる方もいると思う。
     僕もきっと意味不明のままに何度も読み返しているのだと思う。
     それでもこの切なさ、この哀しみの疑似体験は得も言われぬ快楽を呼び起こす。
     だから何度でも浸ってしまう。

  • かっこいい文章が出てくるとオッとなるが、どうもそれ以外は断片的でわからない、とにかくわからないのひと言に尽きる。

  • サイコー、この言葉に尽きる。

  • シュールレアリスム的な文章。詩的。ギャングになれなかった詩人。

  • 「さようなら、ギャングたち」と名付けられた詩人と、「中島みゆきソングブック」と名付けられた一人の女性と、「ヘンリー4世」と名付けられた一匹の猫の物語です。

    詩であり、詩論であり、小説であるような作品、としか、私には読めないと感じました。おそらくもっと作品そのものに即した理解の仕方もあるのだろうと思いますが、このような観点から理解するのが精いっぱい、という感じです。

  • 当時の文壇という観点から見れば、新しい精鋭の一人がまた登場したといった具合か。大学紛争を境に、ジャズが学生の間では流行り、アメリカ文化なんかの影響を受け、旧来には無かった前衛的な作風の作家が多く輩出された(村上春樹や笙野頼子や島田雅彦あたりがそうだろうか)。
    高橋源一郎もその一人で、突飛した内容が酷評され、吉本隆明の鶴の一声もあり、刊行され、ポストモダンの第一人者と呼ばれるまでになった――。という前評判を聞き、未だに読んだことが無かったため、手に取った運び。強烈な一冊。

    発想がどこから来ているのか、滅茶苦茶な世界、理解出来ない構造、詩として綴られる文体。絶版になったのも仕方ないと思えてしまう。登場人物の殆どが死に、前後の脈絡に関係無く何十、何百ページも前のことを引っ張り出したり(伏線とかそういうのではない)、無意味な動作を必死に行ってみたり、唐突な展開が、尾を引かない軽さで描かれる。一部には絶賛されるだろうが、一般的には評価されないのが本作の魅力と言えばおかしいが、今も昔も将来も、評価が大きく変わらない普遍的な作品だと思う。
    三部の、ギャングが詩を生み出すところと、
    「二回とも少しも悲劇的なところがなく
     だから だれも回想してくれないな
     かわいそうな
     かわいそうな
     わたしの死」
    という文章は良かった。
    夏目漱石が、いい小説というのはどのページから読んでも面白い、と言ってる。その流れを汲んでる一作だと思う。

  • 非常に荒唐無稽な物語である。キャラウェイが出てくる場面と、「アガートは大好きさ、フレガートが」のところに出てくる幼児用基地の受付の女の子がセックスしている場面、それから、SBとの出会いの場面、以上が気に入った。これは小説より、詩とみなすべき。あらかじめ決められた名前を誰も持たず、好きなように自分でつけていい、という設定は好き。

  • すごい言語感覚だ

  • 高橋源一郎のデビュー作。登場人物か次々に死んでしまう物語だった。断片と断片をつなげていく書き方は面白いし、文学作品に対するリスペクトがあったけど、どうしても鼻につく感じ。鼻につくところか、クセになるようにも思うけど。
    こんな世界が頭の中にあったら楽しいだろうなあ、と羨ましくなった。

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著者プロフィール

高橋源一郎(たかはし げんいちろう)
1951年、広島県生まれの作家、評論家。明治学院大学国際学部教授。1981年『さようなら、ギャングたち』で群像新人賞優秀作を受賞しデビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で第13回伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で第48回谷崎潤一郎賞を受賞。

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